NHKニュースその他から麻生や他閣僚の言葉を観る(2)

2009-02-18 09:45:55 | Weblog

 NHKニュースは次いで小泉元首相の麻生批判を受けた各派閥の会合を伝えた。

 古賀誠選対委員長「緊迫した国会の連続ですから、申すまでもないことでございますが、与党に不協和音が出ると、これが一番困るわけですよ」――

 仲のいい夫婦だって、ときにはケンカをする。まともに政策を争って生じた不協和音ならまだしも、選挙の足が引っ張られることだけを心配した程度の低い不協和音だという認識がないまま、古賀誠は「誠」という名にふさわしい表面的な解釈に終始している。

 古手の議員でありながら、表面的な解釈を事とする。以前の言葉と併せ考えると、世渡り上手で古手、派閥のボスにのし上がった政治家像を言葉から量ることができる。

 山崎拓「来るべき、あの、決戦を控えている、うー、うー、うー、我々の、うー、うー、身をも十分、お考えいただいて、雄弁は、あー、銀ではございますが、銀に過ぎませんで、沈黙は金と言うこともありますから――」

 山崎拓にこそ必要な「沈黙は金」のようにも見える発言となっている。「我々の身」よりも「国民の身」を考えるべきだが、「我々の身」のみの利害損得としている。首相は政策遂行責任者として、説明責任、情報公開責任を負うがゆえに(勿論結果責任も)、国民に対して雄弁でなければならない。と言ってもただ喋ればいいというわけではなく、明確に理解できる簡潔な言葉が求められるが、そのような立場にある首相に対して「沈黙は金」と口を閉ざすことを強いて、ただ選挙に勝ちたいばっかりに説明責任と情報公開責任から勝手に解き放とうとしている。

 体重は重そうだが、言葉は重くも何ともない人間を観ることができるではないか。
 
 伊吹文明「玄人にはまったく、あの、ぶれていない、発言として、理解ができますが、やはり、一般の方々にはね、あれだけの説明を、やはり、加えても、総理のことが分かっている人でないと、なかなか理解ができないんですよ――」

 国民に対して常に説明をする責任を負う立場にあるのだから、「一般の方々に」理解できる言葉を持っていることが不可欠の資質となるはずだが、そのことに反する「総理のことが分かっている人でないと、なかなか理解ができない」という言語能力(=説明能力・情報能力)とは何を意味するのだろうか。

 答は唯一つ、己の党内立身出世のために自身の主義主張よりも妥協を優先させてきたから、いざ自身の主義主張を前面に出すと、説明あるいは情報に破綻が生じることとなった醜態に過ぎない。

 麻生太郎に限ったことではないが、政治家の主義主張は国民全般の利害損得に合わせるべきものだが(特定の一部ではない)、多くの政治家が実質的には党内という狭い世界で党内力学の利害損得で成り立たせた利害損得が基準の主義主張となっているから、国民と顔を向き合わせたときの主義主張にしても自身や党の利害損得を基準とし、それを巧妙に隠したものとなる。

 伊吹の発言に戻るが、言っていることが全体的な政治光景としても事実その通りだとしたなら、麻生政治は「一般の方々」を排除した玄人限定の内々の政治ということになる。

 「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」だと頭から信じ込んでいる日本民族優越意識に染まった伊吹だから、優越日本民族の中でも「玄人」なる一段上の優越者限定の政治にしたいのだろうが、憲法は第14条で「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(「法の下の平等」)を謳い、一定の年齢を満たすこと以外の制限を受けない普通選挙が認められている民主国家である。

 そのことへの客観的な視点を欠いた「玄人」云々であり、「一般の方々には理解できない」といった解釈なのだろう。

 国民に背を向けて帝国ホテルといった高級ホテルのレストランで高級な料理に舌鼓し、バーに移って、高級ブランデーで喉を潤すことを習慣としている高級志向人間の麻生なのだから、一般国民のごく普通の感覚に馴染みがないのも無理はない、伊吹の言う“玄人政治”ということかもしれない。

