稲田朋美にとって靖国神社は戦前日本国家を映し出し、そこに繋がる通路、参拝はそのための儀式

2016-05-01 09:29:51 | Weblog


 安倍晋三にとっても右へ倣え、同じである。

 安倍晋三と右翼国家主義を共にする稲田朋美がサンフランシスコ平和条約発効日と同じ4月28日に靖国神社に参拝した。サンフランシスコ平和条約は1952年4月28日発効。

 この日日本はこの条約によって連合国との戦争状態が終結し、沖縄を除いて主権の回復が許された。

 稲田朋美は毎年この日に合わせて靖国神社を参拝していると、「NHK NEWS WEB」が伝えているが、そのことを迂闊にも初めて知った。  

 当然、稲田朋美にとって、この日に合わせることに意味があることになるが、合わせていると知れば、多くの人が「ああ、そうか」と簡単に頭に思い浮かぶはずだ。

 記事は参拝後の稲田朋美の発言を伝えている。

 稲田朋美「主権国家として、しっかりと歩んでいくという思いを込めて、この日に参拝を続けている。きょうも、祖国のために命をささげた方々に感謝と敬意と追悼の気持ちを持って参拝した。靖国神社を参拝することは国民一人一人の心の問題だ」――

 「靖国神社を参拝することは国民一人一人の心の問題だ」と言っているが、その「心」の質・内容如何にかかる。

 当然、「主権国家として、しっかりと歩んでいく」についても、どのような「主権国家」を目指そうとしているのか、その質・内容が何よりも問題となる。

 その答は靖国参拝をサンフランシスコ平和条約発効日と同じ4月28日に合わせているところにあるのは断るまでもない。

 日本は戦艦ミズーリ船上で連合国との間で降伏文書に正式調印した1945年(昭和20年)9月2日から1952年4月28日サンフランシスコ平和条約発効前日まで連合国の占領下にあった。

 占領政策については毀誉褒貶があるが、その占領軍によって日本は戦後民主主義を獲得できた。このことは戦後の幣原内閣(1945年(昭和20年)10月9日~1946年5月22日)下で憲法の調査研究を担当した松本烝治国務大臣が自ら作成した「憲法改正私案」が証明する。

 戦前の国家主義の血を色濃く継いだ条文のみを掲載する。


 《松本国務相「憲法改正私案」国立国会図書館) 

第三条 天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス

第十一条 天皇ハ軍ヲ統帥ス

第十二条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ戦ヲ宣シ和ヲ講ス

第十三条 天皇ハ諸般ノ条約ヲ締結ス但シ法律ヲ以テ定ムルヲ要スル事項ニ関ル条約又ハ国庫ニ重大ナル負担ヲ生スヘキ条約ヲ締結スルハ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ

第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

 松本試案は天皇の地位を「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」と定め、その絶対性を謳っていて、大日本帝国憲法の「第1章天皇 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めた天皇の絶対性と表現は違っていても、意味そのものは何ら変わりはない。

 戦後政府の人間は民主主義とは無縁の戦前の国家主義の血をそのまま引き継ぎ、その血を以後の時代に伝えようとした。いわば民主主義の血を期待しようもなく排除していた。

 天皇の地位を絶対的としているために、その反対給付として国民の基本的人権を制約することになる。

 「第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」・・・・・

 「信教ノ自由」等の基本的人権は国家・社会の「安寧秩序」を壊さない条件付きでしか認められないとしている。国家権力が国家・社会の安寧を壊すものだと決めれば、直ちに基本的人権は制限を受けることになって、国家権力の恣意に従わされる危険性を常に抱えることになる。

 GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のマッカーサーは天皇の絶対性を保障する点に於いて大日本帝国憲法と何ら変わらない、いわば民主主義の血を通わせていない松本憲法改正私案を拒否、日本政府には任すことはできないと諦めたのだろう、GHQ 監督下で、安倍晋三が「占領軍の作った憲法だ」と忌避・嫌悪する現行の日本国憲法が作成され、帝国議会の審議を経て1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布、翌1947年(昭和22年)5月3日に施行されることとなった。

