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旧える天まるのブログ
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『まちの腰かけ』境内⑤

2021-01-28 10:55:07 | まちの腰かけ

 もう何十年もこの辺を通っていたのですが、腰かけがあるのは知りつつ、ほとんど立ち止まって見ることがなかったとある場所。10年、20年の間、もしくはそれ以前から「この腰かけにいったい何人の人が腰かけたことがあるんだろう」と思うほど、誰も座ったことがないような『まちの腰かけ』。

 場所は慰霊碑があるお墓みたいな場所だと感じていましたが、その場所をよく見ると、古峰神社が祀られた境内でした。広場の空間に枯れ葉やゴミが散乱しているわけでもなく、近所に住む住人は時折掃除なども行っているようにも思えました。

 『古峰神社』とは、いったいなんの神社だろうと調べてみたら、天狗にまつわる信仰のようです。

 

古峯神社の天狗のはなし - 秩父・仙台まほろばの道

昔、次郎作という男がいて毎日河原で遊んでいた。それを山からみていた天狗が「次郎作どんは何をやってんだんべ」と不思議に思い、「毎日何しに来てる...

古峯神社の天狗のはなし - 秩父・仙台まほろばの道

 

 広場(境内)を囲むように道端に沿って設置されているタイヤ。歩行者にはこのタイヤのほうが腰かけとしての役割もあるように思えました。

 その存在感は何十年も前からあった『まちの腰かけ』。僕が思ったのは「汚れて見えるあのベンチを一度きれいに洗ってみようか」という、奉仕の気持ちが湧きました。


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筆記用具・ノックノック

2021-01-25 16:26:25 | ノックノック(雑記の宿)

 筆記用具の想い出とかありますでしょうか。

 僕は3歳上の姉がいまして、姉が小学校に入学した当時、ランドセルやら、なんやらかんやら子供が喜びそうな物をいっぱい買ってもらってまして。入学式前に茶の間ではしゃいてた姿を見てて羨ましく思ってました。中にはおもちゃみたいなのもあって、それを僕が触ろうとしたら酷く姉に怒られ、まあ、自分の時も「いっぱいいろんな物をもらえるんだろうな」と、怒られたときは我慢をしました。

 姉よりも僕のほうが爺さんから自転車を買ってもらったり、キャラクター物のおもちゃを買ってもらったりと、男の子向けの商品が多く流通していた時代だったので、姉のほうが僕よりも我慢していたのかもしれません。

 僕が小学校に入学したのは、親の引っ越しと重なった時でした。引っ越し作業と入学準備が重なったこともあり、ランドセルや筆記用具は入学式の前日に渡されたような感じで、お茶の間でお披露目してワイワイしたという記憶がないのです。あるのは入学して1週間は家で過ごし、ゲッターロボ(テレビアニメ)を見て。翌週の月曜日からは、引っ越した新居から小学校に通いました。

 勉強机はなく、あったのですが、その当時よく使われていたスチール製の学習机ではなくて、親父が使っていた木製のデスクで畳に座布団を敷いて引き出しは二個しかない。貧祖でお古な学習机でした。

「昔はミカン箱で云々」とよく耳にした時代でしたけど、親父はわりといいところの子だったみたいで、親父の時代の学習机が僕に継承されました。けど、頻繁に家の模様替えをするので、ここに机を置けばあっち、あそこに机を置けばこっち、しまいには机は邪魔だから倉庫に置かれて「宿題は朝起きてからやれ!」と、早起きするのも大変だったので、宿題をやらずにいつも学校に行ってました。

 学校から宿題用のプリントを渡されても出来ないから、そのときは無意識でしたけど、学校の机に押し込んで隠して家に帰り宿題を忘れたことにして学業に励んでました。そのうち先生に見つかって親にはコテンパンに怒られました。親父も若かったですから、恥をかいたと大怒りでした。そもそも「なぜ引っ越したのか」の説明もなく、僕も「なぜ?」ということを親には聞きませんでしたから、親子のコミュニケーションそのものがよその家庭よりも不足していたと思います。

 言いたいことを一方的に言う。そのようなことを今でも僕はしています(このような場で)。親も子供を叱るのがひとつのはけ口だったのかもしれません。その「なぜ」がわからないまま、成人になってから親父と取っ組み合いの喧嘩をしたり、母親にも八つ当たりをしたり、世間じゃダメ息子で通っています。

 筆記用具のお話しをしますと、小学校入学時に筆箱の想い出はほとんどないというか、みなが持っているような筆箱ではなかったです。

 

☆懐かしい。昭和のギミック筆箱の巻!!☆ | ☆月光のあれこれ日記☆

☆アンティークショップ月光の社長による、懐かし珍しい物を話したい! という気持ちを抑えきれずに発信しちゃった日記。 何かを見つけると更新しま...

