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『夏と恋と20曲ラブソング』の放送感想

2020-08-24 12:24:27 | 夏と恋とラブソング

8月16日放送。文化放送・ミスDJリクエストパレード

『夏と恋と20曲ラブソング』ベスト20

1位 ふたりの愛ランド・石川優子とチャゲ

2位 真夏の果実・サザンオールスターズ

3位 夏の誘惑・西城秀樹

4位 ふたりの夏物語~NVRE ENDING SUMMRE・杉山清貴&オメガトライブ

5位 夏の扉・松田聖子

6位 LAVELAND.ISLAND・山下達郎

7位 世界でいちばん熱い夏・プリンセス プリンセス

8位 Mr.サマータイム・サーカス

9位 シンデレラサマー・石川優子

10位 夏の日1993・class 

⒒位 夏のクラクション・稲垣潤一

12位 secret bast~君がくれたもの~・ZOEN

13位 波乗りジョニー・桑田圭祐

14位 Vacat ion ・The Go-Go’s

15位 SPARKLE・山下達郎

16位 青い珊瑚礁・松田聖子

17位 夏祭り・Jitterin’Jin 

18位 あー夏休み・TUBE

19位 想い出のサマー・ナイツ・ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン・ジョン

20位 夏のヒロイン・河合奈保子

といった内容で放送され、そこでの感想メールを番組に送りました。

『200回記念『夏と恋と20曲ラブソング』の感想

 先週のベスト20曲の放送を聴いた結果の中で、山下達郎さんが2曲ランクインしていたことにリスナーとのセンスの違いを肌で感じました。

 僕はサマームード曲は、1983,4年頃に高中正義さんやカシオペアの曲を聴いていた覚えがあります。絵画ではヒロヤマガタさんが注目を浴びていた頃で、ラッセンもその頃から出始めたかと思います。僕は演奏ではサックスを交えた曲がファッショナブルに思え、佐野元春さんの『ヤングブラッズ』を聴いてから、僕がみつけたアーティストとして支持してました。周りは浜省さんにシンパシーを抱いていた頃でしたので、その頃からちょっと僕は孤独ぎみでした。『ヤングブラッズ』は冬に撮影されたPVですもんね。山下達郎さんとの乖離は、その辺にあったのかなと思います。山下達郎さんの曲は、結婚してからラジオ等など含めよく聴くようになりました。

『ふたりの愛ランド』が1位ということで、文句なしの夏の大ヒット曲だと思います。僕より年上の年代の方々が支持していて、90年代までは夏の定番ソングだったのではないでしょうか。僕はその曲が流行っていたときは、おこがましくて、『ふたりの愛ランド』を口ずさむことができませんでした。口ずさんでたとしたら、チェッカーズの曲でした。

 サザンは当然、何かひとつは20曲以内に入るだろうと思ってはいましたが、『真夏の果実』が2位になるとは意外でした。一時期、湘南、茅ケ崎を拠点にして、全国区のサザンからちょっと距離を置かれた時期の曲だったので、映画「稲村ジェーン」は二回ほど観ましたけど、僕の住む地域ではサーフィンがそんなに盛んな地域でもなかったので、サザンと言えば『チャコの海岸物語』。が、サザン=夏の定番ソングでした。集計結果でみれば、地域差があったのかなと、思いました。『波乗りジョニー』はアップロード後のサザンの曲でしたから、新鮮味がありました。

 西城秀樹さんが3位に入ったいうのは、ファンの熱意というのは凄いと思いました。その妹分としてデビューした河合奈保子さんもランクインしてまして、その熱意に圧倒されました。僕は曲を絞って投票できませんでしたが、今回20曲すべて名曲だったことが番組全体としての感想です。

 僕は人生の中でバーベキューやカラオケボックスといった社交場でのお誘いに乏しく、20代前半までしかみんなでワイワイという思い出がないんです。あとは結婚後に家族とぐらいなので。そういう意味では『ミスターサマータイム』は、時代の流れの中にちゃんと刻まれた曲のひとつだとも思いました。

僕としての夏物語は、熱意がちょっと足りませんでした。上からの物言いで、誤字脱字、もしくは長文失礼いたしました。

 

リクエスト曲は、・・・・

 

