ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第 123号、「丸腰の自衛」という理想主義を考える

2005年11月02日 | 政治関係
教育の広場、第 123号、「丸腰の自衛」という理想主義を考える

 早野透さん(朝日新聞コラムニスト)が「ポリティカにっぽん」
(2003,5,20,朝日)で、05月03日の憲法記念日に行われた有事法制
反対集会のことを取り上げていました。

共産党の志位和夫委員長や社民党の土井たか子党首が参加してい
たことを述べた後に、「聴衆の心に響いた話」として翻訳家の池田
香代子さんの話を取り上げていました。

まず、池田さんは「ソフィーの世界」を訳した人であり、「世界
がもし 100人の村だったら」とか「やさしいことばで日本国憲法」
を書いた人だと紹介しています。

本題に入り、池田さんは芥川の小説の題名にもなっている平安京
の羅生門に触れて、「日本には昔から丸腰の思想がある」と述べ、
「日本国憲法は死者の思いに突き動かされてつくったのではないか
」と言って、「死者の声に耳をすますべきではないか」と結んだと
紹介しています。

そして、早野さん自身は、有事法制に賛成した民主党を主として
念頭に置いて、「ただ、忘れないでほしいのは日本国憲法という羅
生門のことである。『有事法制』の国権と人権のバランスを細心に
気配りしつつ、そもそも『有事』を起こさせない腰のすわった平和
主義の志を新たにしてほしい」と結んでいます。

これを読んで2つ事を考えました。

第1に、人間は誰でも否定的な事を言われるのは嫌なものだが、
その心理をどうするかということです。

私が自分のHP「哲学の広場」に「NHKラジオドイツ語講座の
発展的学習」という欄を新設したことは既にお知らせしました。そ
の理由の1つが、私の投書は語学的に大切な事を論じているのに、
NHKが放送の中でそれを取り上げないからだということも書きま
した。

放送の中で取り上げないだけでなく、そもそも講師の方々は私の
質問から逃げているのではないかとすら推測されます。

そして、その「逃げている講師」の一人が池田香代子さんなので
す。池田さんはそこの紹介にもあるように翻訳家ですが、都立大学
の独文科を出たようで、ドイツ語が専門のようです。そのためか2
年ほど前、NHKのラジオドイツ語講座の中級篇を担当されました
。題して「原書で楽しむグリム」。

その時、やはり私は何回か他の講師宛の質問と一緒に池田さんに
も質問しました。係の方から「今、講師の先生方に回答をお願いし
ています」というお葉書をいただきました。しかし、池田さんを初
め、他の方々もついにお返事を下さいませんでした。

私が要求しているのは、個人的に答えがほしいということではな
くて、放送された事柄についての質問なり異論に対しては放送の中
で取り上げるべきだということです。

ですから、必ずしも個人的な回答は重要ではないのですが、係か
ら回答を依頼されたら回答するのが当たり前だと思いますし、係も
、回答がなければ催促するべきだと思います。しかし、回答はいま
だにありません。

なぜ回答しないかという理由を推測しますと、それはやはり「否
定的な事を言われること自体が嫌だから」であり、「自分の間違い
や無知を認めるのは嫌だから」だと思います。

人間は誰でも自分を外化(対象化)して、それが相手(対象)か
ら肯定されることで自己確認したいと思っています。これが(肯定
的)自己外化です。この反対が、対象化したことによって、かえっ
て相手から自分を否定するような反応を受けることで、これが自己
疎外です(つまり、自己疎外とはいわゆる「藪蛇」の論理です)。

 ですから、否定的な反応を嫌がるのは分かるのですが、公生活で
はそれは仕方ないこととして認められているわけです。実際、否定
的な反応をする側から言うならば、相手のした事が自分を否定する
(役立たない)ような事だったから、それを是正してほしいという
ことで、問題を提起しているのです。

もちろん批判者の方が間違っていることもあります。ですから、
話し合う必要があるのです。これを理性的な話し合いにするのが一
人前の社会人なのです。
 池田さんを初めとするNHKの講師のように、話し合いそのもの
を頭から否定するのは社会人として失格ではないでしょうか。放送
の内容への意見を放送の中で取り上げないのは教養番組とは言えな
いし、公共放送のあり方として間違っていると思います。

しかし、世の中を見回してみますと、むしろ批判はおろか質問す
ら聞こうとしない人が多いのではないでしょうか。私がこのメルマ
ガを始めましたのも、その直接のきっかけはメルマガ「ハダカの学
校」が私の投書を取り上げないことを通知してきたからです。これ
は第8号(学校批判者の非民主的性格)に書きました。

多くの学校では例えばPTAの機関紙に学校批判みたいなことを
載せようとすると、校長が弾圧するそうです。しかるに、日頃過激
な学校批判をしているこの「ハダカの学校」の発行者が、自分に対
する批判的な意見に対してそういう校長と同じ態度を取っているの
です。

第2に考えた事は、丸腰での自衛を主張する資格と能力というこ
とです。

日本国憲法は自衛の権利を放棄したわけではないが、その手段と
しての戦争と軍隊を放棄したものであり、従って自衛隊は違憲であ
る、というのは、大多数の憲法学者の考えのようです。私は、これ
を単なる「理想論」として嘲笑するような下劣な人間にはなりたく
ないものだと思っています。

しかし、丸腰で自衛することを決意したのならば、それは「日頃
から自分たちの全生活をそういう生き方に則って律していかなけれ
ばならない」ということも意味しているのであって、それは物凄く
大変なことなのだということをも理解(覚悟)しておかなければな
らないと思います。

