花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

日本、日本人、

2016-11-16 11:21:04 | Weblog


日本の日本人である根底に

老若男女を問わず、

天皇陛下のいらっしゃる国、
、、という心があると思います。

第二次世界大戦で

日本は、敗戦しました。
歴史が何を語ろうと、

陛下のご苦労は、
私たち庶民の計り知れないご苦労が
おありだったと思います。

歴史の流れは複雑で、
世界の大きな流れや時代の変遷に

大河の流れの木の葉のように、翻弄されながら

流れ着くところに流れてゆくのは

日本だって避けられない事だったのかもしれません。

ヒットラーが、
特別の人種を区別して
人間が、あたかも万物の頂点に居ると
誤解した時代に
ヨーロッパをはじめ、
地球上の国が、大きな流れに巻き込まれたと思うのです。

地球という、、宇宙の中の、、、

とりあえず、無限のベクトルの均衡を維持しながら

公転自転を維持しながら、
絶妙にバランスをとりながら

軌道を回っている。

その、

宇宙から見ると、
見えないような点のような地球で

人類は、
他の動物の都合を考えないで

自らを、霊長と称して、

自然の形態を変化させ、地球を穿り返して

縄張りのように、戦争を繰り返しては

人が人を支配して、国が国を支配するという
戦争の繰り返しが

歴史をつくてきたと思いました。

枯草や 兵どもの 夢のあと、、、

自然と時間が跡かたずけを繰り返してきた。

気候の厳しい条件の地区は

かろうじて、、、地球は生まれたままの姿であるが、、。

アナログの人間が

天与の霊性を失っても

生きてゆける環境が、、、必要になり

デジタルな人工知能の世界に活路を見出したのは

知恵、、、聖書の箴言を超えて

人工知能の時代は

ロボットダンプが石炭を掘り、

近代化と連動して、地球穂破壊。
自然の破壊、

欲張りな、抑えきれない煩悩の
魑魅魍魎が、

人生ゲームに没頭するという、、、発展、、、という単語。

発展の裏は破壊とは、、、
哀しい現実。

発展と破壊は背中合せの双子。

私の母は明治生まれですが、

今の私より時代の先端を走る人でした。
斬髪で、編み上げブーツを履き、袴を着て自転車通学。

国立音楽大学のピアノ科の一期生でした。


日本が、女性を蔑視して、

頭に大きな髷を乗せ、

重たい窮屈な帯を締め、

ずるずると裾を引っ張って、廊下を歩くような

ありえない、、ハンデキャップの装いを進め

男の人から見て

都合の良い装いが、、、文化を先導した。

世論も、個人も、

疑うことなく不合理の中、

之が、最先端の自分と信じて生きていた時代。

日本の歴史は
蛇行しながら、近代日本へと流れ着きました。

旧き都の有った時代から

遠く飛鳥時代の痕跡を残す時代に、

天皇陛下はいらっしゃいました。

おなじみの百人一首も、

はるすぎて、、、の句は、女性の天皇の句。

日本の文化とともに、

いつの時代も、

陛下はいらっしゃいました

歴史の中に

いつもいらっしゃった陛下。

敗戦の時、、、耐えがたきを耐えて

