辻元清美と稲田朋美の9月30日衆院予算委質疑:笑えない悪い漫才を見た思いがする税金のムダ遣い

2016-10-02 13:18:23 | Weblog

 2016年9月30日衆院予算委員会、民進党の辻清美が稲田朋美の過去の核保有に関する発言と稲田朋美が毎年恒例としている8月15日の靖国神社参拝を防衛相に就任した今年公務の海外訪問で中止したこと、同じく閣僚でありながら全国戦没者追悼式に出席しなかったことをを取り上げて追及したが、一度こうと決めた追及の目的を相手の答弁態度や答弁の一部を捉えて臨機応変に変えることをしないために笑えない悪い漫才のような始末に負えない遣り取りに終始した。

 但し辻元清美は稲田朋美を追及できたと思って大いに満足したはずだ。

 上記挙げた両者の遣り取りのみをブログ記事にするが、核保有の問題と靖国神社の問題を二つ分けて検討してみる。

 辻元清美「いよいよ南スーダンにPKOが行きます。稲田大臣、その前に基本姿勢を一点、二点、お聞きしたいと思います。防衛大臣にお就きになりました、一つはですね、核保有の問題です。

 これはですが、大臣就任のときも、記者会見でも、問題にされました。こういう発言を稲田大臣はされております。

 『長期的には日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく、国家戦略として検討すべきではないでしょうか』

 これを問題視され、様々なところで指摘も受けておりますが、私は大臣、この場でですね、国会の場で、この発言を撤回するとはっきりおっしゃる方がいいと思います。

 これは日本の国是と全く違うと思うし、防衛大臣をお務めになるならば、この場で(A4大の紙を示す)この発言をされている。活字になっておりますのでね、国際的にも違ったメッセージを出されても困ると思いますので、稲田大臣、この場で発言撤回すると一言いいですから、おっしゃったら次へ進みますから。どうぞ」

 稲田朋美「私がまだ大臣になる前、対談の中で、文脈の中で、憲法上必要最小限度の自衛のときは(核保有は)認められているという文脈の中で、そういった発言が雑誌の中であったことを記憶を致しております。

 しかしながら、私は(就任翌日の8月5日の)記者会見の中で申し上げましたように、私は今日本が核保有をすべきではないというふうに思っています。そして非核三原則、しっかりと守っていくべきだと思います」

 辻元清美「いつもですね、今撤回すべきではないと、おっしゃるから、(首を振って)今保有すべきではないとおっしゃるからですね、問題になるんですよ。大臣、私が申し上げているのは、その発言を記者会見のときされているのを承知しております。

 ただですね、安倍総理の先日も本会議で、『核兵器のない世界を目指し、国際社会と共に努力を積み重ねてまいります』

 今ですね、北朝鮮の核実験の問題に直面をしております。そんな中で世界中、北朝鮮に対する、しっかり批判をして、これを止めていかなきゃいけない。一方、防衛大臣が今は必要ないと思っていると、そう曖昧ではですね、国際的にも信頼をなくすだけではなく、主張できなくなる恐れも、防衛大臣ですよ。

 ですから、活字になって一人歩きしますから、この発言は撤回すると、国会の場でおっしゃった方が稲田大臣のためになるんじゃないかと思って私は質問していますよ。撤回すると一言言ってください」
 
 稲田朋美「核兵器のない世界に向けて尽力を尽くす所存でございます」

 辻元清美「いや、撤回、いや、よく私たちもね、雑誌なんかあるんですけど、発言というのは何を言っても言い訳になるんですよ(一度雑誌で発言したことは後でどう釈明しても言い訳になる)。ですからね、これは撤回しておきますとはっきりとおっしゃったらいいんですよ。

 活字だから、世界中の人に読まれるんですよ。私だって入手できるんですから。撤回しますと、防衛大臣として、日本の防衛大臣として一言おっしゃった方がいいですよ。もう一度」

 稲田朋美「非核三原則を堅持し、核のない世界に向けて全力を尽くす所存です」

 辻元清美「委員長、あのね、この態度そのものが、何で、これ撤回すると言えないんですか。その理由を教えてください。ハイ、どうぞ。撤回すると言えない理由」

 稲田朋美「私はその中で、憲法9条の中で、ええー、最小限度の自衛権を行使ができるという中に於いて、ええー、検討すらしないということ自体、憲法に違反するという文脈の中で、そういった発言があったかと思いますが、現実問題、我が国は非核三原則を堅持し、そして核のない世界を目指し、私も防衛大臣として全力を尽くす所存でございます」

 辻元清美「あのね、これね、私は大きな問題だと思います。一言、やっぱり言うべきですよ。だって、長期的に検討すると、今も検討するとおっしゃったんでしょ。その道まで閉ざさないというふうに。

 あの、委員長ね、これ理事会で協議して欲しいんです。私は文書で、この発言を撤回するということを防衛大臣として、特にこの北朝鮮の核実験に直面している我が国、非核三原則を持ってるだけではありません。CTBT(包括的核実験禁止条約)、この問題も賛成しているじゃないですか。 

