8月7日、衆院予算委で民主党議員の山井和則は8月6日の広島原爆式典で安倍晋三が非核3原則に言及しなかったことと防衛相の中谷元が8月5日午前の参院平和安全法制特別委員会で自衛隊による核ミサイルの輸送を「法文上は可能」と答弁した問題を取り上げた。質疑応答を要旨を取り混ぜて、なるべく簡略に取り上げてみる。
山井和則「安倍総理は先程長崎の原爆式典では非核3原則の堅持に触れるとおっしゃったが、なぜ広島では触れなかったのか。歴代の総理大臣は全て触れていた。安倍総理も昨年一昨年と触れていた。なぜ広島を抜かしたのか」
安倍晋三「国是として非核3原則の前提のもとに広島に於けるスピーチでは核のない世界を実現していくために日本は国際社会の中に於いてその実現のために国際社会をリードしていくことを縷々述べているわけです。
ですから、その考え方(非核3原則)に毛頭変わりはない。その前提の上でお話をさせて頂いている。その上で開催された被爆者団体との懇談会でも挨拶の中で非核3原則の堅持を申し上げている」
「国是」とは、「国全体が正しいと認める,一国の政治上の方針」(大辞林)を言う。だが、憲法が規定に基づいた多数決のもと国民の意思によって改定できるように、あるいは政府の解釈で条文を異なる姿にすることができるように絶対不変の姿を保持しているわけではないのと同じく、国是にしても絶対不変というわけではない。
だが、安倍晋三は国是に絶対不変の性格を持たせて自説を押し通すゴマカシを働かせている。国是が絶対不変ではないことは自民党政府が過去に於いて既に自ら証明しているにも関わらずである。
1960年代以降、自民党政府は、「核兵器を持たず、造らず、持ち込ませず」の非核3原則の国是の元、米海軍の核積載艦の日本への寄港に対して次のような態度を取ってきた。
①「岸・ハーター交換公文において、日本への核の持込には事前協議が必要とされている」
②「今まで事前協議が行われたことは一度もないので、核が持ち込まれたことも無い」
③「今まで事前協議が行われたことは一度もないので、核が持ち込まれたことも無い」
「岸・ハーター交換公文」とは米軍による施設・区域の使用に関して当時の米国務長官クリスチャン・A・ハーターとの間で取り決めた文書だということだが、国会でもこのように答弁して、歴代自民党政府は非核3原則を国是として守っている証明としてきた。
だが、実際には米海軍は日本に核の持ち込みを行ってきた。米政府の高官だったか、「核を積んだ米空母が日本の港に入る際、わざわざ核を降ろすといった面倒な手間を取ることはない」といった趣旨のことを話していたのを記事で読んだか、ニュースで聞いたかした記憶がある。
降ろした場合の核をどこで保管するというのだろうか。わざわざハワイやグアムに運ぶと言うのだろうか。高官だかが言っていたことは常識中の常識に思えた。常時備えていなければならない主力武器を降ろすということは空母を裸にするのと同然のことをすることになる、
1969年(昭和44年)11月の佐藤栄作とニクソンとの首脳会談後、有事の場合は沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという秘密協定に署名したとされていることも非核3原則の国是を国民に知らせずに破ろうとしていたことを意味する。
自民党政府はこれ程に非核3原則の“国是”を自ら破り侵す前科を働いているのである。
安倍晋三は以後も国是に絶対不変の性格を持たせて振り回すが、国是はいつでも変えることができるし、変わり得ると言うことである。このことを抑えておいて質問すれば、安倍晋三に好きなように国是を振り回させることはなかったはずだが、そうはしなかった。
しなかったばかりか、「私の知り合いの広島の方は(安倍晋三が非核3原則に触れなかったことが)ショックで涙が止まらなかったと言った」とか、的を射る追及から外れた質問に終始した。
山井和則「歴代の総理大臣がずっと入れてきた。ご自身も去年、一昨年(おととし)と入れてきた。おっしゃるように国是じゃないんですか。なぜ国是を抜かれたのか、広島だけ」
山井自身も国是を絶対不変と把える間違いを侵している。国是であっても、絶対ではないし、特に安倍晋三に関してはどう国是を振り回そうと信用できないという文脈で追及すべきだったろう。