日本人の心の中に

日本と言う国を、存在させ続けて下さったのは、

国土と言う、荒れ果てた物を飛び越えて

日本の心の存続を、しっかりと守って下さったのは

長い歴史とともにあり続けた陛下のいらっしゃる日本が、

科学には、一時的には敗れたが、

物品、国土、人間、形あるものすべて
ことごとく、、、壊滅状態になる中で

復活できたのは、

輪廻転生の孫子の中に、我が父母の面影を観るがごとく

日本は滅びないという、、、

陛下と言う、不思議な存在が、

どんな歴史の曲面にもいらっしゃったという

「日本」そのものが、存続して、

耐えがたきを耐えて、歴史を見守りながら

地球の呼吸として、一緒に敗戦の時代を生きて下さったことが

日本そのものは、、、残った!と、、、思えたから。

団塊の世代を産み、団塊の世代に復活の夢をかけて育て

復活と言う、事が

日本の日本たる、、、見えない部分の日本なのだと思うとき、

医療の分野で

復活の最先端の、

コロンブスの卵の心眼を持った弟が、

築地のがんセンターでの50年記念まで

医療そのものを、痛みのない、早期発見の

戦いの戦場で、

日本の医療、、、ここにあると

多くの実績を残して、

戦後の夢を呉れたことは、

生きる力の推進力になりました。

国立がんセンターは、

弟が定年するころ、

独立法人となり、

山形の方から、何やら偉い先生が来て

50年の医学の歴史は

あっという間に、民間と、官庁?の激戦なのかと????
週刊誌が忙しく取り上げていたが、

時代の移り変わりと言うのは

努力してきたものの足跡を

一蹴して、新しい勢力が入れ替わって行く。

看板は変わらないから、民間はなにもなかったように

時代を生きてゆく。

姉だから、おもうのではない。

そのような、感情レベルで思うのではない。

疎開中、町営の診療所で、24時間、いつ寝てるのかと、、

七つの村の、たった一人の外科医の手は

レントゲンの潰瘍でただれていた。

開腹手術は手遅れの患者さんが、家族を泣かせた。

小学校の時、弟は、村から育った弁護士さんの事を作文に書いた。

井ノ口さんと言う弁護士さんが、

県庁の仕事の合間に

弟に、会いに来てくれた。

私は、ヤシカのカメラで、二人を撮影した。

それからも、しばしば、逢っていました。

しかし、、、彼は中学に進学をするころは、

「僕は、、、お父さんの手のような、

医者が、自分を守れないだめな機械を使わないで、
もっと、凄い、良い機械で、、、、
潰瘍のできないレントゲンで、

もっと、病気を速く発見して、

患者さんの家族から、大切な人を死なせないぞ」

彼は、小学生のころ、「医師になると、決めていた。」

子供ながら、

大切にするのは、自分の目指す夢だった。

目に煮えない希望を大切にする

戦争を知らない、、、新しい日本の子供だった。

この、、、見えないパワーの

日本人の誇りが、、

敗戦の中、、、生き続けていたことは、

大河の一滴の我らを、

時代は運び続け、

日本の魂は、、、あり続けていたという事ですよね。

昭和陛下が、耐えがたきを耐えて守って下さった、、、何か?