追伸 ・・・・。今回もご紹介がなければ、ブログにて改めて掲載するかもしれませんがよろしくお願いいたします。』

『・・・・』部分は編集しています。リクエスト曲のほうは番組のほうにあずけています。

 前もってメールを送り、今回、記事にいたしました。感想メールに書いてなかったことについて、お祝いの気持ちを記載してなかったのは、僕としては失礼しました。改めて、放送200回 おめでとうございます。

 サザンオールスターズは、『勝手にシンドバット』が流行していた時は僕は小学生で(5年生ぐらいのとき)中学校の学園祭に遊びに行ったときに生徒が集まってレコードプレーヤーで聴いていた姿を見て「僕たちの曲ではないのかな…」と思いました。その次の『C調言葉にご用心』は、C調言葉の意味が分かりませんでした。『ご用心』とありましたので、小学生の僕は音楽を手にすることには気をつけていました。

 3枚目シングルで『いとしのエリー』が発売されたのですが、そのときは小学生でも上級生になった頃で、B面に当時、ピンクレディーがカップ焼きそばのCMをしてまして、カップ麵とか、焼きそばは当時、子供のおやつだったので、B面にカップ焼きそばに使われてた曲が入っていたので「これなら、僕が聴いてもいいだろう」と思い、初めてレコードを自分で買ったことが始まりでした。おっぱいの歌にも聴こえ恥ずかしかったのですが、あの頃、サザンの曲が欲しくていました。ニュアンスとしてはそのような感想です。

 

 


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夏と恋と『ラブソング』&告知

2020-08-15 12:53:00 | 夏と恋とラブソング

 8月16日に放送される文化放送『ミスDJリクエストパレード・夏と恋と20曲ラブソング』を何回かに分けて記事にしましたが、夏恋についてはいろいろと述べさせていただきました。けれど、ラブソングについては、語ってないということに気づいて。

『ラブソング』とは?

 相手に自分の気持ちを伝える曲のことを『ラブソング』というのでは?と思いました。これまで、僕の紹介だと、伝えられる側にたっての聴いた曲が多かったと思います。僕は男性なので、女性側からが主で、僕からのメッセージというのは、片思い、別れたあとの曲だったりが強調されてたんじゃないか?と、あとで思いました。

 僕の場合、相手に愛を伝える曲は、どこかズレていたりもしました。

 体験談で言えば、佐野元春さんの曲が好きで、それで口説き落とそうともしたこともあるのですが、夏にそれをしたか?といえば、そうでもなかったです。

 夏と言えばチューブと言った時代も過ごしてきました。チューブの曲をかけて、語り合ったり、ドライブで曲を流したりとかの思い出はあまりないです。しいて言えば、夏の同窓会の二次会で、チューブの『だって夏じゃない』をカラオケで歌って、その年は記録的な大冷夏でとくに東北地方は涼しい日が続いて「夏はチューブ」といった空気ではなかったです。暑い夏を偲んで、あえてチューブの曲で騒いだ程度のことで、拍手もまばら、僕的には空気の読めない歌を披露してしまった夏の思い出でした。

 「誰かに聴かせたい」と思って、かける曲が一種の『ラブソング』であれば、まずは洋楽では、クイーンが当時、いち押しでした。

 どの時代の夏だったかと言えば『レディオガガ』が発表された年。1984年の夏『ザ・ワークス』というアルバムを当時の仲間らに聴かせました。

 近年になって映画『ボヘミアンラプソディ』で話題にもなったクイーンのフレディーマーキュリーでしたが。その当時は『レディオガガ』がプロモーションビデオ(PV)でも有名ヒット曲だったのにもかかわらず、その頃、同世代の若者にはあまりウケませんでした。テレビの時代にラジオというニュアンスは、変り者扱いされたのかな。僕は『ブレンズ』という映画に出会ってからが始まりではないか?と思うのですが、エルトンジョンの歌に(メロディ)にも共感してましたし、カルチャークラブもすぐに受け入れてて、デッド・オア・アライブも好んで聴いてました。