 だが、伊吹の客観的視点の欠如は東京大学に次ぐ(?)京都大学という最高学府で学んだ知性に逆説する位置関係を持つことになるが、どう説明したなら、その逆説を説くことができるのだろうか。学歴自体を権威主義で把えていて、権威主義のみを学んだとしたなら、自身の学歴に権威主義的な優越性を置いていることだろうから、「一般の方々には理解できない」「玄人」政治といった特権性を持たせた権威主義的な考え方が成り立つのかもしれない。

 NHKニュースはこれでもかと自民党若手の声を伝える。

 山本一太「説明すれば説明するほど、ぶれてしまうと、いう、ちょっと悪循環に陥っているので、あんまり余分なことをおっしゃる必要はないと思うんですね――」

 一国の総理大臣が自分よりも年下の一議員に「あんまり余分なことをおっしゃる必要はないと思うんですね」と発言を注意される。どこの国の政治世界にもあることなのだろうか。

 このことは総理大臣として一個の存在足り得ていないということを示していないだろうか。自律した存在となり得ていないから、周囲からの干渉を受ける。

 一個の存在足り得ていない、あるいは自律した存在となり得ていないという状況とは主体性の発揮が困難な状況を言い、当然のこととしてリーダーシップの欠如を響き合わせることとなる。リーダーシップがなければ、呼応して求心力を失う。

 このことがそっくり世論調査に現れることとなっている。

 中山泰男衆議員「そういったことがあるたんびに若手が、こういった、あー、下らんことに巻き込まれてしまう、ということはやはり、いけないと思いますが――」

 若手の立場からの利害損得を言っている。

 伊藤達也元金融相「総理が今おっしゃるべきことは郵政民営化の中身を見直すということよりも、景気をちゃんと立て直すということだから――」

 ご教授いただいちゃった。

 塩崎元官房長官「総理、の発言ていうのは、大体重たい、もんであります。あの、ぶれているとね。・・・・・原点に立ち返って、もう、ぶれないというふうにしていただくほうがいいんじゃないですか――」

 元官房長官なのに、たいしたこと言えないなあ。

 若手であろうとなかろうと、総裁選挙で麻生に例え1票を投じなくても、自民党としては麻生を総裁に選び、総理大臣に仕向けた。誰もが党全体の責任に向けた視点を欠いているのは、欠いていなかったなら、所属国会議員一人ひとりの責任に撥ね返ってきてまずいことになる利害損得からの視点の欠如なのだろう。

 麻生がたいしたことのない総理大臣だということは自民党議員が全体としてはたいしたことのない議員ばかりだと言うことである。

 麻生が騒動を引き起こした自らの一連の発言を国会で謝罪する。
 
 麻生首相「(顔を下に向けて答弁書を読み上げる)私は常に一貫した主張をしてきておると、存じ、存じておりますので、(答弁書から顔を上げる)色々、誤解があるようでなければ、私にとりましては、今後誤解のないように務めていきたいと思います」

 録画を何度巻き戻して何回も聞き直しても、「誤解があるようでしたら」ではなく、「色々、誤解があるようでなければ」としか言っていない。答弁書自体が本心からの反省を書き込んだ文面ではないから、顔を上げた瞬間から本心が顔を覗かせたのだろうか。機械的に早口にパッパパと喋った様子にもそのことが現れていた。

 既に触れたように「誤解」とは話し手側の説明不足である場合を除いて、事実や言葉などを説明の受け手側の理解不足や勝手な解釈によって誤って判断されることを言い、その非は話し手側にあるわけではなく、説明の受け手側にあることになる。

 麻生にしても自分が国会や記者会見で喋った言葉を「誤解」だとして、自分に非はない、周囲に非があるとしている。いわば周囲の理解不足や勝手な解釈で起きている騒動に過ぎないと。だから「私は常に一貫した主張をしてきておる」という言い分が可能となる。

 すべては周囲の理解不足、あるいは勝手な解釈による「誤解」――自分に非のないことだから、答弁後段の「色々、誤解があるようでなければ、私にとりましては、今後誤解のないように務めていきたいと思います」は偽りの謝罪に過ぎないことになる。

