王族・皇族に対する死去に伴う自粛という名での改めての権威づけは個人の尊重に対する権威の優越化の発動

2016-10-17 11:36:47 | Weblog


 タイのプミポン国王(88)が10月13日に死去し、この日からタイは1年間の服喪期間に入った。

 タイ国民の国王に対する敬愛は厚いものがあるとうことで、かつての昭和天皇の死去時前後のように日常的な社会活動の自粛が始まり、在タイ日本企業までその自粛に巻き込まれているようだ。

 2016年10月14日付「NHK NEWS WEB」記事がその様子を伝えている。       

 あるいは自粛に対応しなかった場合のタイ国民の反発を恐れて自主的に巻き込まれているのか。

●精密機器大手のキヤノン――タイの国内のプリンターや複合機生産の三工場(現地採用合わせて1万4000人の従業員)は10月14日朝から操業停止。週明けの来週月曜日以降の対応は未定。             

●精密機器大手のリコー――プリンターと複合機生産場(現地で採用従業員約3000人)10月14日は現地時間の午後2時から操業停止。来週の月曜日以降は通常どおり
操業を行う予定。

 あくまでも予定で、周囲の様子を窺って、自粛が月曜日も広範囲に亘って続くようなら、操業停止を選ぶに違いない。

●日用品大手のユニ・チャーム――タイの国内の紙おむつ生産二工場の操業を10月14日朝から停止。タイでのテレビコマーシャルの放映を自粛し、工場などを紹介するホームページの色を白黒に変える。

●大手電機メーカーの日立製作所――首都・バンコクにある子会社は従業員に対して業務に支障がない限り10月14日は出勤をしないよう通知。来週以降の対応は協議中。

 この協議も周囲の対応に右へ倣えすることになるに違いない。周囲の殆どの工場が操業停止の自粛を行っている中で個人の尊重を掲げて果たして自粛を拒否できるかである。

 このようにタイの日系企業が操業を自粛しているのは個々の企業の判断によるものではなく、タイ企業の自粛に倣った大勢順応型の対応であろう。

 企業が工場操業を自粛している一方で日系企業の外食チェーンやデパートは営業を自粛せずに通常営業しているという。プラユット暫定首相が経済活動を普段通り続けるよう求めたからだという。

 タイの日系企業の自粛が社会の大勢への順応であるなら、日系企業の外食チェーンやデパートの通常営業は国家権力の指示への順応に当たる。

 後者の順応にしても、社会の大勢を形作っていくことになる。

●牛丼チェーンの吉野家――15店舗とも通常通り営業。但し店内の音楽を止めて、従業員は黒の腕章をつけて接客に当たる。

●ファミリーマート――1100点舗余りを通常どおり営業。

●流通大手のイオン――70余りのスーパーを通常通り営業。

●三越伊勢丹ホールディングス――バンコクの店舗を通常どおり営業。

 一方、一般生活に関係した行動の点では祭礼の自粛が伝えられている。

 娯楽番組放送の自粛はテレビ局という企業側の大勢順応型の自粛が一般生活者に同化を強いる作用として存在するものであろう。

 昭和天皇の死去のとき、テレビはNHKの教育番組を除いて他のテレビはすべて昭和天皇関係の特別番組一色に塗り潰され、同化しない国民はレンタルビデオ店に出かけてレンタルビデオを借り、それをテレビで見て退屈を凌いだ。

 お陰でレンタルビデオ店は大繁盛したという。 

 2016年8月8日付「The Huffington Post」記事が、「「自粛ムード」で笑いも消えた。昭和天皇の健康が悪化した1988年」と題して昭和天皇死去前後の日本国内を席巻した大勢順応型の自粛ムード伝えている。    

 昭和天皇の場合は容体悪化が伝えられた1988年9月19日から各種自粛が始まり、1989年の1月7日の死去を挟んで自粛が本格化した。

 記事が挙げている自粛を見てみる。

 ・各地で秋祭りが中止に
 ・東京・神保町の伝統の「古本まつり」が中止に
 ・東京六大学野球の早慶戦で、大太鼓による応援が禁止とされる
 ・大手洋菓子会社のクリスマスケーキの生産量が平年の2割減、街のクリスマスソングも控えめに
 ・創立記念などの祝賀会や個人の結婚披露宴も中止や延期に
 ・プロ野球日本シリーズで西武ライオンズが優勝するも、西武百貨店の系列店で恒例のセールが行われず
 ・「賀正」や「寿」を使わない年賀状が登場

 その他、〈自粛は、テレビCMにも及んだ。十月に入って「皆さん、お元気ですか」と呼びかける乗用車のCMから、音声が消えた。新商品の「誕生」が「新発売」に、「おめでとう」が「よろしく」になった。〉と解説しているが、具体的には井上陽水が走る高級車の窓を開けて「皆さんお元気ですか」と声をかける日産セフィーロのCMだそうで、昭和天皇が病気公表後音声が消され、井上陽水が口をパクパクさせるだけのCMに変えられたという。

 井上陽水は何も「お元気ですか」と病床の昭和天皇に声を掛けたわけではない。一般生活者への声掛けに過ぎない。分かり切っていながら、それを取り止める。天皇の病気と高齢であるゆえにその先に控えているかもしれない死を悼むという敬虔さの表明にしては行き過ぎた態度であり、明らかに天皇という存在をその死を控えたり、あるいは死に際して国民相互が必要以上に一つの畏れ多い権威に膨らませて、そのように膨らませた権威に対して各自それぞれが自粛という形式の自己抑制を働かせ、結果的に権威に対する社会的な大勢順応を相互に発動させしめた。

 このような大勢順応の相互発動は同時に心理的な暗黙の相互監視を生み出す。大勢順応に応じない者に対しての相互監視である。誰も何も言わなくても、心理的に監視を感じて、自分たちも自粛しなければ、何か言われるのではないかと自粛の大勢順応に同調していく。

 このような事態の社会的出来(しゅったい)は個人の尊重を国民自らが抑え、個人の尊重よりも天皇の権威に優越性を置いているからこそ発動される。

 この優越化が自粛期間に限られたとしても、多くの日本人の心理の奥底に歴史的・伝統的に記憶され、生き続けている天皇の権威の優越性である以上、個人の尊重が真に確立されるのは戦後71年民主主義の時代を経ても、なおずっと先のことになるのではないだろうか。

 このような傾向を喜ぶのは安倍晋三のような国家主義者・天皇主義者ばかりである。安倍晋三が現天皇の生前退位に乗り気ではないのは天皇のまま死去させることで社会的な一大自粛現象を巻き起こし、そのことによって個人の尊重よりも天皇の権威の優越性を目の当たりにしたいからではないだろうか。

 上記「The Huffington Post」記事が、現天皇が2016年8月8日にビデオメッセージで明らかにした生前退位の意向で天皇死去に際しての自粛現象による「社会の停滞」などへの懸念を生前退位の一つの理由として挙げていることに触れているが、例え天皇の意向通りに生前退位できたとしても、長年天皇として在位している以上、そのとき安倍晋三が首相の地位に就いていたなら、その意向と日本人の精神性が相まって天皇の権威の優越性を覚醒させることになるそれ相応の自粛が起きるのではないだろうか。

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