 この経緯を見ても、戦後日本は占領軍によって民主主義を獲得できたと言うことができる。

 戦後政府の人間に任せていたなら、天皇は戦前の国家主義の姿を纏ったまま戦後の日本の国家・社会に復活することになり、国民の基本的人権は天皇の絶対性を保障する道具とされたはずだ。

 当然、稲田朋美が靖国参拝を日本が主権を回復したサンフランシスコ平和条約発効日と同じ4月28日に合わせているということは、主権回復を祝していると同時に占領時代(占領と占領政策)を主権を奪った時代として否定し、忌避・嫌悪していることを意味する。

 このことは2015年12月27日の当ブログ《歴史検証機関「歴史を学び未来を考える本部」立ち上げは安倍晋三の「歴史認識は歴史家に任せる」を裏切る - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り上げた稲田朋美の記者会見発言が証明することになる。    

 金友記者「共同通信の金友です。GHQの占領政策の検証を始められるという報道がありますが、具体的にはどういった検証を、どういった目的で始めようとお考えなのか、教えてください。

 稲田朋美「GHQということに限らず、党内でいまやっております日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会であったり、4月28日を主権回復記念日にする議員連盟であったりの参加議員から、何を日本として反省するかということを含めて、1928年すなわち不戦条約以来の日本の歩みについてきちんと検証することが必要だという意見があったり。

 また4月28日の議連はサンフランシスコ平和条約が発効した4月28日までの6年8カ月の占領期間において何が行われ、また憲法の制定過程も含めて、そういったことをきちんと検証をする必要があるという提案をいただいていますので、そういったことをきちんと検証することが必要であろう、というふうに思っております」

 金友記者「いつ頃どういった形で、というのは現時点で何かありますでしょうか」

 稲田朋美「やはりいま日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会で、これは特に慰安婦の問題を中心に取扱っているんですけれども、この提言がまとまって以降に考えています」――

 そして自民党は2015年12月22日、 安倍晋三直属の歴史検証の勉強会を立ち上げた。

 趣旨は「日本の名誉と信頼を回復するため」

 要するに占領と占領政策は日本の名誉と信頼を失わせた元凶と位置づけ、主権回復の日を日本の名誉と信頼を回復した契機と見ている。当然、占領政策を否定することになる。

 当ブログに何度となく取り上げていることだが、安倍晋三も占領政策を否定している。2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージ。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし同時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります」・・・・・・・
 
 否定的な趣意で、占領政策によって日本は改造され、日本人の精神に影響を及ぼしたと主張することで占領時代(占領と占領政策)を否定している。

 この否定は戦前日本国家の肯定に他ならない。安倍晋三が言っていることの裏を返すと、「占領がなければ、日本は改造されることも日本人の精神が影響されることもなかった」と言っていることになるからだ。

 結局のところ稲田朋美の靖国参拝は占領政策を否定するためにサンフランシスコ平和条約発効の4月28日に合わせているのであって、安倍晋三と同様、占領政策の否定は戦前日本国家の肯定に他ならないことになる。

 稲田朋美が靖国参拝時に記者に「主権国家として、しっかりと歩んでいく」と発言していたことは戦前型の主権国家指していることになる。

 戦前日本国家と戦後日本国家との間に連続性を持たせたかったが、占領政策がそれを邪魔した。連続性を持たせるためには日本国憲法ではなく、松本「憲法改正私案」に基づいた天皇絶対性の憲法が必要だったはずだ。

 でなければ、連続性を持たせることは不可能となる。
 
 稲田朋美が靖国参拝をサンフランシスコ平和条約発効の4月28日に合わせることが占領時代(占領と占領政策)の否定と戦前日本国家の肯定を意味するなら、稲田朋美にとって靖国神社は戦前日本国家を映し出し、そこに繋がる空間となっているはずだし、参拝はそのための精神的且つ身体的儀式となっているはずだ。

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