ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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校則(04、隠しカメラのどこが悪いのだろうか)

2006年03月29日 | カ行
 (2000年)10月18日付けの朝日新聞は、鹿児島市の市立中学での隠しカメラ事件を次のように報じています。

- 鹿児島市立中学校の男性教諭が担当する2年生のクラスの教室にビデオカメラを設置し、生徒の行動を撮影していたことが分かった。このクラスの女子生徒に対し、1年近くいじめが続いており、教諭が加害者を特定するため、設置したという。

市教育委員会は「教諭は加害者を特定するためにやむを得ずこうした方法をとったが、教育上好ましいことではない。学校全体でいじめ問題を解決してほしい」と話している。(引用終わり)

今回はこの問題を考えてみたいと思います。この男性教諭が隠しビデオカメラで生徒の行動を撮影したのは一体どこが悪いのでしょうか。

 考えられる点は次の3点だと思います。

 ① いじめ加害者を特定するためとはいえ、生徒の行動をカメラで撮影すること自体が悪い。

② 他の教員に相談しないで「独断で」行ったことが悪い。

③ 生徒や保護者に知らせないで「隠して」撮影したことが悪い。

では、学校以外の一般社会ではどうなっているでしょうか。スーパーとかいったお店では防犯カメラの設置は当たり前です。しかも、「防犯カメラ設置」と表示しています。これはむしろ客に知らせることを目的にしているのだと考えられます。

金融機関ではカメラを設置するだけでなく、「警察官立ち寄り所」といった表示が、これまた客に知らせる目的で掲示されています。つまり、一般社会では客の行動をカメラで撮影することは何ら否定されていないのです。

 もちろんこれらは店側では店長以下、全員の承知の上でなされている事で、言わば「公然」カメラです。ですから、一般社会では「独断で」「隠して」設置し撮影するということは、普通は、ありません。

 では、この中学校の場合の「悪い」点はその男性教諭が「独断で」「隠して」設置し撮影したことなのでしょうか。逆に言いますと、職員会議で諮(はか)った上で、生徒と保護者に知らせてから設置し撮影したのなら、「悪くない」のでしょうか。多分、論者の考えはそうではないでしょう。

 たしか10年ほど前に静岡県の三島市だったかの高校で、学校のあちこちにやはりカメラを設置していたのが判明して問題になったことがあります。この時は学校として設置したのでした。しかし、それが判明してからは「不適切」ということで、撤去されたようです。

 やはり、学校では、そのようにいじめの加害者を特定するという目的のためとはいえ、カメラで生徒の行動を撮影すること自体が「教育上好ましいことではない」とされているのでしょう。

 では本当にこれは「教育上好ましいことではない」のでしょうか? なぜそれは「教育上好ましいことではない」のでしょうか?

 私の知る範囲では、ドイツのギムナジウム(11歳から19歳の生徒が通っています)では、生徒は朝、門を入ってから、午後1時すぎに門を出るまで、つねに誰かの先生に見られています。おそらく先生に見られていないのはトイレに行く時だけでしょう。

教室には先生がいます。授業と授業の間の休み時間はほとんどなく、教室を移動するだけです。10時頃に20分間の「大休憩」があります。その時は生徒は教室から出て、外の空気を吸わなければなりません。教室には鍵が掛けられます。そして、死角がないように校庭の3~4ヵ所に先生がそれとなく立って、生徒の行動を監視しています。これを文字通り「監視」と言います。職員室には監視の当番表が張ってあります。

午後1時で学校が終わりますから、もちろん昼休みはなく、部活もありません。学校の立場からすると、生徒を預かった以上、生徒を守る責任があるという考えだと思います。

皆さんはこれをどう考えますか。日本のやり方と比較すると根本の人間観が違うようです。多分、日本人は、「生徒は見張っていなくても悪い事はしない」として生徒を信頼するべきだとする性善説の立場に立っているのだと思います。多分、「生徒を疑うこと自体が悪い」と考えられているのでしょう。ですから日本では先生に見られていない時間や場所が沢山あります。

それに対してドイツ人は、性悪説(キリスト教は性悪説です)の立場に立っていて、「人は誰かに見られていないと悪い事をするものである」という考えなのだと思います。

どちらが正しいでしょうか。結果から見るかぎり、ドイツのやり方の方が正しいと思います。たしかにドイツの学校にもいじめはあるようです。現にミヒャエル・エンデの『果てし無い物語』の主人公はいじめられっ子です。しかし、ドイツでのいじめは日本ほど多くもなければひどくもないと思います。

では最後に、目で見る監視なら「教育上好ましい」が、カメラで撮影するのは好ましくないのでしょうか。私はそんな事はないと思います。学校は生徒を預かった以上、生徒を守る責任があるというのは、その通りだと思います。

 ここで「生徒を守る」とは、生徒が悪い事をされないように守ることであると共に、生徒が悪い事をしないように守ることでもあります。しかるに、生徒を守ることの基本は「生徒をつねに教師の目の届く所に置いておくこと」だと思います。ここまで認めるならば、生徒を「監視」するのは当然です。

 そして、日本のように長い時間を学校で過ごす場合には、しかも特に生徒数に比して教師数の少ない学校では、ビデオカメラに頼ることも止むを得ないこともある、と思います。関係者(教員、保護者、地域住民)全体できちんと話し合った上で、仕方ないと決まったならば、堂々と公然カメラを設置したらどうでしょうか。

 今回も、多分、多くの方々の常識と異なった意見になったと思います。落ちついて分析的に議論をしたいものです。ご意見をどしどしお寄せ下さい。

(2000年10月20日発行)