☆月光のあれこれ日記☆

 

 検索して、出てきたものでリンクでご説明しますと、ビニール製の筆箱が当時の旬でした。僕がこのような筆箱で入学式を迎えた記憶はなくて、布製のチャックで開け閉めする筆入れで学校に通っていました。親に筆箱のおねだりをした記憶はあるのですが、古い家に育った親父でしたから、今どきの物は否定的で、諭されるように布製の筆入れを持って恥ずかしさ半分に小学生生活をスタートさせていました。

 小学3年生ぐらいになると、使ってる筆記用具も古びてきて、えんぴつで書く習慣も飽きてくる生徒もいて、教室内で布製の筆入れを持つ生徒もしばしばいるようになりました。その時に便利なのがシャープペンシルでした。そして周りの生徒もシャープペンシルを使い始めるようになりました。

 そうなると、逆にえんぴつに拘った僕は、友達ふたりぐらいで鉛筆主義を守ってましたけど、布製筆入れでキャップ無しのえんぴつを入れていると、芯が折れて何度も学習の神様から見捨てられていた僕は、学習の遅れには耐えがたく、プラスティック製のシャープペンシルを買ってリニューアルしました。ぶっちゃけ、えんぴつ主義だった友達がシャープペンシルに裏切ったので、僕もさすがに降参しました。

 オイルショックがあった時代でしたけど、シャープペンは便利でした。小学生の後半はシャープペンシルしか使いませんでした。シャープペンシルだけもって高校まで卒業したぐらいです。

 ノートの話しになると、自由帳というのがありまして、線も何もひいてない 真っ白なページのノートを持つようにと言われました。母親にそれを買ってきてと頼んだら、アルプスの少女ハイジの表紙が描かれてたノートを僕にわたしました。男の子だった僕は少女ハイジのノートが恥ずかしくて、ランドセルに入れても出すのが恥ずかしくて、みんなが見ていない隙に机に入れてたりもしました。先生に授業中「自由帳を出しなさい」と言われても、アルプスの少女ハイジのキャラクターのノートが恥ずかしくてモゾモゾし出し渋っていた想い出があります。その先生は女性だったので、再々出しなさいと言われて出したときは「あらかわいい」と言われました。その後はその先生からは少し可愛がられました。

 その先生のためにけっこういろんなことで頑張りました。勉強は周りからは見劣りしましたけど、水泳の級の特級を唯一取得したりとか、スポ小内で1番になったりしたりとか、ラブアタックでかぐや姫ゲットしたり、その都度、その都度、褒めてくれました。人気があった先生でしたからやがて僕からは遠ざかっていきましたけど。

 5年生になってその先生とも別れて、宿題を忘れたり、教科書を忘れたり、『忘れ物のチャンピオン』と呼ばれるようにもなりました。

 4年生時代の蓄積があって、5年生はわりと楽しく過ごせました。6年生にあがる年の冬休みだったか、春休みだったか、あるシャープペンシルに出会いまして‥‥‥

三浦紙屋さんというところに、ひときわ気に入ったシャープペンシルがありました。

 

三菱鉛筆「BOXY シャープペンシル」 : テーゲー日記 〜文具と万年筆のブログ〜

本日は三菱鉛筆からBOXYのシャープペンシルを紹介します。三菱鉛筆はBOXYブランドで様々な文房具を発売していますが、このペンシルもその中の...

テーゲー日記 〜文具と万年筆のブログ〜

 

 みつかるもんですね。三菱鉛筆の『BOXY シャープペンシル』もうひとめぼれでした。

 家に帰ってお年玉かなんかで持ってた1000円を握りしめて、このシャープペンシルを買いに行きました。1000円相当かかるものだと思って1000円で買った覚えはあるのですが、500円だったのかなーー。あの時は1000円で買えても嬉しかったです。このシャープペンシルはとにかく大事に持ってました。東日本大震災があった頃までありました。あの後、ごちゃごちゃになっちゃって探す気力も失せましたけど、なんか好きだったなーこのシャープペン。『BOXY』という男っぽさが好きでした。

