『役務賠償』解明は戦争総括の一つとなり得る
〈第2次世界大戦後、旧ソ連によってシベリアに抑留された元日本兵ら計57人(うち5人は死亡)が、国に1人当たり1100万円の損害賠償を求めた訴訟で、京都地裁は28日、原告側の請求を棄却する判決を言い渡した。 〉と10月28日(09年)付「asahi.com」記事――《シベリア抑留、賠償請求棄却「政治的決断待つべきもの」》が伝えている。
原告側は冷戦終結後にロシアで見つかった資料をもとに終戦後にシベリアなどに連行され、強制労働に従事したのは大本営の参謀や関東軍が旧ソ連に日本兵の抑留と強制連行を認めたからで、国による遺棄行為や安全配慮義務違反があったと賠償請求。
国側「過去の訴訟で解決済みの問題を蒸し返しているにすぎない」
吉川慎一裁判長「抑留被害は深刻かつ甚大なものだったが、(現在まで補償を定めた立法や予算措置がないことに触れ)政治的決断に待つべきもの」と政治的解決を求めた。
〈大本営の参謀や関東軍が旧ソ連に日本兵の抑留と強制連行を認めた〉とは自民党歴代内閣が日米核密約と同様、一切認めてこなかった「役務賠償」を指す。
既に広く知れ渡っているが、「役務賠償」は終戦間際の1945年7月にソ連に日米和平の仲介を依頼すべく近衛文麿を特使としてソ連に派遣することを決定、ソ連の特使受け入れの拒絶に遭って実現しなかったが、近衛文麿は側近と共に作成した仲介交渉の取り決め条件を記した『和平交渉に関する要綱』の中に既にその姿を現している。
〈(四)賠償及び其の他
イ、賠償として一部の労力を提供することには同意す。〉――
【役務賠償】(えきむばいしょう)とは「労力を提供することによって相手国に与えた損害を賠償すること」(『大辞林』三省堂)である。
少なくとも近衛文麿はそう考えていた。
しかしこの考えは近衛一人のものではなく、関東軍司令部が実際にソ連に申し出たとする内容を1993年7月6日付の『朝日』記事――《関東軍司令部から申し出 旧満州捕虜のシベリア使役》が伝えている。
シベリア抑留経験者で組織する全国抑留者補償協議会(山形県鶴岡市)の斉藤六郎会長がロシア国防省の公文書館で発見した山田乙三関東軍総司令官がワシレフスキー極東ソ連軍総司令部に送ったと見られる報告書によって明らかになったという。日付は8月15日終戦の日から約半月経過した1945年8月29日、関東軍はまだ現地に残り、ソ連と関東軍の武装解除等の交渉の目途をつけていた段階で、その中での申し出だという。
(帰国までの間)「極力貴軍の経営に協力するが如くお使い願いたい」
記事の言葉を使うと、「国際法に基づいて捕虜の即時送還を求め」ずに、逆に労働に使ってくださいと捕虜を差し出し、最終的なステップとして関東軍の撤退を置いていたのである。
これは上から下に仕向けた犠牲強要の力学に則った一種の国家権力による棄民に当たる。他者に犠牲を強いることによって自らを助ける生贄の構図そのものを窺うことができる。
記事は次のように書いている。
〈シベリア抑留問題では、関東軍がソ連側に「役務賠償」の秘密提案をしたとの疑惑がくすぶり続けていたが、初めて文書で裏付けられた。〉――
さらに1993年8月13日の『朝日』記事――《大陸残留の邦人180万人 大本営、「土着化」を想定》は、〈終戦直後の混乱の中で、当時の大本営が旧満州や朝鮮半島の民間日本人やソ連の捕虜となった軍人計180万人を、ソ連の指令下に移し、国籍離脱まで想定、病人などを除き現地に「土着化」させ、事実上“棄民”化する方針を固めていたことを示す朝枝繁春大本営参謀名の視察報告書がロシア軍関係の公文書施設で発見された。〉と伝えている。
報告書の日付は昭和20年8月26日付、関係箇所の具体的内容を次のとおりになっている。
