安倍晋三のウソに気づかなければならない(日本記者クラブ党首討論フェイスブック&萩生田報道圧力議論)

2014-12-03 09:37:37 | Weblog
                生活の党 2014年総選挙公認候補予定者



      生活の党PR

       《 12月4日~9日 小沢一郎生活の党代表・メディア出演ご案内》    

      【ネットニュース】

      〇NOBORDER「ニューズ・オプエド」(12月4日(木)16:00~17:00(生放送))

      「ニューズ・オプエド」番組サイト  

      【ラジオ番組】

      〇文化放送(AM1134)「吉田照美 飛べ!サルバドール」(12月9日15:00~17:50(※代表の出演時
       間は16:15~16:25))

      「吉田照美 飛べ!サルバドール」番組サイト  

      【テレビ番組】

      ○BS11「報道ライブ21 INsideOUT」 (12月9日(火) 21:00~21:54)
 
      「報道ライブ21 INsideOUT」番組サイト 

 12月1日(2014年)の日本記者クラブ党首討論会で安倍晋三に自身フェイスブックに他党議員の批判記事を書き込んだり、安倍晋三の側近の萩生田光一が在京の報道各局に選挙報道の公平中立・公正を文書で要請したことに質問が飛んだ。

 安倍晋三は例の如くにウソとゴマカシを並べ立てて自身の行為と萩生田光一の報道に対する政治介入を正当化した。

 国民は安倍晋三のウソとゴマカシに気づかなければならない。国家の指導者がウソつきでゴマカシ屋だという逆説は滑稽であると同時に恐ろしいことである。裸の王様を裸だと言うことができずに立派な立居振舞いをしているかのように尊敬し、従うことを意味する。

 ウソから真(まこと)の政治が生まれるとは思えない。

 橋本五郎読売新聞特別編集委員「段々時間がなくなってきました。確認なんですがね、フェイスブックね、あれは自分でやっておられるんですか」

 安倍晋三「あの、一フェイスブックは私が運営しているのは、私個人のフェイスブックとですね、官邸で出しているものがあります。私個人のものについては、私が書く場合と秘書が、それは秘書として書いている場合があるということでありまして、えー、で、なるべく、あのフェイスブックを使って、こういうマスメディア以外でも、多くの方々にタッチをしていきたいと思います」

 ここで小沢一郎生活の党代表が前の答弁で昨日の当ブログで書いたように行政のタテ割りが原因で東日本大震災の復興が思うようにできていないと指摘したのに対して安倍晋三はウソ八百を並べ立てて安倍政権下では復興がさも進んでいるかのように自らの成果を誇った。

 そのウソ八百が終えたところで、橋本五郎が再びフェイスブックについて尋ねた。

 橋本五郎読売新聞特別編集委員「あの、先程なぜフェイスブックを聞いたかと言いますとね、一国の総理大臣がね、いちいち、ま、その、社会現象が起きていることについて、そんな言うってことがね、これ、やることなのかっていう根本的な疑問があるからなんですよ。もっと大きく構えていなきゃいけないんじゃないかと、そういう疑問があるから、敢えてフェイスブックのことを聞いたんですよ」

 安倍晋三「ま、これはですね。時代の、おー、(フッと笑いを漏らしながら)変化なんですね。えー、これは様々に私の生の声を聞くというのは、えー、新聞社の方々しか聞けなかったのがですね、フェイスブックを通して市井のみなさんにも届くのは事実、であります。そのことで色々とご批判はいただきますよ。でも、私は敢えてその批判は、あー、甘受しながらですね、えー、この新しい時代に於いて、私の考え、生の声。こういうことについてどう感じているかということについても発信をしていきたい。

 で、フェイスブックというのはそれに対する批判も載りますし、えー、賛同もあります。で、そのフェイスブックに声を、おー、えー、寄こして、えー、声を、この、えー、寄せて頂く方同士のま、ですね、議論もあるわけであります。

 でも、これがですね、まさに今、時代に於いて大きな役割を担っているのは事実なんだろうと、えー、こう思いますわけであります。

 官邸のフェイスブックで言えばですね、フィリピンに対して、えー、自衛隊が1200人派遣されました。災害派遣。これ、えー、もう、圧倒的にですね、世界中のフィリピン人の方々が、えー、感謝のコメントを寄せていただきました。つまり、フェイスブックというのはそういう役割も担っているんだということもですね、どうか私はご理解もして頂きたいと。

 えー、これからもですね、是非活用していただきたいし、この選挙戦もですね、このSNSを活用していいということになったんですから、この批判も含めて我々はですね、しっかりと受け止めながら、活用していきたいなあと、思っています」

 倉重篤郎毎日新聞政治部長「安倍さんですね、いいですか。ね、権力と報道っていうことで、一つ聞きます。11月20日付で、自民党の萩生田筆頭幹事長、名でですね、民放各局にね、えー、いわゆる中立公正の報道のお願いという文書を出しました。