安倍晋三「これ、国是でありますから、不動の政府としての考え方でありますから、その意味に於いて、私が総理大臣として既に何回も申し上げているとおりです。
その上に於いてご挨拶の中で、その前提として(非核3原則を前提として)核兵器のない世界をつくっていくために我々は何をしていくかということについて縷々述べているわけでございます。当然、それ(非核3原則)を前提としてお話をして頂いている。
それを落としたから、我々の政策から、それを欠いたということは全くない。それが証拠として先程申し上げたようにその後行われた被爆者団体との懇談会では非核3原則の堅持についてはお話をさせて頂いている」
国是を「不動の政府としての考え方」だと絶対不変の性格を持たせて、広島の式典で非核3原則に触れなかったからといって、「我々の政策から、それを欠いたということは全くない」と断言しているが、絶対不変ではないことは前科が証明しているし、当然、将来的に再犯を犯す(=“欠く”)ことは絶対ないとは言い切れないことになる。
また、国是が絶対不変の性格を有していない以上、国是(非核3原則)に触れずに「それ(非核3原則)を前提としてお話をして頂いている」とするのは論理的には成り立たないことになる。
例えば、インターネットで調べたところ、安倍晋三は2002年5月3日の早稲田大学での講演で戦術核について次のように述べている。
安倍晋三「日本は非核3原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただそれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ、これは法律論と政策論で別ですから。できることを全部やるわけではないですから」(『サンデー毎日』/2002年6月2日号)
もし安全保障上の環境の激変という口実で非核3原則と戦術核使用とどちらを優先させるか議論になったとき、違憲でないとしている以上、戦術核の使用を優先させる政策を打ち出すことも可能となる。「法律論と政策論で別」だ、「できることを全部やるわけではない」の安倍晋三の言葉は政策上も戦術核を絶対使用しない保証とはならない。
このことは憲法9条と自衛隊の存在が証明する。9条が謳っているところの戦力の不保持・交戦権の否認を巧妙な解釈で変色させて自衛隊という名の戦力を保持することになり、現在、政策的に交戦までさせようとしている。
更に憲法は個別的自衛権を認めているが、集団的自衛権は認めていないとしていながら、憲法解釈で集団的自衛権まで認めて、それを政策の一つにしようとしている。
「法律論と政策論で別」だとする恒常的な保証はどこにもない。
国是にしても絶対不変の性格を有していないと言うことはこういうことである。
山井和則は尚も長崎には入れて広島に入れなかったのかに拘る。安倍晋三の答弁も繰返しである。
安倍晋三「それ(非核3原則)を前提として我々は話をさせて頂いている。その中で広島のご挨拶と長崎でのご挨拶、それぞれどういうご挨拶にしていくかという案分を起案していくわけで、いずれにしても入っていないからといって、我々が国是を変えたということはないということはご理解を頂いたと思う。
それを前提にご挨拶させて頂いたと言うことに尽きます」
保証にならないことをさも保証になるかのように言っているに過ぎない。山井は尚も拘る。
山井和則「元から広島を抜いて、長崎は非核3原則を入れる予定だったのか。広島で批判が出たから、急遽長崎に入れることにしたのか」
安倍晋三「元々広島のご挨拶の案と長崎のご挨拶の案は基本的にセットで起案をしているわけで、その中で重複する言葉もあれば、そうででない言葉もあるし、前年までどうこう使ってきた言葉をどう調節するかということについても、外務省、厚労省、官邸に於いて事務方で協議をしながら、文案を作成します」
挨拶が出来上がるまでのプロセスを述べたに過ぎない。起草された案分を承認するのは安倍晋三であって、自身の名前で挨拶とする以上、その内容には責任を持たなければならない。
要するに事務方に責任を転嫁したに過ぎない。
山井は「ちょっとしたテニヲハではない」と色をなし、広島の被爆者は呆れ、失望していると感情論に走るが、その後やっと肝心な追及に入ることができた。