「今後の処置の部
内地ニ於ケル食料事情及思想経済事情ヨリ考フルニ既定方針通大陸方面ニ於テハ在留邦人及武装解除後ノ軍人ハソ連ノ庇護下ニ満鮮ニ土着セシメテ生活ヲ営むム如キソ連側ニ依頼スルヲ可トス。・・・・満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス」――
60万人の軍人がシベリアなどに強制労働に連行され、6万千人の死者を出すに至ったのはその後のことだという。
記事は朝枝繁春の談話を載せている。
大まかに紹介すると、「自分の筆跡ではなく、偽造されたものだが、これに似た内容の文書を作成、打電した。関東軍に残ったものがソ連軍に押収されたのかもしれない。私の独断で起草、打電したもので、大本営、日本政府の意向ではない。結果的に日本人の抑留に影響したかもしれないが、独断で指示を出したことは反省しており、懺悔したい」
話に矛盾がある。「関東軍に残ったものがソ連軍に押収された」のだとしたら、偽造する必要は生じない。筆跡にしても、そのとおりに残るはずである。
また、「独断で起草、打電したもので」、「大本営、日本政府の意向ではない」と言っているが、「既定方針通」と、その「方針」が既に決まっていたこととしている。
当然、「打電」は「既定方針通」の実行を促す意図を持たせていたはずである。
例えそうではなくても、「打電」後の段階で、大本営に参謀としての意向は伝わっていたはずである。朝枝繁春大本営参謀名の視察報告書の日付が昭和20年8月26日付、最初の記事の関東軍司令部からの申し出の日付はその3日後の1945年8月29日である。難しい暗号の場合は解読に日数がかかると言うことだが、既に日本は降伏している。暗号化する必要がなかったと考えると、電報を手段とすれば、3日の間に関東軍総司令部に朝枝の意向が東京の大本営本部を経由して反映されていたことは十分に考え得る。
関東軍総司令部にしてもいくら自分たちが生き残りたいと思っても、大本営の方針を無視して「極力貴軍の経営に協力するが如くお使い願いたい」とは言えないはずである。
ソ連側の日本人シベリア抑留者に対する強制労働が実際に日本側が許容した「役務賠償」であるなら、国は「過去の訴訟で解決済みの問題を蒸し返しているにすぎない」で片付けるわけにはいかなくなる。当然、裁判に影響を与えて、判決も違った姿を取る可能性が生じる。
何よりも戦争の総括の一部としてシベリア抑留が日本側が申し出た「役務賠償」に基づいていたのかどうか、間違いなく国家権力による“棄民”だったのか、核密約解明と併行させて解明すべきだろう。
鳩山首相が以前からシベリア抑留問題解決に意欲を持っていたと紹介する記事がある。以下全文参考引用。
≪記者の目:シベリア抑留者補償=栗原俊雄(東京学芸部)≫(毎日jp/2009年10月15日 0時12分)
官僚主導から政治主導への移行、大規模公共工事の見直し、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出量の大幅な削減……。自民・公明の2党連立から民主・社民・国民新の3党連立へ政権が代わり、日本や世界の行く末を左右する課題が次々と大きく動き出した。一方、今回の政権交代によって、60年以上前にさかのぼる問題が解決するのではないか、と期待している人々がいる。第二次大戦後、シベリアに抑留された人たちだ。
ソ連がシベリアへ連行した日本人は約60万人。そのうち約6万人が抑留中に亡くなったとされる。この問題は「歴史の一コマ」ととらえられがちだが、抑留者たちは今も、失われた尊厳を取り戻すために闘っている。鳩山由紀夫首相は以前から、問題解決へ向けた決意を繰り返し表明してきた。政権を取った今こそ、約束を果たすべき時である。