見えない、、、けど、、、

日本人であり続けるルーツの誇りのような、湧いてくる力でした。

政治家は、大きな世界の人間社会の支配力や権力の

大河のような、それでいて、デジタルな、知的な

東大君ロボットのようなスパコンのシステムで、

時代を区切り、何を残し、何を創るかを

計算と、権力と、支配し続けた組織で

人間の英知を超えないメニュウで

新しい時代の為に

かっての権力をフォーマットしてゆく。

がんセンターも、市川先生や、弟が、50周年の節目に

何を残し、何を目標にしてゆくのか楽しみでした。

叔父さんをいたく尊敬していた息子は

叔父さんの夢に惹かれて、医師になった。

「母さん、、、医師になるのは、難しかった。

でもね、、、医師をするには、もっと難しい。」

叔父さんを訪ねた学生時代

小さなパソコンで、病理の画面を整理している叔父さんに

放射線科ってどんなことをしているのかを

教えてもらうつもりだったらしい。

叔父さんは、スイカや、カブトムシや、いろんなものを

放射線で透過させて、ファイルにしていた、

虫の中には何もないんだ!、、、

しばらくたって、霧のような

レントゲン写真を見せてくれた。

「僕たちが改良する前の写真だよ。」

そして、改良した後の写真の病名を言いながら、

ぼやけた、写真を次々と解読しては

息子は、、、「叔父さんは、神の域だよ。」

還って来てから、、、医師をすることを続けることは、

テレビドラマのような、派手な世界や

「御意」の世界ではないという事だと、、、私は受け止めた。

政治が、介入しないと、夢の巨人たちは

銀河鉄道に乗って、宇宙まで行ってしまいそうで、

政治家は、テーブルに食器を並べるように

知識と知恵と、権力と、東大君のデジタルスパコンで

合理的な大義名分で、

とりあえず、時代の区切りを、

フォーマットして、時代につなげてゆくのかもしれない。

しかし、父の早逝が無かったら、

私も女医になって、

父の残して行った地域の婆ちゃんの患者さんの

かかりつけ医になって、一週間に三日は

大学で、研究員をできたらと、夢見た時代もあった。

それだけに、医師になって、世の中に還元してゆくものには

全力で、応援できる、応援バカが、私には残った。

私立医科大学に行って、

千葉大を出た市川先生や、叔父さんの

夢を追い続けた姿を見て、

臨床医の分野で、社会に役立ちたいと

親元を飛び立って、医療界の大河の流れの時間の激流に浮かんだ。

その流れは、あまりに速く、42歳にして、独身である、

親の、手伝いの届かない遠方で、

目の前の、医者をすることに人生の夢をかけている。

この頃は、、、思うのです、、、

自分で、居たいと思うところに、居場所があるのなら、

最高位じゃないのって!ね。

日本人のもっとも日本の残る地方で

彼は、医師をしている。

女性のヘルプが無いので、

自分を手入れする時間が無いらしい。

息子の身の回りを世話してくれる女性が現れたら、

きっと、、、中学時代のように、

音楽や、芸術に、時を忘れる日も来るかもしれない。

敗戦が、日本人の物欲より、夢を大切にすることを

親に、教えてくれたような気がする。

天皇陛下、この方に触れる発言は、やはり、、、畏れ多い。

自然と一体のような不思議な、霊性をはるかに超えた

神聖。

伊勢神宮の遷宮に観る天与の知恵のお導き。

昭和生まれの私にとっては、

美智子様のようなお方が、

天から遣わされ
孤独にお過ごしだった陛下を支えられ

日本人は、こうありたい、、、と

胸の奥深くで思うような

やはり、、、別世界の一途を示してくださりました。

、被災地や、スラックスで

被災者を見舞われるお姿に、

どうか、、、一句、したためるだけの

お体の負担にされますように。

回りの人々が、、、陛下のお体の代わりに

句を持って、陛下の御心を伝えられないものなのかと

ご年齢を、考えてしまいます。

之は、親族だけの日記帳なので、

心に浮かぶことを
書き綴れば、、、

あやしゅうこそ、、、ものぐるほしけれ、、

陛下の御退位を意図されることは、

国民の一人一人が、、、日本そのものが

世界遺産の歴史的に

保存文化の価値ある国民の自覚を持って、

戦争や、政治や、団体や、全てとは

かかわりのない、もっと深い部分で

神と言わざるを得ない、
奇跡のルーツを歴史とともに

あり続けられて、

極限の優れた文化を、

時代の中で継承し、進化させ、

日本人の意識が、世界で類のない

研ぎ澄まされた感受性のありようにつなげているのは

自然が、人間の社会に伝えくる神秘に通じる

遺伝子の純なる歴史の積み重ねが

日本人

日本国、

デジタルの究極の駆使の中で

アナログな

障子越しの月影に映る、、、松に心惹かれるのが

日本人!

ポケモン追いかけて、電車でも、ホームでも

スマホを見ているのは

電脳社会に洗脳されて、

霊性を失う手術を受けている最中の

新人類かもしれません。

日のもとで、

日本のルーツの皇居から、

いつの時代にも、自然の国民で居られますように。

之は、個人の公開していない日記です。

念のため、陛下とともに生きた

昭和生まれの72歳の婆ちゃんの独り言ですよ








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