 今でいう、マイノリティーもしくは、ゲイと噂されてた方々で、僕はとくにゲイではないのですが、彼らの曲。とくにクイーンのフレディーマーキュリーの歌声には魅了されてました。僕はゲイだからといった目線はいっさいなくて、ただ、曲が好きで周りにも聴かせたりしていたのですが、共感という反応はまったく感じられなかったです。1984年の夏は、かなりのイジメにあったり暴力があった年でもありました。イジメまではいかなくとも、周辺の同世代からは「どこか変」な目で見られていたんだろうと、今になっては思うのです。『おまえが鈍感なんだ』と言われれば、そうだったのかもしれません。あの時代、僕のクイーン愛は、友達にはまったく伝わりませんでした。

 ただ、今回のテーマ『ラブソング』をひとつ、発するのであれば、当時聴いていた『ザ・ワークス』

 

の中に収録されている

『永遠の誓い・クイーン』を僕の洋楽ラブソングベスト1にいたします。『ザ・ワークス』のアルバムの中で、この曲で聴き惚れてほしいと思っていました。

 次に邦楽部門では、体験談からお話ししますと、独身時代。二回ほどデートをした女性がいました。会った時から、ほとんどなにもしゃべらずに食事を一回。ドライブデートを一回ずつ行いました。ドライブデートでは、僕はその頃、殻に閉じこもっていたこともあり、特定の音楽しか聴いていませんでした(購入)。その時は、アン・ルイスさんのベスト盤のカセットアルバムを車で聴いてました。

 ベスト盤だったのでちょっと過ぎた曲ばかりで、一緒に乗っていた彼女も只々黙って聴いてるだけの様子でした。しまいには、ラジオ放送を流しながら、行先の見えないドライブデートをしていた時にですが「家では誰の曲を聴いてるの?」と、尋ねました。

 彼女は小声で『B’z』とこたえ、僕は「ビーズ?」「ビーズ?」と言えば、丸い結晶のことしか想像できずに一瞬「はあ?」と思いました。次第に「あゝ最近よく耳にするバンドのことだ!」と、思いまして「今どきからズレてるな俺…」と思いつつ、その後は進展もなくその場を終えました。やがてB’zのことも知り、ラブソングに選ぶとしたら、

『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない・Bz』

が、僕からの邦楽ベストラブソングです。1993年、3月のリリースで、翌年の1994年は僕は95年に結婚してますので、94年が自由恋愛ラストの年にあたります。

1994年、夏、親友に「結婚するかもしれん」と友人宅を訪れ、報告がてら独身最後の夏を横浜で過ごしました。その時、コーラのCMかなんかでも流れてて、ジュリアナ東京もまだ話題沸騰中で、trfが夏の印象に残ってます。

 

この曲は僕としての『ラブソング』とは言いませんが

結婚後の恋愛は現在進行形なので、1994年が、今現在で言えば、Free Love Period/Last Summer Songになります。

 8月16日の番組へのリクエストメールは今回は送らないことにしました。番組はどのようなかたちでも聴くようにしますが。理由は、僕のほうで番組の楽しみを奪っちゃってるかたちにもなってますので、ここはあえて番組を楽しみにして、僕はここで閉めたいと思います。

先駆けての告知になりますが、

ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の生副音声配信ライブの前に、映画のほうだけ、半分ほど観させていただきました。僕の中ではいろんな思いが入り乱れてますが、僕以外のひとが、その場面、その場面での感想をどのように考えているのか?が楽しみでございます。勝手なまでに告知させていただきました。

 


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夏と恋とラブソング(後編)

2020-08-09 18:57:13 | 夏と恋とラブソング

夏と恋とラブソング(前編)

 前回は『夏と恋と20曲ラブソング・僕がオンエアしたらこうなった』前編10曲をご紹介しましたが、後編10曲、まず、この曲からスタート!