山井和則「このことと関連するのではないのかと思うが、一昨日(おととい)中谷大臣は今回の安保法案の中で結局弾薬と見做され、核弾頭付きの核ミサイルは法律上、自衛隊が輸送することから排除されないと答弁された。岸田外務大臣もそのとおりだと認めた。
この法理上、自衛隊が他国の領土に、そして核兵器を輸送することは、法理上はですよ、先程(他の議員の質問に)あり得ないとおっしゃいましたが、総理の決意は聞いておりませんから、純粋法理上、核兵器を自衛隊が輸送することは除外されされているのか、除外されていないのか、イエス・ノーで答えてください」
安倍晋三「それは周辺安全事態法(現在参議院提出の「重要影響事態安全確保法案」の前身となる法律)に於いても変わりはないが、そもそも政策的選択肢としていないものをどうだと議論すること自体が意味が無いと思う」
法文上(あるいは法理上)、安保法案が自衛隊による核ミサイルの輸送を可能とする以上、現在、「政策的選択肢としていない」からと言って、将来「政策的選択肢」としない保証はどこにもない。
この答弁に当然のこと、納得せず、自衛隊の核兵器輸送は排除されているのか排除されていないのか、イエス・ノーで答えて貰いたいと再度迫った。
安倍晋三「先程答弁したとおりです。そもそも政策上あり得ない話で、あり得ない話について政策的な判断をする私が答えることは、政策的な判断をするという誤解を与えさせようと、まさに山井さんは考えているのだと思うが、それは全く政策的にはあり得ない話で、そして純粋に法理上ということでありますが、政策的にはあり得ないのだから、まさに机上の空論と言える。
机上の空論だが、法理上は中谷大臣が純粋法理上は答弁したとおりだが、今まである周辺安全事態法でも同じであるが、この場に於いてまさに私が政策的な判断をする行政府の長だが、行政府の長にそういう答弁をさせて、それはあり得るが如くの印象を与えようとする議論は真摯な議論とは言えない」
先程例に上げた集団的自衛権のように「政策上あり得ない話」がいつあり得ることになる変身を見せない保証はどこにもない。政策上あり得ない話が机上の空論であるなら、集団的自衛権の議論は持ち上がることはなかったろう。
実際にあり得ない話しなら、安保法案に誰もがあり得ないと読むことができる条文を書けば済むことである。
だが、そうしないと言うことはあり得ないを絶対と見せかけて、必要となった場合には備えておくという意味を持たせた法律上の輸送可能ということなのだろう。
山井は安倍晋三の「法理上は中谷大臣が純粋法理上は答弁したとおりだが」という発言を捉えて、「今回の法案で輸送することは排除されていないことを認めた」とか、「被爆者団体の方々は輸送することは核兵器を使用することと代わりはないと言っていた」とか、議論を散漫にすることを述べてから、「岸田大臣は法律上、核兵器を自衛隊が輸送できるということを一昨日、『今初めて承知した』と答弁された。安倍総理はその事実をいつからご承知だったのか」と、安倍主導で決めたに違いないことを聞くムダな質問を行った。
安倍晋三は先程の答弁の繰返しを行った。自衛隊の輸送はあくまでも法理上のことで、政策的にはあり得ない話だと。「政策上あり得ない話は起こり得ないんです」等々。
安倍晋三「そもそも弾頭を日本に運んでくれと米国が言うこと自体120%あり得ない。日本側が120%あり得ないということを前提に頼まれたとしても、絶対にやらない。非核3原則もあるのだから。
ただ単に純粋上、それはどうかなと言われれば、理屈としては周辺事態安全確保法と同じです。それはご存知のはずだ。なぜそのことを聞かないのか。周辺事態安全確保法、今でも同じです。純粋に理論であれば。
ですから、法律についてだけどうかと言うことはまさに国民に誤解を与えようとしていると感じざるを得ない」
安倍晋三は自身が法的安定性を無視していることと、一国の首相として傲慢・不遜にも自身を法律にしていることに気づいていない。
法的安定性が「法やその解釈がみだりに変わらないこと、そして、それによって、国民の生活や社会秩序が安定するという考え方」(NHK NEWS WEB)を意味させている以上、政策が法律に厳格に基づいて運用される一体的関係に法律と政策は結びついていなければならない。