 また本来はそれが説明不足である場合は「誤解のないように務め」るのは説明の話し手側にあるが、そうでなければ、「誤解のないように務め」るのは説明の受け手側にある。非が周囲にある「誤解」だとして置きながら、説明不足による「誤解」だと受取れる謝罪としているが、自分から矛盾を犯すようなものだが、やはり偽りの謝罪だから平気でできる矛盾に違いない。

 上記麻生の言葉だけからでも、なかなかの鉄面皮漢、あるいはハレンチ漢の姿を量ることができる。

 中川昭一財務・金融相が2月11日、都内開催の建国記念日を祝う式典で<首相や自身の漢字の読み間違い、給付金受領をめぐる首相発言のぶれなどを批判する報道に不満を示した>内容の挨拶したと同日付の「時事通信社」記事≪首相の給付金受領「どうでもいい」=読み間違い批判に不満-中川財務相≫に出ている。

 「(麻生太郎)首相が言い間違えたとか、中川が言い間違えたとか、定額給付金を(首相や閣僚が)もらうのか、もらわないのかとか、そんなことはどうでもいいだろうと思っている」

 「政府も与党も日本の経済をどうやってよくしようかと必死に頑張っているので、言い間違いもあるだろう」

 (今国会の財政演説で「渦中」を「うずちゅう」と読み間違えたことにも触れ)「国が一致団結して(景気浮揚のために)戦わないといけないときに、後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』と言っている間に、戦いがおかしくなったら皆さんに申し訳ない」・・・・・・・・

 言い間違えに気づかなければ、後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』」と謝罪はできない。1月28日の衆院本会議で行った財政演説では26箇所も間違えがあったというから、気づかないまま演説を終えたということで、後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』」と謝罪するどころではなかったはずだが、それを後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』と言っている間に、戦いがおかしくなったら皆さんに申し訳ない」などと薄汚い弁解をする。

 間違いに気づけば気づいた時点で咄嗟の反応として謝罪の言葉が出るのが人間の自然な心理のはずだが、百歩譲って気づいていたことにしても、「後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』と言っている間に、戦いがおかしくなたら皆さんに申し訳ない」からと謝罪を後回しにするだろうか。

 大体が政策に関わる法律が審議され、賛否の投票を受けて成立して実施されるまでの時間に比べたなら、「後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』」と謝罪する時間はどれ程のものだろうか。「戦いがおかしくな」る程の時間を必要とすると言うのだろうか。

 間違えの挽回は今後間違えないように努めるか、国民に称賛される政治を行って間違いを些細なことに変えるしかないはずだが、過ぎたことをいつまでも拘って「建国記念」の話題とは関係のない個人的な弁解の機会に利用する。

 些細な失敗にいつまでも拘るのは自尊心が過度に強すぎることも一因となる人間像であり、同時に合理的に物事を考えることができないことが原因する人間像でもあろう。

 7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見の場での酩酊疑惑が生じて、今朝のニュースが引責辞任したと伝えていたが、気が小さいことから些細なことにいつまでも拘る神経質な自尊心が強迫神経症にまで高まっていて、アルコールで殺すこととなっていた飲酒癖が災いした飲酒記者会見といったところではないかと見ていたが、テレビニュースで見ると、明らかに風邪薬が原因した朦朧状態ではない。

 そのことは辞任が証拠立てている。

 笹川尭総務会長「(首相が)独り相撲すると、時間のロスで体力を消耗するだけ」(「毎日jp」

 「独り相撲」なのは麻生だけではない。自分たちで総裁に選んで首相に押し上げた麻生である。その麻生に振り回されて、党内対立や党内騒動を引き起こしている。麻生では選挙が戦えないと周章狼狽している。いわば首相の「独り相撲」は自民党の「独り相撲」でもある。自民党も「時間のロスで体力を消耗する」。

 この短い言葉だけからでも、物事の全体を見る目を持たない笹川尭という人間を量ることができる。



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