 イラストとかを含め、小学生男子は、宇宙戦艦ヤマトとか、ガンダムとかも出始めた頃かな。キャラクターとしてはちょっと尖った感じの絵面を好んでいた時代に、僕は『忘れ物のチャンピオン』と呼ばれるほどでしたから、あの当時、ジャンプ、マガジン、サンデー、があたり前に読む少年漫画の時代に「あまり周りは読んでないであろう」という理由で『少年チャンピオン』を購読してました。

 ドカベンで有名な少年チャンピオンでしたが、アニメ化もされて単行本などで独立していたので、『少年チャンピオン』を口にする男子生徒はいませんでした。こっそり読んで出会ったのが『らんぽう』というギャグ漫画で‥‥‥

 

 1978年から連載されて、ちょうどこの漫画を初回から読み始めました。絵面がかわいくて、ギャグ漫画で新しいものを見てるようでお気に入りでした。タモリさんに似せたカラスが出てきて、それが敵役で意地悪な設定で、のほほんと交わしていく主人公がなんともいえない面白さがありました。誰もが一度は志した経験はあるかと思いますが「漫画家になろう」と思ったことが『らんぽう』を読んで思ったことでした。地道に『らんぽう』の絵を書き真似て『漫画家になりたい』とか言いつつ友達に紹介したら、その友達がお金の力までつかって、競争心まで煽って「おれのほうが凄い」といった態度を示してきたので、すっかり『らんぽう』からは足を洗いました。

 その後、中学に上がった時に『Drスランプアラレちゃん』が流行りまして、僕もあの手の絵面が好きだったので、ガッちゃんのポスターを見つけたときは、いの一番に買いました。『らんぽう』ファン=『ガッちゃん』ファンだったんです。

 それと『BOXY』と何が関係があるのかと申しますと、僕は、小学生時代、あまり男オトコしたもの(筆記用具)を持つのが得意ではなかったんです。5年生ぐらいのときは、缶のペンシル入れ。なんて呼んでたのかなーー。缶の筆箱が流行ったときには、イルカさんが描いたと言われたイラストのものを持っていたり、ちょっとポエムチックぽい、ほわっとしたデザインのものをウケねらいで持ってました。

 『忘れ物のチャンピオン』とか言われるくらいでしたから、自己主張の持ち物で男らしさとか「どうでもいい」くらいに思って持ってました。『半分男子』ぐらいな感覚でした。

 けど、『BOXY』のは大事にしてました。好きすぎて、代わりの『BOXYシャープペンシル』を持ったぐらいです。

 

値下げ boxy シャーペン - ヤフオク!

使用可能

ヤフオク!

 

  これの赤色のを持ってました。書き心地 握り心地が良くて、ずいぶん重宝しました。パステルレッドで、お気に入りでした。

この二種類のシャープペンシルは、ずいぶんと長い間、我が家のペン立ての中に入っていました。その想い出を語るのは初めてのことです。では。

ご提供いただいた画像はリンクになってますので、ご訪問していただければと思います。


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『テレワーク・目標管理と部下指導』目標管理を一口でいうと

2021-01-22 15:02:21 | DQXテレワーク・目標管理と部下指導

「目標管理という日本語は結果のわりつけによる管理」

「Managemet by Results]

「という、シュレーの著書が示している。目標管理は?」

「Management by Objective」

「というドラッカー等の著書に見られる言葉が用いられ、これを目標管理という日本語に訳して広く使われるようになった」

「そして新しい管理文化‥‥‥」

「管理文化?、新しい管理文化ねぇーー」

「の創造‥‥‥なに、ごそごそしてるんだよ?」

「じゃーこれを渡すわ」

「図書館資料論」

「新しい管理文化でしょ?」

「情報流通メディア分類表‥‥‥」

「どう?」

「メディア分類表の字が見えるかなーー」

「アップにしたら?」

「わかってもらえるかなーー」

「まあ、がんばってぇーー」


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『卒アルラジオ』・メール紹介

2021-01-21 07:30:26 | 雑記の宿

文化放送・『卒業アルバムに1人はいそうな人を探すラジオ』

 昨年から少しずつ聴き始めたラジオです。まだ全パーソナリティーの放送は聴いてませんが、

昨日は、『賭博にまつわる自慢がある人〜‥‥‥』というお題だったので想い出をいっぱいメールしてみました。

 聴き足りない部分もまだありつつ。思ったことをメールいたしました。(オンエアで読まれたものではありません)

