昨日は、『荘子』を読む会でした。
出席者は15名。
女性ばかりの会です。
『荘子』は、2300年前に中国の戦国時代に成立したと
いわれる思想書です。
日本に於いても、多くの先人たちが、
『荘子』を愛読したといわれています。
今、読んでみると、その比喩のうまさにびっくりします。
私は、高校の教科書にあった「大鵬」の壮大なお話が気に入って、
『荘子』が好きになりました。
切手ファイルを見ていましたら、
中国・香港の切手に、こんなのがありました。
こちらは、2011年に発行された「児童切手・故事成語」5枚の内の1枚です。
意味は、庖丁解牛:料理人(庖丁)が牛を捌く=仕事に熟練して余裕を持って事に当たる。
ということわざなのだそうです。
この切手は、『荘子』(養生主編)の一節を表わしています。
切手図は、包丁(ほうてい)という料理人が、
文恵君という偉い人のために
牛を解体するところを描いています。
苞丁が、牛を捌くと、歯こぼれもせず、
リズムカルに、さくり、ざくざくと捌きます。
まるで音楽に乗って舞いを舞っているようです。
苞丁は、長年の技術の修練があってこそ、
技術を意識しないで無心に牛を解体できると言っています。
横山大観の絵に、苞丁を描いたものがあります。
私は、昨年の1月に上野の東京都美術館で、
この絵を見ました。
もともとは、東京国立博物館蔵の絵画ですが、
日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』展が
開催されていて、そこに展示されていました。
『游刃有余地』という題名で、横山大観が苞丁を描いています。
こちらの苞丁は、いかにも技を鍛えた聖人のように格調高く
描かれていて好もしいです。
『荘子』は、西行、鴨長明、芭蕉、に影響を与え、
近代文学の森鴎外、夏目漱石や、
あのノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士の中間子理論に
ヒントを与えたのだそうです。
私は『荘子』を読んでも、只、感心するばかりで、
創作や思考に影響を与えられたことは、ちっともありません。
ぼーんやり、無為自然に読んでいます。