Zooey's Diary

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「杉原千畝」

2015年12月16日 | 映画


第2次世界大戦中、リトアニア領事代理として日本政府に背いて多くのユダヤ難民にビザを発給し、
彼らの命を救った杉原千畝の半生を映画化。
監督は、日本で生まれ育ったアメリカ人であるチェリン・グラック。

今でこそ彼の出身地である岐阜県八百津町には、立派な杉原千畝記念館もできたそうですが
岐阜出身の私が子どもの頃は、その名前を聞いたこともありませんでした。
日本政府が公式に謝罪し、名誉回復が行われたのは2000年、
本人が亡くなって14年も後のことだというのだから、無理もありません。



戦後、日本の外務省をユダヤ人男性が訪ねるところから映画は始まります。
杉原の消息を尋ねる男に、外務省役人は、そんな人間はいなかったとつれなく答える。
国の意向に逆らった人間として、彼の名前は外務省の記録から抹殺されていたのです。

日本のシンドラーと呼ばれる彼のことをもっと知りたいと、楽しみにしていたのですが…
美化し過ぎず、淡々と描いた点には好感が持てるのですが
あまりに淡泊すぎて、物足りないという感じも否めない。
主役を演じた唐沢寿明が、これはエンターティメントとして観て欲しいと言っていたようですが
エンタメにしては長すぎ(2時間半弱)、そして盛り上がりに欠けている気がします。
例えば、杉原が汽車に乗ってまでもサインし続けたという有名な話は、
幸子夫人の著書にも書かれているのに、映画ではあっさりと汽車に乗り込んでしまっている。
やっとの思いでビザを手にした何千人ものユダヤ人が、ソ連を列車で横断するシーンにしても
妙に綺麗な恰好で、整然と座り込んでいる。
当時、あの広いソ連をぎゅう詰めの列車で数週間かけて横切ることが、どんなに大変であったか、
そしてソ連兵に金品を没収されながらようやく辿り着いたウラジオストク、
そこから敦賀港を経て、どのようにアメリカなどに行くことができたのか、その辺も観たかったのですが。
そんなこと言ったら、もっと長くなっちゃうか。
終盤のダンスシーンなど、削れるところもあったと思うんだけど…



英語、露語、独語、仏語など数ヵ国語を操るインテリジェンス・オフィサー(諜報外交員)と
としての顔も持つ杉原の様子が、映画では淡々と描かれていました。
「Persona Non Grata(ペルソナ・ノン・グラータ)」(好ましからざる人物)という
ソ連からの評価である言葉が、どうして映画の副題になっているのだろうと不思議でしたが
次の説明を読んで納得しました。
”監督は映画の英語タイトル「Persona Non Grata(ペルソナ・ノン・グラータ)」
(好ましからざる人物)に強いこだわりをみせる。
千畝はその諜報活動によって、ソ連側から「Persona Non Grata」の指定を受けて入国を
拒否され、在モスクワ日本大使館へ赴任できなくなる。
「軽蔑されて締め出された経験」を持たなければ、排外される人間の気持ちはわからないという思いと、
戦時下で千畝のような行動をした人は他にもいたという思いを込めているからだ。”



ポーランドでのオールロケで撮ったというこの作品も、その撮影時、
現地のエキストラの人々に感謝の言葉を言われたといいます。
多くの日本人に観て頂きたい作品です。

チェリン・グラック監督に聞く http://www.nippon.com/ja/people/e00091/?pnum=1

映画「杉原千畝」 http://www.sugihara-chiune.jp/
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12 コメント

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以前・・・ (albi)
2015-12-17 07:52:35
ドラマだったか!?忘れましたが・・・
この方を知り、それから文献を少し読み・・・
この地へ一度行ってみたいなぁと思いました。

素晴らしい方ですね。なんだか同じ日本人として嬉しい。
しかし、もし私がこの方の妻だったとしたら・・・
と考えると、とても・・・とても・・・
その点では奥様も素晴らしい
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Unknown (matsubara)
2015-12-17 08:30:33
全体の感想から判断しますと、
前に米国で作られた映画の方が
よさそうですね。