 それを見るとですね、きめ細かくですね、そのー、出演回数とかですね、出演時間云々、それからその、過去のね、そのー、映像をどう使うか。あるいは、えー、街頭の話をどう選択するかについてまでね、色々と注文がついている。

 これはですね、過去になかった話ですし、それから諸外国ではあんまり聞かない話です。政権政党がですね、その手のですね、ある意味ね、その、圧力とも取られる、自粛にもつながるようなことをすべきなのかどうか。これはね、ちょっと安倍さんにゆっくりと考えていけない話だと思うんですよ。えー、中ではね、実際にそういう自粛ムードが生まれている、って言ってますよ。

 自粛する方が悪いかもしれませんけどもね、その辺あなた、どうお感じでしょうか」

 安倍晋三(仕方がないなあっていう感じで笑いながら)「えー、先ずですね、先ず公平公正というのは当然のことなんだろうと思います。公平公正ではなくて、何か思い込みを持って、事実ではない報道をしようということがあればですね、えー、その公平公正というのは、(左胸に手を当てて)中に刺さるんだろうと。

 公平公正にやっている方々は当然、公平公正にやって頂ければいいんであって、でー、米国はですね、フェイネスドクトリンがテレビにはない。フェイネスでなくていいんです。自由にやっていいです。しかし、日本は、その、一方的に、えー、ある党を貶めようとしてやっていけばですね、できるわけでありますから、しかし、それは、えー、当然ですね、えー、公平公正にやっていけば、全然問題はないんだろうと思うわけであります」

 倉重篤郎毎日新聞政治部長「あれは、安倍さんのご意向ですか」

 安倍晋三「いちいち私はそんな指示は致しません。党としてですね、そういう考え方でやったんだろうと思いますが、公平公正にもしやっておられるんならば、えー、何の痛痒も感じられないんではないかなあと思います」

 倉重篤郎毎日新聞政治部長「なんでそこを信用できないんですか」

 安倍晋三「今まで例えば、かつて椿事件というのがありましたよね」

 倉重篤郎毎日新聞政治部長「あれとは違いますよ」

 安倍晋三「いや、でもありましたよね。それあんとき、我が党は、えー、この問題をかつて細川政権ができたわけでありますが、あれとこれは違うじゃなくて、まさに、ああいう問題が起こってはならないということも当然あるわけです。あれとこれではなくて、あれこそやっぱり問題じゃないですか」

 倉重篤郎は話題を変えて、安倍晋三の健康問題を聞く。

 枝野民主党幹事長が国会で閣僚の「政治とカネ」の問題を追及したのに対して安倍晋三は「かつて枝野が殺人や強盗や窃盗や盗聴を行った革マル派活動家が影響力を行使しているJR総連や、JR東労組から献金を受けていた」と、直接革マル派活動家から献金を受けたわけではなく、正当に社会活動をしている団体からの献金を言いがかり同然で批判して、マスコミやネット上で大人気ないとか、端ないだとかの批判を受けた。

 この2日後、安倍晋三の秘書が安倍晋三のフェイスブックを使って執拗にも同じ趣旨の批判を展開した。秘書がわざわざ同じ批判を買って出るとは考えにくいから、安倍晋三が秘書の名を騙って書き込んだか、秘書に書かせたか、どちらかだろう。

 安倍晋三の国会答弁に対する世間の批判が我慢できなかったに違いない。

 例え秘書が買って出たとしても、秘書のすべきことではないし、すべきでないことを安倍晋三のフェイスブックに載せることになるのだから、一国の指導者がそれを許していい理由とはならない。

 もしネット上の安倍ファンを味方に付けて、その数の多さで自分の枝野批判は正しかったと見做して治まらなかった腹の虫を治めたかったのだとしたら、それこそ大人気ない、気持が狭いだけの話となって、一国の指導者としての大人であるべき自らの人格性を自ら損なっていることになる。

 確かにフェイスブックやツイッター等の、一般的にはネット上の双方向のコミュニケーションの場として、あるいは手段として利用されているSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)の登場は時代の変化を現すが、それはあくまでも機能性の話であって、立場上、書くべきではない内容の書き込みを行って、これは時代の変化だと自己を正当化することはできない。

 この点についての認識が安倍晋三にはない。

 もしその手の正当化をするなら、ウソつきが新たなウソでウソの正当化を図るようなものである。

 安倍晋三は「私の生の声を聞くというのは新聞社の方々しか聞けなかった」と言っているが、既に時代の変化を受けていて、テレビでいくらでも生の声を聞くことができる。SNSと違って、表情まで見て取ることができるから、時には言葉には現れていない感情を読み取ることもできる。

 また、「生の声」イコールウソ偽りのない正直な声とは限らない。特に安倍晋三に関してはそのように言うことができるが、安倍晋三は自身の「生の声」をイコールウソ偽りのない正直な声だと信念している。まるで根っからのウソつきが自分程の正直者はいないと信念しているように。

 大体がフェイスブックの自身の書き込みを正当化するために生の声を「新聞社の方々しか聞けなかった」と間違えたことを言っていること自体の認識力の見当違いには驚かされる。