全国抑留者補償協議会(全抑協)の会長を務めていた寺内良雄さん(昨年10月死去)らをしのぶ会が、昨年11月に東京都内で開かれた。その際、鳩山氏が行ったスピーチが印象に残っている。「祖父一郎が抑留された方々を戻すことは手伝ったが、その尊厳を取り戻すまでには至らなかった。労働の対価は(現状では)日本が負うことは当然だが、政府は慰謝で済ませようとしてきた。それでは尊厳は回復されない」。言葉は熱を帯び、力がこもっていた。
私は抑留者の取材を続けている。極寒の地での過酷な強制労働、日本人同士のきずなを切り裂いたソ連式共産主義の洗脳教育、抑留者が今も抱えている肉体・精神的後遺症。そうした抑留の実態について、今年1月28日の本欄などに記した。これは明らかに国際法違反である。抑留者には賠償や労働賃金の支払いを求める権利があった。
1956年の日ソ共同宣言により、最後までシベリアに残されていた日本人約1000人の帰国が実現した。一方、戦争に関する賠償請求権を相互に放棄したため、ソ連に補償を求める道は絶たれた。共同宣言を実現させたのは当時の鳩山一郎首相である。
抑留者は日本政府に補償を求めるしかなくなったが、応じてもらえない。全抑協は訴訟を起こしたものの、1、2審とも敗れ、97年に最高裁で敗訴が確定した。原告らの損害は「国民が等しく負担すべき戦争損害であり、これに対する補償は憲法の予想しないところ」(東京地裁)などという「戦争被害受忍論」の壁が高かったのだ。
全抑協は運動方針を変え、補償を可能にする法律の制定を目指して、民主党などに働きかけた。民主・共産・社民の野党3党は05年、国が30万~200万円を支払う法案を衆参両院に提出したが、「郵政解散」で廃案となった。
その後、野党が法案を再提出したとき、衆院総務委員会で趣旨説明をしたのが鳩山氏である。「生存しておられる方々の平均年齢も84歳前後、一刻も早く本法案を成立させなければ」。06年、この法案は否決され、自民・公明の連立与党が旅行券10万円分などを「特別慰労品」として贈る法案を成立させた。
だが、抑留者の多くは不満を抱いた。「賃金なしに働くのは奴隷。奴隷のまま死ぬわけにはいかない」(平塚光雄・全抑協会長)という思いである。だからこそ「慰め」ではなく、国家による「補償」を求めているのだ。全抑協とは別に行動する抑留者30人は07年末、国に賠償を請求する訴訟を京都地裁に起こした。今月28日に判決が下される。
民主党などは新たに、国が25万~150万円を支払うことなどを定めた「戦後強制抑留者特別措置法案」をまとめ、09年3月に参院へ提出した。「今度こそ」と抑留者の期待が高まっていた5月、参院議員会館で全抑協設立30周年を記念する会が開かれた。ここにも鳩山氏の姿があり、「参議院だけでなく、衆議院でも皆様の思いが通る政治に変えていきたい」と語った。政権を獲得して問題を解決する、という約束であろう。
その後、同法案は衆院の解散に伴って廃案となった。8月30日投開票の衆院選を前に、全抑協は「私たちにとって最後の総選挙。最後の一票を有効に行使しよう」と抑留者やその遺族、関係者に呼びかけた。そして、民主党は歴史的勝利を収めた。
生存する抑留者は約9万人で、平均年齢は87歳と推定される。多くの人は「国は我々が死ぬのを待っている」と語ってきた。国家への不信感は、それほど深いのだ。
抑留者に残された時間は少ない。戦後政治に翻弄(ほんろう)され、司法から突き放されてきた彼らに手を差し伸べられる機会は、今回が本当に最後だろう。「問題山積で後回し」は許されない。そのことは鳩山首相や民主党などもよくわかっている、と信じたい。
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