だが、法律が認めていることを「政策上あり得ない」とすることを絶対とするのは、法律と政策の一体性を否定し、分離させて、法的安定性を自ら破ることになる。
法律が認めていることを、例え現状に於いては外交上、あるいは内政上の様々な事情からそれを政策とすることはあり得ない話であっても、政策とすることは可能であるとする条件が付されていることによって、法律が認めていることに対する法的安定性を保つことができる。
もし絶対的に政策上あり得ない話なら、法律に於いても政策化することは絶対的にあり得ない条文を設けなければ、法的安定性は保つことができきない。
しかし安倍晋三は法律は認めているとしながら、「政策上あり得ない」を言い募るのみである。
更に安倍晋三は自身が答弁していることを絶対だとする姿勢でいる。法的安定性を無視している上に自身の発言を絶対だとするのは自身を法律と見做していることに他ならない。
俺の発言は間違いないのだから、国民は従えと言っているようなものである。そこに独裁意志を見ないわけにはいかない。
山井和則「安倍総理の答弁はおかしいと思う。私たちが国会で議論しているのは法律です。この法律は10年、20年、30年、将来の日本を左右します。今の政権が政策判断で核兵器を輸送しません。そんな答弁では安心も納得もできない。
法律的に可能だったら、次の政権が核兵器を運びますと言えば、違法ではないんです。絶対にあり得ないというならば、安倍総理、今回の法案の中に核兵器は除外すると明記して貰いたい。そうではないと納得できない」
やっと核心を突くことができた。もっと早くにこの質問をすべきだったろう。
この質問に対する安倍晋三の答弁の最初のところは「あり得ない」の同じ繰返しだから、少しばかり省略する。
安倍晋三「私は総理大臣としてあり得ないと言っているのだから、間違いありませんよ。それは総理大臣として間違いないということを言っているわけだから、そもそもこれはあり得ないということについて、政策的にまるであり得るが如くに議論することは間違っていることを申し上げている」
まさに自身を自ら法律にしている。これ程の傲慢・不遜はない。独裁意志を血としていなければ、自ら法律とすることもないし、こうまでも傲慢・不遜の独善的な姿を取ることもない。
山井は次の政権になっても核兵器を輸送できないように輸送可能な弾薬の中から核兵器を除外する規定を設けて欲しいと法的安定性を求めた。
対して安倍は「私は総理大臣としてあり得ないと言っているのだから、間違いありませんよ」と再び自己を法律とする答弁で応えた。再度の傲慢・不遜な態度の表出であり、性懲りもない法的安定性の無視である。民主国家日本に於いてこれ程の独裁意志の露出はない。
山井和則「憲法を解釈変更して憲法違反の安保法案を出している安倍総理があり得ないと言っても、国民は信用できない。あり得ないことをやろうとしているから、国民は不安に思っているのではないのか」
法的安定性の面から核兵器輸送の除外規定の設定を徹底的に求めるべきを、自衛隊の輸送物品を一々確認するのかと言った質問をした。
安倍晋三が確認すると答え、毒ガスについては国際法違反だから、輸送自体はあり得ないと答えたのに対して山井は確認できるわけないと、米軍に輸送を依頼されるままに輸送する趣旨のことを言ってから、次のように追及した。
山井和則「核兵器は絶対ダメだと排除するよう修正したら国民も納得できる、5年、10年、次の政権、その次の政権が政策判断で核兵器を輸送すると判断した場合は輸送は違法になるのか、違法ではないのか」
法理上、輸送可能であるなら、違法になるはずもない質問を繰り出した。
対して安倍晋三は自衛隊は依頼された輸送の物品を確認すると、あくまでも確認に拘った。確認することで核兵器は除外されることを伝えようとしたのだろうが、単に中身を確認しないまま指令書との合致を確認するだけであった場合は輸送しない保証とはならない。
安倍晋三「核弾頭を(米軍が)日本側に頼むということは120%あり得ないが、それを運ぶ能力も我々は持っていない。その上に於いて我々は運ぶということはあり得ない。
全くない話であって、ここで政策論として議論する意味は無い。
・・・・・・・