では、かかる憲法学者を含めて、自衛隊を違憲と考える人々、有
事法制に反対する人々は、その理想を実現するために日頃からそれ
に相応しい生き方をしてきたでしょうか、しているでしょうか。

私が疑問とするのはこの点なのです。確かに人間は完全無欠では
ありえないし、そうなる必要もないと思います。

しかし、社会的理想は少なくとも個人的なレベルでの公生活のあ
り方とも結びついているのではないでしょうか。ですからこの個人
的なレベルでの公生活でその理想に相応しい態度の取れない人や党
が理想を口にするのには、私はやはり違和感を覚えます。

個人を問題にする前に公党を取り上げましょう。社民党が朝鮮労
働党に対して十分に批判的でなかったことは、今回の拉致事件の顛
末で証明されました。

週刊誌には、北朝鮮を訪れた政治家などを北朝鮮側が金や色で籠
絡してきたといったことが書かれています。かつて北朝鮮を訪問し
た社民党のお偉方にはそういった事はなかったのでしょうか。

共産党は色々な経緯があって大分前から自主独立路線を取ってい
ますが、それ以前はソ連や中国の共産党にべったりだったことはよ
く知られています。

又、政治以外の分野に不当な干渉をし、共産党の政治路線を支持
する人ならば、例えば研究業績もなく授業もお粗末な教授でも好い
先生なのだと持ち上げたりしてきました。

やはり理想を口にする人は公生活では徹底的な理想主義者でない
と、力にならないのではないでしょうか。

田中長野県知事に反対する人は彼の私生活を取り上げましたが、
これは卑劣というものです。長野県民はそれを相手にしませんでし
た。田中さんはその行政においては「私利私欲のない行政」という
ことを主張し、実行していると思います。

それに反して、先日の徳島県知事選挙で大田前徳島県知事が敗北
した原因の1つとして、大田さんが「十分に民主的ではなかった」
ということが挙げられました。

今回の有事法制に反対した学者たちがどういう人か知りませんが
、静岡大学の教授団は米英のイラク武力攻撃に反対する声明を出し
ましたが、静岡大学のセクハラ事件(実に2ヵ月間で3人の処分者
)では何の声明も出していません。

池田香代子さんのように自分が放送で話した学問的な事柄につい
ての質問に返事もしないような人に、「丸腰の自衛」を定めた憲法
を守れと言う資格があるのでしょうか。あるとは思いますが、それ
で力になるのでしょうか。

そもそも早野透さん自身、朝日新聞のあり方を批判的に検討して
いるのでしょうか。朝日新聞も不適切な取材方法や社員のわいせつ
行為、セクハラ行為がしばらしば問題になっているのではないでし
ょうか。

何を言いたいかと言うと、やはり昔の人の言ったように、修身斉
家治国平天下であり、修身と斉家(身の回りの公生活の正さ)を伴
わないと治国も平天下も不可能なのではないか、ということです。

 私自身この理想主義をどう考えたらいいかの問題はとても悩んだ
問題です。最初は厳格な理想主義から出発しました。大人になるに
つれて、それは違うのではないかと個人生活と社会生活を分けて考
えるようにしてきましたが、人生も終わり近くなって、又「半分く
らい」元に戻ってきたようです。

先に私は米英のイラク武力攻撃について「ここまできたら仕方な
いかなと思う気持ちが49%だ」と書きましたが、「ここまで来て
しまった」ことについては、平和派の努力不足があると思います。

 イラク問題が1段落した今、北朝鮮の核開発が国際問題の焦点に
なってきています。先日の日米首脳会談でも平和的手段以外のこと
も考えるといったことが出ていました。

推測ですが、日本国民の中でも、これを支持する人は少なくない
と思います。有事法制も反対者はそう多くはなかったと思います。

 丸腰の自衛を憲法で定めた国の国民が、なぜこうなってしまった
のでしょうか。丸腰の自衛を標榜する人々や政党がその方針を十分
に展開せず、実行してこなかったことも一因だと思います。

アメリカは北朝鮮の核を放棄させると言いながら、実際に考えて
いることは、金正日体制の打倒だと思います。イラク問題で、大量
破壊兵器の除去と言いながら、フセイン政権の打倒を目指したのと
そっくりです。

断っておきますが、私は必ずしも、フセイン政権打倒が悪いとも
思いませんし、まして金正日体制の打倒を悪いとは思いません。直
接言っている事と本当に考えていることとが違うのではないか、と
いうことです。

更に、北朝鮮問題の平和的解決などというものは、特に韓国の人
々はそう望んでいるでしょうか、好い悪いとか、望むとか望まない
とかに関係なく、無理だと、多くの人は考えているのではないでし
ょうか。

もう少し正直に話し合いませんか。そもそも、平和的解決と言い
ますが、現時点で、毎日毎日、北朝鮮の人々は暴力支配に苦しめら
れ、餓死させられ、収容所で殺されているのです。ここまできたら
、文字通りの意味での「平和的解決」とやらはありえないのではな
いでしょうか。

私は、日本が朝鮮を植民地にしたことが根本の原因であることを
忘れたり、アメリカが武力で沢山の悪い事をしてきたことを見逃す
ものではありません。

それらも含めて、とにかく、第 120号にも書きましたように、自
分に都合の好い部分的真理だけを言うのではなく、関係する全事実
を考慮して考えることが大切だと思います。

(2003年05月25日発行)