ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第 122号、教師力の特集を読んで

2005年11月03日 | 教育関係
教育の広場、第 122号、教師力の特集を読んで

 (2003年)05月12日付けの朝日新聞は、連載「教師力」に
約 500通の投書があったとして、それを特集しています。

この特集を読んだ私の感想は、「いつも同じことを繰り返してい
て進歩がないなあ」というものです。それを詳しく書きます。

第1点。学校は校長で8割決まる。

熊本県の歯科医の男性という肩書の方の投書に次のような文があ
りました。「毎年、健康診断で小中学校・高校を訪れますが、いろ
いろな学校があります。子どもたちが静かに順番を待てる学校、騒
々しい学校、教師も雑談していて子どもを注意しない学校~。そん
な雰囲気が良くも悪くも校長が交代すると、一変します。学校の雰
囲気は校長次第だと実感してきました。」

そして、校長に対する厳しい評価も必要で、地域住民が評価して
、結果次第では降格もあってよい、と結論しています。

賛成です。組織はトップで8割決まるのです。学校は校長で8割
決まります。しかし、地域住民による校長評価の制度といってもそ
れはどう作るのでしょうか。東京の品川区の学校選択制がその評価
になっています。この事は本メルマガでも第99号に書きました。こ
れを参考にするといいのかもしれません。

官による制度があってもなくても、市民が自主的に学校オンブズ
を始めて、HPで評価を公表するといいと私は思います。

第2点。学校教育は個々の教師がするものではなくて、校長を中
心とする教師集団がするものである。

テレビドラマ「3年B組金八先生」の脚本家の小山内美江子さん
の談話も載っていました。その中に次の言葉がありました。

・・「金八先生の職員室の雰囲気がうらやましい」。知り合いの教
師がこぼしていました。なぜか、と聞くと、「大勢の教師が一人の
生徒のことをみんなで話し合っているから」とのことでした。・・

 個々の教師の評価も大切ですが、その前にこの大原則を確認する
ことがもっと大切だと思います。サッカーのように、監督(校長)
が選手(教師)を選んで起用し、その結果については第1点で述べ
たように住民が評価する、というのが理想だと思います。

チームプレーのスポーツでも選手個々の評価はあるわけで、それ
と同じ意味で個々の教師の評価と待遇の違いはあっていいと思いま
す。

第3点。人間は他者から監視されなければ悪いことをし、堕落す
る。

元会社員で61歳の方は、民間企業と比較して教師の待遇は恵まれ
すぎている、と言っています。そして「先生の質を引き上げるため
に民間同様、能力主義や成果主義を導入すべきだ」と主張していま
す。

過労死する先生もいるくらいですから、いちがいに楽をしている
とは言えないと思いますが、人間は他者から監視されず評価されず
、それが報酬で報いられることがないと堕落するものなのだと思い
ます。これが人間なのですから、それを踏まえて、こういう人間の
本性に合った制度を作るべきなのだと思います。

ある高校教諭はこう言っています。

・・高度な専門性を身につけてなくても取得できる教員免許の制度
は甘い。教師間の力量の差が開く最大の原因だと考える。この差を
縮めるには、教員の評価制度が欠かせない。・・

学校の情報公開を徹底させることが先決だと思います。学校オン
ブズは、学校の情報公開が十分か否かをまず判断し、次にその内容
に基づいて、校長などの管理職と個々の教師の評価をするべきだと
思います。

この学校オンブズがないと、「近年の教育改革は、教育現場の管
理体制強化で、採用試験では管理しやすい教員を選ぶ傾向が強い」
(元高校教諭の投書)ということを是正できないと思います。

第4点。大学教員こそ評価せよ。

この連載では大学は問題になっておらず、小中高校までのようで
すが、それらの教員は大抵大学で免許を取ってくるのです。その教
員が学力低下しているのは大学教育がお粗末だからです。それは大
学教員の学力が低下しているからです。

一国の教育(更に文化、教養)のレベルを決めるのは大学教員な
のです。ですから、まず大学の評価を、その全教職員の評価を考え
るべきだと思います。

第5点。学校の守備範囲を明確にせよ。

未成年者の教育は家庭と学校と地域社会とで行われます。この3
者の中での学校の守備範囲はどこからどこまでか。この根本問題を
忘れると、一切の教育問題の議論は無意味となります。

要するに、根本的には生活指導も教師の仕事なのかということで
す。最近は学校カウンセラーも導入されるようになってきているよ
うです。生活指導と教科指導とは別だということをはっきりさせる
のが根本だと思います。

今回も特に生徒の側からは、「先生方が考えるより、生徒は先生
の気持ちを見抜いている」「生徒は熱血教師を求めている」(高校
3年生の投書)という意見がありました。

これは甘いと思います。完全に更生不可能な人はいないでしょう
が、熱血教師程度で更生しない人もいます。そもそも熱血を嫌う生
徒もいます。人間は実に様々なのです。

疑問点。なぜ校長や教委や文部官僚は投書しないのだろうか。

この種の議論でいつも思うことはこの事です。校長の投書が少な
いこと、文部官僚や教育委員会の人の投書はまず無いことです。少
し前には寺脇研さんという文部官僚が発言してくれましたが、行政
側の人ももっと多く発言してほしいものです。

希望。

希望もあります。それは愛知県の犬山市とか東京都の品川区とか
埼玉県の志木市、その他のように、独自にがんばっている教育委員
会があることです。

キーワードは少人数学級、競争、住民参加です。

結論としての提案。

第1に、すべての総合大学の学生の1年時に、まず前期で日本語
技法の受講を義務づけるといいと思います。これについては本メル
マガの第58号(高知大学の日本語技法の授業)に書きました。英語
より大切です。

第2に、後期にはオンブズ学の受講を義務づけるといいと思いま
す。日本の現状は「官僚の官僚による官僚のための国家」になって
いると思います。先日、堺屋太一さんは「いま官僚統制が急速に強
まっている」と書いていました。大変な事です。

これに対抗するにはオンブズしかないと思います。しかし、オン
ブズ学を教えている大学もなければ、ましてそれを必修にしている
所もないと思います。情報公開法以来、むしろオンブズには逆風が
吹いているようにすら感じられます。オンブズ精神は市民の基本で
す。

(2003年05月13日発行)