これはまさに法理上の話について答弁しているわけだが、政策論としては120%あり得ないわけであります」
アメリカ映画で核弾頭を輸送しているトラックを複数の盗賊、あるいは数人のテロリストがトラックごと奪って逃走し、それを欲している勢力、あるいは一国の軍隊に売って利益を上げようとするのに対してヒーローがそれを阻止するといったストーリをよく見かけるが、積荷の中、あるいはコンテンの中に取り扱い安全の形で収納されていれば、誰でも運搬可能であるはずだ。
それをできないと見せかけるのは、やはり法理上の輸送可能を維持しておくための狡猾な手管にしか見えない。
山井和則「あり得ない、あり得ないとおっしゃるなら、政策判断であり得ないではなく、安倍総理のあり得ないという言葉ほど説得力がないのはない。法律で、安倍総理の言葉ではなくて、私たち政治家は後世の子どもや孫達の時代も戦争のない、核兵器を絶対に輸送しない日本を残す責任がある。
その担保は安倍総理の答弁ではダメです。法律にしっかり書いてください。核兵器、毒ガス、大量破壊兵器、それは絶対弾薬に含まれないと、そのことを法律に書いてください。書けない理由はなんですか」
もう少し単刀直入に質問できたなら、時間が浮いて、浮いた時間をより多くの質問に振り向け、有効活用できるはずだが、残念ながら、そうなってはいない。
安倍晋三「国是として非核3原則を我々は既に述べているわけですし、はっきりと証明をしている。それを全て法律に移しているかというと、そうではない。国是を国是として確立をしているわけだが、国是の上に法律を運用していくのは当り前です」
国是を「全て法律に移しているかというと、そうではない」なら、「国是の上に法律を運用していく」ことは必ずしも可能とはならないことになる。政策は法律に基づくからなのは断るまでもない。安倍晋三は矛盾したことを言っている。
山井和則「その国是を昨日の平和祝典で非核3原則を言わなかったのはあなたではないか」
議論を自分から堂々巡りさせている。
山井和則「第1次安倍政権の時も核兵器を所有すべきだという議論が自民党の中から出てきたのではないのか。安倍総理、なぜこの法案に核兵器の輸送を除外することを入れないのか。全く納得できない。
安倍総理は今までの国是であった平和憲法、専守防衛、そういうものを壊そうとしているのでなないのか。原爆の被害者の方々はおっしゃっています。最近の政府の政策には被爆者の願いに反するものがあり、危惧と危険を禁じ得ない。その最たるものが安保法案だと、被爆者の代表の方々もおっしゃっている。
このような法律上、今日安倍総理が認めたように法律上は自衛隊が核兵器を輸送できるようにする。そのような危険な法律を日本の国に成立をさせることはできない。その撤回を求めます」
安倍晋三「山井委員が前提としているのは全て間違いです」
山井和則「法律的にはその(私が言う)通りではないか。国民が議論するのは法律ですから。以上、質問を終わります」
時間切れである。法案に核兵器の輸送の除外規定を設けることと、その要求に質問をはぐらかすなら、なぜ設けることができないのか、その理由を教えて貰いたいと、その二つのみに拘った質問を執拗に繰返していたなら、少しは安倍晋三をい追いつめることができたかもしれない。
だが、今回の安倍晋三の答弁は法律では認めていることを政策的選択肢としてはあり得ないとすることで法的安定性を平然と無視し、自身が答弁していることは絶対だとする自らを法律とする傲慢と尊大と独裁意識を露わにした独善的な姿を明らかに曝け出すことになった。
安倍晋三の答弁を聞いていて、法案に核兵器は輸送可能な弾薬から除外するとする規定を設けないのは、どう考えてみても、必要となった場合には備えておくための密かな準備にしか思えない。
いつの日にか、あり得ないとしていた集団的自衛権行使を憲法解釈で容認する方向に持っていったプロセスと似た光景を再び見ることになるに違いない。
そんな過去を無視し、山井氏は「核兵器を自衛隊が輸送できるようにする危険な法律を成立させることはできない」と、安保関連法案により初めて核運搬が可能になるとの誤った追及を続けた。お手上げの様子の首相は、こう答弁するしかなかった。
「山井委員が前提としていることは全て間違っています」(内藤慎二)