Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

鎌倉ハイキング-11 円覚寺の物部国光作になる洪鐘

2008年07月12日 11時46分27秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 せっかく円覚寺の高いところへ登って、国宝の福ところてんだけではもの足りないから、やはり国宝の洪鐘(おおがね)を急遽(きゅうきょ)追加した。1301年の鋳造だから700年余もこの世にぶらさがって好きなように撞(つ)かれてきた鐘だ。ご苦労様である。

 洪鐘や喉ごし撞いてところてん 頓休

 鐘の作者は物部国光。物部氏は、その昔、蘇我氏と争った排仏派として有名。それがなぜ寺の梵鐘の作者かと調べると、あるHPに――物部姓鋳物師は、河内国丹南郡(大阪府南河内郡美原町付近)に本拠地をおいた鋳物師集団と考えられ、建長4年(1252)にはじまる鎌倉大仏の鋳造のため、丹治・広階・大中臣姓の鋳物師らとともに北条氏に招かれ、鎌倉に出職してきたものといわれています。大仏鋳造ののちは相模国毛利荘(厚木市付近)に移住・定着し、関東を代表する梵鐘鋳物師集団として、鎌倉時代から南北朝時代初期の百十余年にわたり、特に北条氏や有力鎌倉御家人に関係する寺院梵鐘を鋳造していきます。代表作には鎌倉建長寺や円覚寺の梵鐘があります。その鋳造技術は特に高く、関西地方を中心に多数の梵鐘鋳造をてがけた丹治姓鋳物師を「西の丹治」と呼ぶのに対し、「東の物部」とまで称賛されました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鎌倉ハイキング-10 円覚寺... | トップ | 鎌倉ハイキング-12 円覚寺... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

「ハイク缶」 with Photo」カテゴリの最新記事