 SNSに書き込んだ言葉を「生の声」とすること自体、機能性の問題に過ぎない。書き込むこと自体の正当性、書き込みの内容の正当性が問われていることに、知らぬが仏なのだろう、気づく力を持たない。

 安倍晋三は自身の生の声を「フェイスブックを通して市井のみなさんにも届くのは事実であります」と言っているが、首相の立場から一般国民を「市井のみなさん」と形容するのは自身を高みに置いて国民を低く見た言い方であるはずだ。SNSはそれぞれの立場を離れて、対等な個の立場からの双方向でなければならないはずだからだ。

 安倍晋三は自身のフェイスブックの書き込みに批判を受けることがあるが、そのような批判は「甘受する」と言っている。だが、私が批判記事を書き連ねると、ブロックを受け、現在アクセスできない状態になっている。

 ブロックされたのは他にもかなりいるようだ。 

 いくらSNSが個の立場からの意見交換の場であったとしても、安倍晋三はごく個人的な話題を書き込んでいるわけではない。首相の立場から、国政に関わる話題を提供している。そのことに対する批判をブロックするのは一種の言論封殺に当たる。

 さらに外部からの批判のコメントにしても賛同のコメントにしても、安倍晋三に届けるだけではなく、安倍晋三のフェイスブックを介して、そこに訪れる不特定多数者の目に触れさせて、それぞれの目から更に拡散させたい目的でコメントする。それをブロックという形で遮断するのはSNSならではの機能を自己都合で変質させて都合の悪い言論を排除することになるばかりではなく、外部からの批判の正当性の判断を自身のみの基準に頼ることになって、結果として自身の主張に同調、もしくは賛同する都合のいいファンだけを周囲に集めて一種のお仲間状態をつくることになり、首相でありながら、自分と自分に似た判断の世界に安住するという皮肉な結果を招きかねない。

 SNS上のこういった遣り方は日常普段で行っている、自分の都合のみで他者の意見や考えを取捨選択する反映としてはるはずである。

 いずれにしても批判の「甘受」とブロックは相反する。ウソとゴマカシを並べて、世間の批判をかわしたに過ぎない。2013年11月8日にフィリピンを襲った超大型台風30号によって多くの死者を出し、大きな被害を受けた際、自衛隊を派遣したことを言うのだろう、官邸のフェイスブックに、「世界中のフィリピン人の方々が感謝のコメントを寄せていただきまし」と言っていることは、フェイスブックの機能の素晴らしさを言うことで、秘書を使って枝野議員を批判したことを正当化しようと魂胆した、ウソとゴマカシを得意としていなければなかなかできない問題のすり替えに過ぎない。

 いわば官邸のフェイスブックに世界中から感謝のコメントが寄せられたから、自身のフェイスブックに秘書名で書いたコメントは間違っていませんと言っているのと同じである。

 安倍晋三の側近の萩生田光一が在京の報道各局に選挙報道の公平中立・公正を文書で要請したことについて、日本には放送法があるから、その法律通りにフェアネス・ドクトリン(公平原則)に報道を行えば「全然問題はないんだろうと思うわけであります」と答えている。

 だが、この「全然問題はない」ことを以って萩生田の文書要請を問題はないとすることはできない。全然別の問題である。

 確かに放送法に則って公平中立・公正に報道を行わなければならない。放送法は「政治的に公平であること」と謳っている。だが、法律はそれを守る・守らないは個人や放送チームの判断・責任であって、守らずに違反したとき、初めて法律の出番となる。

 いわば守らなかった時のみ法律によって律することのできる。法律でもないアカの他人の萩生田が例え報道側が過去に犯した例があったとしても、現在は法律を踏み外していない以上、文書で律していい問題ではない。

 であるにも関わらず、前以て政治側が文書で公平・公正求めるのは何らかの思惑があるからこその要求であって、政治圧力となり得る。

 倉重から、文書要請は安倍晋三の意向かと質問されて、「いちいち私はそんな指示は致しません。党としてですね、そういう考え方でやったんだろうと思いますが」と答えているが、党総裁は安倍晋三である。

 例え知らなかったことだとても、党総裁としての責任範囲内の萩生田の行動となる。知らさずに文書を出したことも問題だが、知らされなかったことも、党総裁として問題となる。

 「公平公正にもしやっておられるんならば、えー、何の痛痒も感じられないんではないかなあと思います」と言っているが、文書を出したことによって何らかの「痛痒」が生じるのであって、そのことを認識もせずにこう答えることができるのは、文書を出したことは問題なしと正当化を図る答としているからだろう。

 答弁に数々のウソとゴマカシを忍び込ませている。ゴマカシもウソつきの性格から発する。
  
 安倍晋三のマシンガンの弾のようにこれでもかと撃ち出す数々のウソとゴマカシに気づかなければならない。自民党に一票を投じることは、安倍晋三のウソとゴマカシに気づかない有権者となる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 安倍晋三のウソに気づかなけ... | トップ | 安倍晋三の解散・総選挙の狙... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事