『前略 

『CR大工の源さん』が流行っていた時代に一日で11万の景品を稼いだこともあります。月でいえば50万勝ったこともありました。勝負の仕方は当時、1000円×5枚で出なければ退店しました。その方法で勝ち続け、負けを喫し、引退しました。

 それからはパチンコ店には行ってません。パチンコは『負けたらやめる』。それが私のギャンブル哲学です。』

 自慢話しといった趣旨でしたが、過去に11万円の景品と交換したことがあったぐらいです。この時期にギャンブルは悟りの境地に至りました。5,6万勝ってても結局0になることもあったので、パチンコ以外の借金も背負っていたので、勝ってそして負けてやめました。やめたことが自慢です。

 

 競馬の話題にもなっていたので番組内で急いでメールしました。

『オグリキャップブームの煽りで、女性も競馬場に行くようになり、「実物の馬は綺麗だよ」と当時知り合った彼女に影響をうけて競馬場に行きました。

競馬場はアミューズメント施設のようで、馬も確かに見ごたえがありました。

最終レースの馬券を買い競馬場内を歩いていたら、胸のポケットに入れていた馬券が馬券スリの被害に遭い、馬券を失くしました。レース結果どころではなく競馬場を去りました。その彼女も結果を見ずに去ってしまいました。

馬券をチラつかせ、ギャンブル施設を歩くのは危険です。それが私の教訓です。』

 なんの自慢にもなってないという。急いで書いたので何言ってるか、わかんないかもしれませんが、馬券でスル前に、馬券をスラれた話です。胸ポケットではなくて、カバンについてたポケットに差し込んでいたらスリにスラれてしまったという話しです。

 3通目はまたパチンコの想い出があったのでメールしました。

『高校を卒業してまず始めたのがパチンコでした。「2000円ぐらい勝てばいいな」くらいな感覚で遊んでいて、パチンコ屋さんでまず探していたのがファミコンソフトでした。2000円分の玉にならないときは、ファミコンソフトと交換して家でファミコンもしてました。

ある日暇すぎて、遊ぶ金もなかったので、パチンコで交換したファミコンソフトを中古ゲームソフト屋さんに持って行ったら2万円になりました。

そのお金でパチンコゲームセンターで暇をつぶしました。』

 今はどうなのかわかりませんが、ファミコンソフトが景品でよくありました。ファミコンソフトを手に入れるためにパチンコ屋さんに通ってたようなものです。もう少し豪華なのだと、腕時計とかにも交換しました。テトリスが知らなくて、それを交換したら大流行になって中古価格でもけっこう高い値で売れました。

 昨日の放送がこれです。

 

補足ですが、何か勘違いされてる方がいるみたいで、僕も番組で採用されれば返事はしてるんですよ。あと、オンエアされることはあまり意識してません。

補足までにそのメールをここに載せておきます。

2020/11/15 13:27 dj@joqr.net 

『先週はリクエスト曲がかかりありがとうございます。

 ツイッターのコメントを見ると、野次馬庶民さんからメッセージがあり、一時期、わだかまっていましたが、気分が晴れました。

「今どき」はイケてる自慢の小説を書いてますが、読み返すとまだまだで「イケてません」。今、自分が作詞作曲したスポークンワーズの続編を小説化してます。イケてない時代をイケてる感じに書いてますけど、直しがいっぱいでなかなかイケません。』

ちなみにリクエストは曲だけかかりました。

2020/11/01 14:03 dj@joqr.net 

『1983年6月、1年生で高校総体デビュー。万年、予選落ちの高校で期待を持たれ試合に挑みましたが、初戦敗退し、その後は補欠が続きました。

 翌年の11月の秋の大会でレギュラー復帰。予選落ちから始まったチームは県大会で準優勝。あと、一歩で優勝というところで逆転負けをし、監督から「おまえがあそこで活躍してれば敢闘賞やれたのに、やらない」と言われ。僕は腐りました。部員の不祥事もあり僕はこの秋の大会で退部。11月の忘れられない思い出の準優勝です。

 この頃(11月)、何が流行ってたのか?思い出せまんでしたが、

TOM☆キャットの『ふられ気分でRock`n Roll』が、発売された月なようなので、この曲をリクエストします。

まさにふられ気分な秋でした。』

 


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クワイエット・ノミネート

2021-01-18 08:45:46 | ノミネート(雑記の宿)

 

 


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