 文書でですね、撤回をするということを私は出して頂きたいと稲田大臣に求めておきますので、理事会で協議してください」

 浜田靖一委員長「理事会で協議します」

 稲田朋美が2011年3月号の雑誌「正論」の元空将の佐藤守との対談で発言した「長期的には日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく、国家戦略として検討すべきではないでしょうか」とする発言が稲田が政府の一員となった現在、政府の核に関わる公式見解と異なることから、辻元清美はその発言の撤回を求めることを追及の目的としたのはいいが、撤回する積りがないのは稲田の最初の答弁で理解できたはずである。

 だが、一度決めた質問の目的に拘って、全然その気のない人間を相手に最後の最後まで撤回を求めた結果、笑うことのできない悪い漫才の遣り取りのような様相を呈することになった。

 安倍晋三と同様に稲田朋美にしても日本を世界の大国に押し上げるには経済だけではなく、軍事的にも大きな影響力を持つべきだという考えに基づいた、このような核保有論であって、このことは確固とした内心の政治信条となっているのである。

 誰が何と言おうと、辻元清美がどう足掻こうと、撤回はしない。

 撤回しないことに早く気づいて、その二重性をなぜ追及しなかったのだろう。

 稲田朋美は自身の発言を認めている。そして政府の一員となっても公式見解とは異なる自らの考えを撤回しない。だが、記者会見等ではは非核三原則を言い、「現時点で核保有をすることは、あり得ないし、検討する必要もない」と発言している。

 いわば稲田朋美のホンネは核保有であって、非核三原則も現時点の核保有否定もタテマエに過ぎない二重性である。

 勿論、そのように追及しても、稲田朋美は否定するだろう。否定したとしても、「いや、あなたのホンネは核保有であって、その否定はタテマエに過ぎない」と言い続け、そのような政治家であることを浮き彫りにする努力をすることである。

 タテマエとホンネを巧みに使い分ける政治的に裏表ある二重人格性の持ち主だという烙印を押すことができれば、追及は成功する。

 稲田朋美にしても安倍晋三にしても、事実その通りではないか。

 辻元清美「もう一点ですね、お聞きしたいことがあります。稲田大臣はですね、こういうことをおっしゃっています。『自国のために命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家であっては防衛は成り立ちません。これは日本という国家の存亡にまで関わる』とまでおっしゃっています。

 ところがですね、そうおっしゃっている大臣が、国防の責任者になられてですね、今年の8月15日です。これは防衛大臣になられて初めての8月15日です。全国戦没者追悼式があった。これはですね、閣議決定までして天皇・皇后、総理大臣、両院議長始めですね、政府の公式の追悼式。

 今年は5800人の遺族の方が、ご高齢の方が多いです。全国から出てこられてるんです。先程天皇陛下のご公務の話がございましたが、最重要のご公務だと言われています。

 これをね、欠席されたんですよ。あなたはいつもですね、『命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家ではなりません』と言っているにも関わらず、全国戦没者追悼式、これをですね、欠席するというのは言行不一致ではないかと思いますよ。

 そう思いませんか。いつもおっしゃっていることと違いますから。政府の公式行事ですよ。そして調べました。閣議決定されてから防衛大臣で欠席されたのはあなただけなんですけど、言行不一致じゃないですか。如何ですか」

 稲田朋美「私が常々、靖国で日本の国のために命を捧げた方々に感謝と敬意を、そして追悼の思いを持つということは私は日本の国民の権利でもあり、義務でもあるということを申し上げてきました。

 そんな中で、そんな中で、義務というよりも心の問題ですね。心の問題です。そういうふうに申し上げてきました。その中で今回、イー、追悼(下に目を落として、机の上の原稿にだろう、目をやって)、国立、ウー、戦没者追悼式に出席しなかったという指摘ですけれども、それは誠にその通りでございます。

 そしてその理由については就任後、国内外の部隊について一日も早く自らの目で確認して、その実情を把握して、また激励もしたいと、そういう思いから、あー、部隊の日程調整をしてきた結果、残念ながら出席をしなかったということでございます」

 頭を丁寧に下げて引き下がろうとするが、辻元清美から着席したまま、「反省してますか」と声をかけられる。

 稲田朋美「大変残念だったと思います」

 辻元清美「これはね、急にジブチの出張が入ったと言われているんですけど、8月12日にですね、あ、8月13日に日本を出発して15日を挟んで16日に帰国されているんですね。12日の持ち回り閣議でバタバタと出発しているんです。

 確かに世界各国、日本国内の自衛隊を防衛大臣が視察されること、激励されることは大事ですよ。しかしね、あなた、日頃言っていることと違うじゃないですか。こうもおっしゃってますよ。『如何なる歴史観に立とうとも、国のために命を捧げた方に感謝と敬意を表さなければならない』

 毎年、靖国神社に行ってこられましたね。で、このジプチの、何かですね、いつもおっしゃってることと、それも(全国戦没者追悼式は)公式行事ですよ。先程の、まあ、天皇のご公務の話がありましたけども、(生前退位のお言葉は)何回もおっしゃる言葉を推敲されて、書き直されたという報道も出ておりました。