 

『イモ欽トリオ・ハイスクールララバイ』1981年・8月5日リリース。僕が中学2年生の頃の曲です。

「とにかくとびきりの美少女さ」からの歌い出して「100%片思い・・・」で、当時の中学生男子は、みんな普通になった気分を共有できた曲でした。1980年にYMOの曲が登場し、テクノサウンドにもマッチしていて、軽やかな夏の学生生活を思い出します。

 続いて、1980年に戻りますが、その年は中学生に上がった年で、それ以前の恋は一端、リセットされた年でした。だいたい、恋は春先に始まって、ザルにかけられ夏休みまでには振り落とされて、無の状態で夏休みを過ごしながら新たな恋のチャレンジを夢見ていました。

 僕が決定的にリセットしたのが中1の1学期。話しは、小学4年生までさかのぼります。当時、『ラブアタック』というテレビ番組が子供たちの間でも人気で、4年生の終業式にクラスのお別れ会を開きました。クラス内でかぐや姫役(マドンナ)を決めるんですが、挙手数で指名された女子がいました。その女子はピンクレディーの歌マネ振り付けが得意で、人気者でした。僕もその娘が気にいっていて『ラブアタック』のゲームのかぐや姫にプロポーズができる、候補男子に挙手をし、3人ぐらいでいくつかゲームをして、得点が高かった僕がかぐや姫にプロポーズする権利を得ました。そこで、その女子からOKを貰いゲームは成立。人生初の相思相愛を経験しました。豆電球でハート型の飾りを作って、実に本格的にクラスが盛り上がりました。ただ、それを行ったのは終業式の日のお別れ会。その年の春には5年生に進級し、パートナーになった彼女とはクラス替えで別々に。教室もお互いだいぶ離れた教室になり、顔を合わせることもほとんどなくなり、そこでの恋がリセットされました。

 その後、小学5年、6年生を経て、1980年に中学生に進学し、その時、1977年代までクラスを共にした、そのときかぐや姫だった、彼女と再び同じクラスメートになりました。1学期は席も隣で、授業中に勉強を教えてもらったりしました。小学時代の学習の遅れを中学になったら挽回しようと、中学に入って意気込んでいた時で、中学の授業をとにかく理解しようと、その娘に「今の話しどうゆうこと?」と、いったことを授業中にコソコソ聞いてましたら、そのうち担任に報告されて「勉強に集中できないから、やめてほしい」と注意をうけました。夏休み前のことでした。

 

『ビューティフルエネルギー・甲斐バンド』

その後は、スポーツに汗を流すことにまい進していって、恋は、テレビドラマの『1年B組新八先生』に夢中になってました。

『遥くらら・だれかさん』。3曲目は、『3年B組金八先生第2シリーズ』が秋からだったので、この年の夏恋曲はこの曲が代表曲になります。この年の夏休みを境にして、学習成績はガタ落ちになって、体育の成績だけでなんとか面目を保ってた状態でした。

 

 4曲目は『渚のバルコニー』 

 中学3年の修学旅行先で、彼女告白ドラフト会議たるものが、宿泊先の深夜にありまして、修学旅行後に告るという話し合いが男子生徒の中でありました。その後、1番人気の女子生徒と1番人気であろう男子がつき合うようになって、その後、結婚にまで至った生徒もいました。

 僕も挙手をして、気になってた女子の名前を語り、「あの娘もかわいいよな」という話しになって男子からの了承を得ました。その後、夏休み前に告白してなんとかなったのですが、そこからの壁は厚かったです。なかなか一般的な交際まではいきませんでした。ぶりっ子というあだ名がつくほど、田舎者の集団の中では品がいい女子でしたけど、片思いがずっと続いた感じでした。

 この曲は、修学旅行の夕食時の余興で他の女子生徒が歌ったのを聴いて、夏休みになっても耳からは離れませんでした。

5曲目は?

 

『キャッツアイ・杏里』 1983年夏、この年は高校に入学してさまざまなことに影響をうけました。アニメではこの曲が刺激的でしたし、黒のサングラスを「キャッツアイ」と呼ぶようになったのもこの頃でした。「キャッツアイ」と言っていたサングラスが、その後、僕に影響をもたらすことにもなります。

続いて6曲目は?

