野島善司自民党都議の「結婚したらどうだ」発言に見る他者の結婚に対する家父長制社会の血を引いた支配衝動

2014-09-18 08:32:16 | Weblog


 東京都議会の超党派議員組織「男女共同参画社会推進議員連盟」の9月16日総会開催後、今年6月の都議会で鈴木章浩自民党都議が独身35歳の女性都議の質問中に「早く結婚した方がいいん じゃないか」とヤジを飛ばした女性蔑視発言が議題にのぼったのか、「男女共同参画」の手前、男女平等を原則とするから、記者の方から尋ねたのか、会長就任の野島善司自民党都議(65)の対記者団発言が、3カ月前の鈴木章浩自民党都議発言と同様、問題視されることとなった。

 野島善司自民党議員「女性に対しては、今回で言えば、言われているのは、『結婚したらどうだ』という話でしょ。それはね、僕だって言いますよ。平場では」(FNN

 この「平場」という言葉の意味は「全くプライベートな場」だと、本人が注釈している。

 要するにプライベートな場では未婚の女性に対して「結婚したらどうだ」という発言は許されるとしていることになる。

 記事でこの発言を知ったとき、自民党の少なくない国会議員と同じく未だ家父長制社会の血を引いている前世紀の遺物みたいな人間がいるものだなという感想を持った。

 「家父長制社会」とは断るまでもなく、父親が家長(一家の長)として絶対的支配権(家長権)を持ち、妻や子供の考えや行動を父親の意思に従わせる社会のことを言う。

 このような家族の原理・社会の原理によって、父親の決めた結婚に子どもが従うことが当たり前とされた。

 3カ月前の鈴木章浩自民党都議の「早く結婚した方がいいん じゃないか」というヤジは35歳未婚の塩村女性都議の妊娠や出産等に関する子育て支援策についての都の取り組みに関する質問中に飛ばしたのだから、学習することによって知識を確立できることを無視して、結婚の経験も妊娠の経験も、子育ての経験もない女が何が分かるんだという意味を込めているゆえに女性蔑視・女性差別のヤジとなるのに対して、野島善司自民党都議の「結婚したらどうだ」という言葉は未婚の状態から結婚の状態に持っていきたい命令の意思を働かせた言葉であって、当然、そこには戦前の家長権程に強くはないが、本人任せではない、他者による状態の変化を支配したい衝動を潜ませていることになる。

 「日本国憲法 3章 国民の権利及び義務」は「第24四条第1項」で、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と規定している。

 そして第2項で、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」としている。

 ここから、「結婚は本人の自由意志による」とされるに至ったはずだ。この自由意志は結婚しない自由も含まれていなければならない。

 両性の合意のみに基く結婚を、あるいは本人の自由意志によるはずの結婚を、結婚しない自由も含めて、他人が、両性の合意や本人の自由意志を最大限尊重せずに無視して、「結婚したらどうだ」と他人が関与する形で支配衝動を働かせる。

 当然、「プライベートな場」(=「平場」)であろうとなかろうと許されるはずはない。

 野島善司自民党都議は翌日、発言を都議会自民党の総会で、「不適切な発言をして大変申し訳ない」(47NEWS)と謝罪した。村上英子自民党幹事長が明らかにしたことだと言うから、本人が記者団の前で直接謝罪したわけではないようだ。

 村上英子自民党幹事長は自民党総会で野島都議を含めた自民所属の全議員に「発言に気をつけるよう」厳重注意したという。

 村上英子自民党幹事長「この時期にあのような軽々しい発言は私人であろうが、公人であろうが許されるべきことではない」(同47NEWS

 軽々しい発言であっても、「時期」に関係しなければ許されるかのような村上英子自民党幹事長の発言となっている。要するに鈴木章浩自民党都議の「早く結婚した方がいいん じゃないか」という野次発言が忘れ去られた「時期」なら許される「軽々しい発言」ということなのだろう。

 村上英子自民党幹事長は野島善司自民党都議が「『結婚したらどうだ』という話でしょ。それはね、僕だって言いますよ。平場では」と、他者の結婚に対する自身の態度を言うことで、図らずも家父長制社会の血を引いた支配衝動を曝け出したという文脈でその発言を把えることができないらしい。

 ここで言う“他者”は例え自分の娘であっても、その範疇に入る。「日本国憲法」が触れているように結婚は、結婚しない自由を含めて深く「個人の尊厳」に関わる極めて個人的な問題だからだ。

 村上英子自民党幹事長は野島善司自民党都議と同様の古い体質の政治家と見ないわけにはいかない。
 
 尤も私自身が野島善司自民党都議の発言を家父長制社会の血を引いた支配衝動が現れたものだと解釈すること自体が他人から見た場合、間違っているかもしれない。

 解釈は人それぞれであるが、その妥当性の判斷を受けなければならない。

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