監督が原作に忠実でないことが
残念です。列車を追いかけてサインを
せがむユダヤ人のこととか・・・
返信する
albiさま (zooey)
2015-12-17 13:34:32
そうなのです。
日本人としては誇らしいのですが
実際この人は、戦後外務省を辞めさせられ、不遇の晩年を過ごされたようです。
妻子のことを考えたら、つらい決断だったでしょうね。
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matsubaraさま (zooey)
2015-12-17 13:37:08
監督は多分、単なる美談で終わらせたくなかったのだと思います。
インテリジェンスオフィサー(諜報外交官)としての面も強く出していて
それはそれで事実だったのでしょうが。
安易に感動したかった私は、少々失望しました。
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Unknown (tona)
2015-12-18 21:03:38
もうご覧になったのですね。
ご感想から思っていたのと少し違う感じです。
長いシベリアの旅ののち、日本に到着したときはどんなに実も心もぼろぼろで疲れ切っていたことでしょうね。困難な逃避行を思うにつけ、病人がたくさん出なかったのかしらなどいろいろ考えさせられました。凄い民族ですね。
千畝さんの仕事も本当に日本人離れしています。
今年丁度リトアニアで領事内を見てきたので、見たい映画でした。
今は長い外出が出来ないので感想をありがたく読ませていただきました。
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tonaさま (zooey)
2015-12-18 23:17:19
先週のトルコのも、この作品も、
楽しみにしていたのです。
シベリア鉄道の中ではソ連兵に金目の物を盗られたり、
大変だったようです。
敦賀以降のことは、映画では全く描かれていなかったので
どんなだったのだろう?とこちらのサイトなど見ました。
あの時代に小さな漁港に6000人もの外国人が降り立つって
大変なことですものね?
http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/jewish-refugees/jewish-refugees.html
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Unknown (tona)
2015-12-19 08:09:53
サイトご紹介ありがとうございます。
日本に到着したらソ連内と違って、少し安堵したでしょうが、これから先の旅も、落ち着いた先での新しい生活を築くまでの苦労は想像しただけでも、どんなに大変だったか。よく生きのびましたね。
最近のシリア難民とはまた違った話です。
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tonaさま (zlooey)
2015-12-20 00:41:38
こちらのサイトに
”シベリア鉄道でウラジオストクを目指す途中の駅では、停車するたびにソ連の秘密警察が乗り込み貴金属や時計などを奪ったり、何人もの青年が理由もなくシベリアへ強制労働に連行されたりしました。死ぬような思いでウラジオストクに到着して、日本へ向け連絡船に乗るときには、ユダヤ人難民の大半は所持金をはじめ金目のものはほとんど持っていないという状況でした。”
と出ています。
それでも敦賀の人たちは優しかった、
天国のようだったと。
日本人として誇らしいですね。
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Unknown (セレンディピティ)
2015-12-21 10:40:13
こんにちは。
週末、zooeyさんがご紹介くださった杉原千畝とトルコの海難事故の映画と
どちらか見ようと迷って、こちらを見てきました。
杉原千畝さんは、ユダヤ人を助けるために命のビザを発行したことは
話として知っていたものの、諜報員としての活動など知らないことも多かったので
私は興味深く見れました。
イントロダクションとしてはよくまとまっていたと思いますが
私も是非原作を読んでみたいです。
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セレンディピティさま (zooey)
2015-12-21 23:11:54
幸子夫人の「六千人の命のビザ」だったかは読みました。
手元になくて詳細は忘れてしまいましたが。
以前、水澤心悟氏の杉原千畝一人芝居を観たことがあるのですが
それも結構、感動的でした。
諜報員としての活動は意外でしたが
監督はきっと、美化された杉原氏ではなく、
そのままを描きたかったのでしょうね?
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