 

『ダイアン・レイン・ノーホエア・ファスト』 実際、声は別の方が歌ってたそうなのですが、映画で観るライブで、そのリズムには躍動感があって、ダイアン・レインの虜になっていました。1984年の夏はあまりいい思い出がないのですが、北原佐和子さんが学園祭に来たりとか、テニスのリサ・ボンダーが日本で人気になったりとか、とくにこの頃はテニス部に入りたかったな。でも、リサ・ボンダーはタイプだったんですけど、その頃、マニュエラ・マレーバ選手も登場して、マレーバ選手に気持ちがいっちゃたんですよね・・・どうも本命をちゃんと追っかけないんです。僕は。

7曲目は

 

『レベッカ・ラブパッション』。1985年、高3の夏、ワイルド&ハニーというアルバムカセットをずっと聴いてました。このテープを持って”キャッツアイ”のサングラスをして、夏休み前に出会った彼女をつれて、海水浴場でキャンプまでした忘れられない思い出の夏でした。

8曲目は

 

『冷たいキス・ICE BOX』。ちょっとイケない恋をしてた時代に流行ってた曲で、清涼菓子ではとてもおいしくも感じました。

 

9曲目は

 

『バニラ・橘いずみ』。(注・Amazonではプライム曲ではございません)1993年、9月リリースのようですが、それまで、僕の夏恋はコテンパンにやられてきまして、その時、残暑がまだ厳しい中だったんですがTVをつけたら音楽番組で『バニラ』という曲が流れてました。「なんだこのひとは!」と、今まで喚きたい叫びの声がこの曲から感じとれました。この時代を境に初めて無になれた気がして、それから数年後に結婚といったことにもむすびつきました。

前編、後編、計20曲。ラストは、僕の曲で閉めたいと思います。8月16日までにはもう少し吟味して、リクエストに応募できたらなと思います。

『人為なき雨音』

人為なき雨音

 


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夏と恋とラブソング(前編)

2020-08-06 10:08:05 | 夏と恋とラブソング

 文化放送『ミスDJリクエストパレード』にて、8月16日「夏と恋と20曲ラブソング」といった特集をやるようで、それに便乗しまして、僕がオンエアしたらどうなるか?をご紹介いたします。20曲ということですが、まずは前編10曲をご紹介いたします。

 

一発目でピンときたのが『北原佐和子・マイ・ボーイフレンド』。大ファンということでもなかったのですが、可愛らしいかたで、友達がファンだったのを思い出します。北原佐和子さんは学園祭にも来てくれまして、代表曲の「マイ・ボーイフレンド」を歌っていただいたというご縁のある思い出もございます。

続いて二曲目は『山口百恵・ひと夏の経験』

小学生時代に流行っていた曲です。夏恋といえば、この曲が思い浮かびました。

 

 続いて、3曲目は『アグネスチャン・ひなげしの花』。アグネスチャンが流行っていた頃は、僕は幼稚園ぐらいで、恋心をおぼえ始めたというか、感じ始めたのがこの曲からです。夢にまで見た!きっかけの恋ソングです。

 それを超えたのが、次の曲『岩崎宏美・ロマンス』。

 森昌子・桜田淳子・山口百恵さんら、ご三方が人気だった時代でしたが、あの時代、僕は岩崎宏美さん派でした。夢にまで出てきて恋した曲のひとつといいますか、僕にとっての代表恋ソングです。

ここまで4曲ご紹介しましたが、続いて5曲目は?

DQX<祈りの踊り子>

『DQX<祈りの踊り子>』僕が作詞作曲した曲です。いろいろと影響をうけて曲を作りました。

 続いて6曲目は?

 

 『さとう宗幸・青葉城恋唄』。宮城県ならびに仙台市の代表曲になりましたけど、小学生時代に流行り、その後にも影響をうけた曲です。

7曲目は『石野真子・狼なんか怖くない』。

 

 石野真子さんがデビューしたのは、僕が小学校4年、5年生の頃で、そのルックスに衝撃をうけました。

 

8曲目は『サザンオールスターズ・いとしのエリー』。

小学生時代、初めて買ったシングルレコードで、あの当時も恋はしてました。

 

 9曲目は、二枚目に買ったシングルレコードで、『ツイスト・燃えろいい女』。

 同級生に世良公則さんの大ファンの娘がいまして、ザ・ベストテンにもすごくブームで、とくに『銃爪(ひきがね)』が大流行していた時は「キャーキャー」言ってました。世良さんにひっかけて話しをするとすごく喜んでいて、それにお付き合いするようにレコードを買いました。

前編ラストの曲となりますが、僕が作詞した曲で閉めたいと思います。後編はどの曲になるかはお楽しみにー

いつもと違う予感


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