 そんな中でですね、あなたの戦争で亡くなった方々への心を捧げるというのは、その程度だったのかと思われかねないんです。ですから、そんなに緊急だったのですか。如何ですか」

 稲田朋美「今までの私の発言、読み上げられた通りです。その気持に今も変わりません。今回、本当に残念なことにできなかったということですが、ご指摘はご指摘として受け止めたいと思います」

 辻元清美「私たちはですね、国会議員は例えば地元でですね、式典があったり、集会があったりします。でも防衛大臣ですよ。ジブチに行きたくなかったんじゃないですか。

  稲田大臣がいつもですね、8月15日に靖国に行くと、防衛大臣が行くと問題になるからですね、回避をさせるためではないかと報道されているんですよ。あなたは、私は防衛大臣だったら、信念を貫かれた方がいいと思いますよ」

 南スーダンの質問に移る。

 最後の質問は矛盾している。「8月15日に靖国に行くと、防衛大臣が行くと問題になるからですね、回避をさせるためではないかと報道されているんですよ。あなたは、私は防衛大臣だったら、信念を貫かれた方がいいと思いますよ」・・・・・

 信念を貫いたなら大問題となるから、回避したと考えているなら、 「信念を貫かれた方がいいと思いますよ」と勧めるのは大問題となるとしていることと矛盾することになる。

 実際、稲田朋美が防衛大臣の身で参拝したなら、辻清美自身が大問題にしたはずだ。

 稲田朋美が「命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家ではなりません」と言い、「如何なる歴史観に立とうとも、国のために命を捧げた方に感謝と敬意を表さなければならない」と言っている、感謝と敬意を表する空間は、あるいは追悼の空間は靖国神社であって、全国戦没者追悼式の場ではない。

 このことは「全国戦没者追悼式」と言う言葉がスムーズに出てこなかったことが証明している。「今回、イー、追悼(下に目を落として、机の上の原稿にだろう、目をやって)、国立、ウー、戦没者追悼式に出席しなかったという指摘ですけれども」と、原稿を見なければ、その名前を満足に口にすることができなかった。

 もし靖国神社のみならず、武道館で開催される全国戦没者追悼式での戦没者慰霊にまで、あるいは戦没者追悼にまで、毎年の8月15日に靖国神社に参拝するのと同等の思いを馳せていたなら、例え欠席した身であっても、「全国戦没者追悼式」という言葉を言い淀むことはなかったろう。

 稲田朋美にとっても、安倍晋三にとっても、戦没者慰霊・追悼の場は唯一靖国神社のみとなっている。安倍晋三が義務として全国戦没者追悼式に出席しても靖国神社に準ずる扱いしかしていないはずだ。

 彼ら国家主義者・復古主義者にとって靖国神社は戦前日本国家を映し出し、そこに繋がる通路であり、参拝はそのための儀式だからだ。

 稲田朋美が「全国戦没者追悼式」という言葉を言い淀んだとき、なぜ言い淀んだのか考えもしなかったようだ。

 例え考えなかったとしても、「私が常々、靖国で日本の国のために命を捧げた方々に感謝と敬意を、そして追悼の思いを持つということは私は日本の国民の権利でもあり、義務でもあるということを申し上げてきました」と口にした言葉をなぜ追及のカードとしなかったのだろう。
 
 稲田朋美にとって戦没者追悼に関してこの言葉こそがホンネであって、すぐ後で言い直した「義務というよりも心の問題ですね。心の問題です」はタテマエに過ぎないと見なければならない。

 この二重性をも追及しなければならなかたはずである。

 靖国参拝は戦没者を「お国のために命を捧げた」と追悼することで、その「お国」――戦前日本国家を肯定する儀式でもあるのだから、宗教的な意味で「心の問題」としているのはマヤカシに過ぎない。小泉純一郎以来、中国や韓国から日本の首相の靖国参拝を批判されるたびに参拝を正当化するために使ってきた「心の問題」という言葉でもある。

 また、「命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家ではなりません」と言っている言葉も、「如何なる歴史観に立とうとも、国のために命を捧げた方に感謝と敬意を表さなければならない」と言っている言葉も「義務」づけの意味を含み、義務は当然、権利として存在する。

 参拝を国民の権利とし、義務とする考えは思想・信条の自由、あるいは信教の自由の侵害に当たる。

 少なくとも稲田朋美はこういった基本的人権の侵害を内心に巣食わせている。

 だが、辻元清美はこのような危険性に気づかず、稲田朋美の答弁から、全国戦没者追悼式での戦没者追悼と靖国神社での戦没者追悼とでは稲田朋美の価値付けの違いにも気づかないままにその式典に閣僚でありながら出席しなかったことに批判を集中させ、例年8月15日靖国神社を参拝しているにも関わらず今年は参拝しなかったことに対して「防衛大臣だったら、信念を貫かれた方がいい」と、その言葉に従ったなら落とし穴が待っているおかしな忠告を真面目な顔でして済ませている。

 全く以って笑うことのできない悪い漫才の遣り取り以外の何ものでもない。税金のムダ遣いと言われても、仕方がないはずだ。


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