ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

教育の広場、第 119号、イラク戦争について

2005年11月07日 | 政治関係
教育の広場、第 119号、イラク戦争について

 イラク戦争も終わりに近づいたようです。終わってしまうとすぐ
に忘れるのが我が日本国民の特質のようですが、それは少し困りま
す。今こそゆっくり考え、話し合うべきだと思います。

 私の立場を初めに申し上げておきますと、私はイラクに対する米
英の武力攻撃に反対する気持ちが51%で、「仕方ないかな」と思う
気持ちが49%でしたし、今でもそうです。

まず「仕方ないかな」と思う根拠から書きます。

新聞にもいろいろな意見が載りました。若い人達の意見を特集し
た時もあったと思います。それらを読んでいますと、武力攻撃賛成
の人の論拠より反対の人の論拠の方が抽象的ではないかな、という
印象を受けました。

ただ「戦争は絶対イヤ」というものや、「無実の人々が殺される
」とか、「子供や女性が犠牲になる」というものです。

これはあまりにも単純すぎるのではないでしょうか。現に、フセ
イン政権によって多くの人々が虐待され殺されてきたのです。それ
はもし武力攻撃がなければ、査察を継続しても、何ヵ月も何年も続
くのです。

もちろん米英の武力攻撃で「解放」されても、今後も必ずイラク
が民主化されるという保証はありません。ですから問題は、無実の
人々や女性や子供が殺されるか否かではなくて、どっちの方が犠牲
が少ないか、目標に近いかということだけだと思います。

ですから、先の考えよりは、「アメリカ大使館の前で抗議デモを
する前にイラク大使館の前でデモをするべきだ」という主張の方が
現実的だと思います。目的に賛成だけど手段に反対と言うならば、
自分はその目的のために異なった手段で行動していなければならな
いでしょう。

戦争が始まってからはいくつかの国で戦争支持率が上がったとい
うことです。それも、「政府が決定したのだから、目的に賛成であ
る以上、いつまでも反対するべきではない」という考えの人が結構
多いということだと思いました。私にはこの考えは分かります。

そのためにもこういう事を議論する際には、目的と手段とを分け
て考え、その上で目的と手段を合わせて考えるべきだと思います。

 そもそも今回の戦争でのアメリカの目的は本当に大量破壊兵器の
破棄だけだったのか、はなはだ怪しいと思います。フセインを倒さ
ない限り、いったん破棄しても、いつまでも査察を続けなければな
らないという理屈も考えられますが、ともかく、フセイン政権の打
倒こそ本当の目的だったと思います。

ですから、査察を継続すれば大量破壊兵器の破棄は可能だという
意見ではかみ合わないのです。たしかにその点では米英にウソがあ
ると思いますが、もう少し大きく考えてみますと、21世紀の世界の
あり方の問題になります。

それは、どんな独裁政権でもそれは国内問題で、国際社会はタッ
チしてはならないのか、国家主権は絶対か、という問題になると思
います。それは当然、北朝鮮の現政権に対してどうするべきかとい
う問題に係わってきます。

北朝鮮は核弾頭を少し持っているそうで、更に増やしそうだとい
うことです。ですから第2の朝鮮戦争が起きたら、特に南北朝鮮で
は大きな犠牲者が出るということで、韓国のノ・ムヒョン大統領は
「何としてもそれは避けたい」と考えているようです。しかし、そ
の時には、「では北朝鮮の人々の多大な犠牲が今後も続くのはどう
するのか」も考えなければならないと思います。

推定ですが、「アメリカがそのピンポイント爆弾で金正日を一気
にやっつけてくれれば一番いい」と思っている人もいると思います
。それほどではないにしても、「犠牲が出ても、アメリカが北朝鮮
の現政権を倒してほしい」と考えている人は少なくないと思いま
す。

考える時にはこういう問題も自由に考えられるようでありたいと
思います。

弁護士の中坊公平さんの話が載っていました。連れ合いがブッシ
ュ米大統領支持で、毎日議論しているがなかなか説得できない、と
いうものでした。

私はかねてから、例えばラテンアメリカ諸国の大土地所有制など
は一体いつになったら改められるのだろうかと疑問に思ってきまし
た。日本では、占領軍が不十分ながら農地改革をしてくれたので、
基本的に解決されたのだと思います。

かつてラテンアメリカ諸国ではカトリックの神父たちの「解放の
神学」が盛んでしたが、聞くところによりますと、ローマ法王庁の
考えの変化で、それも下火になったそうです。原因はともかく、最
近は「解放の神学」という言葉や運動を聞かなくなりました。

私もかつては理想主義的な考えを持っていましたが、今では「人
間は強制されなければ進歩しないものだ」という考えになりました
。競争がなく努力の報いられない社会主義ではやる気は起きないの
です。問題は、どういう場合にどういう強制が適当かということだ
けだと思います。

国家主権も絶対ではないと思います。虐待が「家庭や親の自由」
ではないように、国家主権にも制限を加えるように歴史は進んでい
くと思います。又、そうあるべきだと思います。

私がこういう事を考える時に困るのは、情報が十分に開示されて
いないということです。かつてフランスの大統領になった社会党の
人が、それまでの核実験反対を翻して自分も実験を継続したという
ことがありました。

それを単に「変節」と言うのは易しいですが、私が思ったことに
は、どの国でもトップになってみなければ知ることのできない事柄
があるのだと思います。

そういう訳で、私は、米英の武力攻撃も仕方ないかな、という程
度にしか考えられませんでした。しかし、反対の気持ちが51%でし
た。その理由を次に述べます。

それは、フセインを倒すには「ここまで来たら」武力攻撃しかな
いかなという気持ちは有るのですが、それは「ここまで来たら」の
ことです。事態が「ここまで来て」しまったのは誰の責任でしょう
か。最大の責任は世界のトップであるアメリカにあると思います。

フセインをここまで付け上がらせたのはアメリカだと言われてい
ます。イランで自由化が起きた時、それを本当の民主主義に持って
いかないで、国王を始めとする為政者の堕落を許したのはアメリカ
ではないでしょうか。それをアメリカが放任しておいたから、イラ
ンでイスラム原理主義の革命が起きたのです。

そして、それに対抗するためにイラクを支持したのです。あまり
にもご都合主義的です。

現在の世界の問題の中心である中東問題にしても、イスラエルの
横暴を支持しているのもアメリカです。他の国でもいろいろとあり
ました。

ですから、総合的に考えてみますと、アメリカがイラクを「解放
」したと言っても、それはかつての自分の間違いの尻拭いをしただ
けなのです。威張れた事ではないと思います。

もちろん武力攻撃に反対した国々も大した事はないと思います。
ヨーロッパの国々は同じヨーロッパのボスニアの紛争を「平和的に
」解決できず、アメリカの武力に頼ったのではないでしょうか。

アラブ諸国に至っては、自分の国の民主化すら出来ないでいるで
はありませんか。

では希望はどこにあるでしょうか。

第1に、アメリカという国は自浄力のある国だということです。
このままいつまでも進むとは考えられません。

第2に、ヨーロッパ連合の拡大です。今回の事でこれも少し遅れ
るかもしれませんが、大勢に変化はないでしょう。この拡大により
、民主主義が広がることが期待できます。

第3に、韓国です。これは北朝鮮とのからみでも大切です。今回
、ノ大統領はアメリカ支持を表明しましたが、私はそれは責められ
ないと思います。新大統領の力を発揮する時間的余裕が全然無い時
に起きた事件ですから。

ノ大統領はその話し合いの充実で本当の民主主義を根づかせて、
韓国を平和な強国にしてくれるものと期待しています。実際、韓国
では大統領が新しくなるたびに民主主義が深化してきています。

第4に、中国です。中国は今回は武力攻撃反対でしたが、前面に
出て反対はしませんでした。それはボスニア紛争の時そのように振
る舞ってババを引いた経験に学んだのだと、新聞には書いてありま
した。

中国は、ソ連の共産党が潰れたことから学んで、自分たちは軟着
陸して生き残ろうとしているそうです。何よりも経済を発展させな
がら徐々に民主化していくようです。そして台湾の平和的統一を狙
っているのだと思います。

アメリカの横暴を防ぐためにも、対抗勢力の出来るのは良いこと
だと思います。それが共産主義では困りますから、中国の民主化を
期待したいものです。

第5として並列は出来ませんが、世界経済に地殻変動が起きてい
るそうです。03月19日付けの朝日新聞夕刊の経済気象台によります
と、欧米から米国に流れていた巨額の資本が逆流し始めたそうです
。だから、アメリカの株は上がらなくなったようです。

アメリカの軍事力はその経済力に支えられていますから、アメリ
カの相対的弱小化が必要だと思います。その突破口として、シロウ
トの私の願うのはパソコンにおけるリナックスの台頭です。しかし
、なぜか知りませんが、私の期待するほどその進出が早くありませ
ん。業者はどんどんリナックスを採用し、伸ばしてほしいと思いま
す。

最後に日本について一言しなければなりません。日本では、残念
ながら、大きな期待は今のところ持てないようです。このような時
代に靖国神社参拝の首相では話にならないのに、内閣支持率はあま
り下がりません。

日本人が選挙の話で、どの政党が勝つかではなくて、自分はどう
いう考えでどういう投票行動をとったかを言うようにならないと、
無理なのかもしれません。政府は国民の反映でしかないのだと思い
ます。

まあ、あせらずに落ちついて議論していきましょう。

(2003年04月13日発行)