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本多勝一の罪深さ

2016年05月03日 | 社会、読書
産経新聞の「歴史戦シリーズ」に本多勝一が取り上げられた。
朝日新聞にルポ「中国の旅」を連載し、旧日本軍の極悪非道ぶりを事実として報じ
チャイナから良心的な日本人とされている人物だ。

私もかつて南京大虐殺を信じていた一人だ。
大新聞が嘘を書くなんて思いもしなかった。
ころっと騙されて、自分の祖国、祖先を恥じていた。
その頃南京大虐殺に異を唱える人々もいて、
彼らの主張は「南京大虐殺まぼろし説」と呼ばれていた。
しかし私は端から「右翼の戯言」としか思わなかった。

自分の利益のためには平気で嘘をつき「嘘も百辺言えば本当になる」と考える国(民族)があって
プロパガンダ(政治的宣伝)は国際社会では日常茶飯事である。

そのことさえ知っていれば、
あのときに「まぼろし説」に耳を傾けることができただろう。

本多勝一氏は現在、産経新聞の取材を拒否している。
本人も分かっていて嘘八百を垂れ流したのだろう。
だからこそ逃げ回っている。卑怯者だ。

以下に全文転載し、特に重要と思われる部分を赤字にした。

2016.5.1 産経新聞
【歴史戦 南京が顕彰した男(上)】
南京記念館が賛美する元朝日記者 “大虐殺”の宣伝に貢献「小日本にもスゴい記者が…尊敬するよ」
「小日本(日本人に対する蔑称)の中にもスゴい記者がいたんだね。尊敬するよ」
 中国・江蘇省南京の「南京大虐殺記念館」。展示の後半にある「南京大虐殺史学研究及(およ)びその影響」というコーナーに掲げられたある男性の写真や著作に見入っていた50代の女性が、複数の同行者に大声で話しかけた。団体旅行とおぼしき年配の集団で、おそろいのピンクの帽子には浙江省寧波の地名が読み取れた。
 1997年に『ザ・レイプ・オブ・南京』を著した中国系米国人アイリス・チャンの紹介の左隣に大きなサングラスをかけ、素顔を隠した人物の写真が並ぶ。男性は元朝日新聞記者、本多勝一。「大虐殺」を世界に周知するうえで大きな貢献をした数人の日本人のひとりとして本多は顕彰されているのだ。
■   ■
 館内の展示は大半が中国語と英語のほか、日本語の説明も記されている。顔写真の真下に展示されていた本多の著書。ガラスケースの中には『南京への道』『裁かれた南京大虐殺』『中国の日本軍』など5冊が並べられていた。
 のぞき込んだ60代の男性は「日本人が研究した南京大虐殺の真相の本なんだから、なんで日本人全員が読んで謝罪しないんだ?」と、横にいた女性に向かって話した。
 本多が取材で使ったというフィルム式の小型カメラ2台と、使い捨てのノック式ボールペン1本が仰々しく飾られていた。証言を丹念に集めた取材で「真相」を本多が突き止めて告発した、とアピールしたかったようだ。
 団体旅行の男女に話しかけたい衝動に一瞬かられたが、4年前に記念館で取材していた共同通信の男性記者が「おまえは日本人か」などと叫んだ中年の中国人の男から首を絞め上げられ、別の男からも殴る蹴るの暴行を受けた事件が頭をよぎった。
 このため展示の前でしばらく黙って観察していたが本多の存在を事前に知っていたと思われる中国人は見当たらなかった。参観者の多くは展示をみて、初めて「本多勝一」の名を知り、その上で「朝日新聞」に好印象を抱いたようだった。

 同じコーナーには、旧日本軍人としての南京での経験から「南京大虐殺」を告発したという著書『わが南京プラトーン 一召集兵の体験した南京大虐殺』を昭和62年に出版した東(あずま)史郎の顔写真のほかに、「中日友好」と東が書いた色紙も飾られていた。日本では日中両国について記す場合、「日中」と表現するのが通例だが、東はあえて「中日」と中国を先にした。
 東は元上官から名誉毀損(きそん)で提訴され、東京地裁で「残虐行為を裏付ける客観的証拠はない」として損害賠償を命じられたが、控訴した。平成12年1月には最高裁で敗訴が確定している。記念館の展示ではそうした事実にはなんら触れず、本多やアイリス・チャンと並ぶ尊敬すべき人物としてスポットライトを浴びていた。
■   ■
 記念館であえて日本人の名前を出し、写真や物品まで展示して中国人にシンパシーを感じさせようとする狙いについて、南京のある歴史研究家は、「『少数の日本軍国主義者と大多数の日本人民を厳格に区分せよ』という毛沢東の対日政策『二分法』が南京でも生きている」と語る。
 二分法は「共通の敵を打倒するため連帯できる諸勢力と共闘する」との毛の理論。日本人全員を敵に回すことは中国にとっても得策ではないという。
 記念館は熊本地震に対し、4月15日にインターネット上で「友人のみなさんご無事ですか?」とする異例の見舞いメッセージを発表した。中国語のただし書きで、「熊本出身者を中心に編成された日本陸軍の師団が南京大虐殺の元凶だったが、熊本県日中友好協会の関係者が20年以上も記念館を訪れ、犠牲者を悼んでいる事実がある」などと説明した。善意に基づくメッセージと思いたいが、本多らを展示でたたえた手法に近い印象も残った。
 「愛国教育基地」として、地元や周辺地域の小中学校の児童や生徒の必須の参観場所となっている記念館。中国の主張に同調する発言を行う日本人や関係者のみを“味方”と位置づけて、それ以外を敵視するという「二分法」を実践するほか、日本国内の世論を分断させることも対日工作の基本だと植え付けようとしているようにみえる。

根拠なき「30万人殺害」 南京での取材「2日間で4人」
 「南京大虐殺記念館」で顕彰されている元朝日新聞記者、本多勝一はカナダ北極圏の先住民に密着取材したルポルタージュなどで評価を高め、かつて「『朝日』のエース」(「週刊新潮」昭和46年9月25日号)ともてはやされたジャーナリズム界の“寵児(ちょうじ)”だった。
 その本多と「南京」のかかわりは46年、朝日新聞夕刊での連載記事に始まる。タイトルは「中国の旅」。この年6月から7月にかけ約40日間、本多が中国各地を回った際の取材ルポだ。
 連載は8月から12月まで全40回に及び、旧日本軍兵士らが中国各地で行ったという生々しい「残虐行為」を毎回のように克明に伝えた
 「強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという」
「日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した」
 これらは、本多が中国で取材した「生き証人」らが語った内容だった。にわかには信じがたい「蛮行」の数々は、当時の日本社会に大きな衝撃を与えた。
 反発も大きく、一連の記事は、旧日本軍関係者らが否定したり、多数の疑義が呈されたりした。朝日に対しては「ごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(朝日新聞社史大正・昭和戦前編)といい、論壇では「中国の旅」が報じた「南京大虐殺」などをめぐって論争が巻き起こる。
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 「日本軍は長江に近い二つの門も突破して、南京城外へくりだした。(中略)南京城北七キロの燕子磯では十万人に及ぶ住民を川辺の砂原に追出しておいて、機関銃で皆殺しにした。(中略)南京城内も合わせて約二十万人が殺されたとみられている」(46年11月5日朝日夕刊)
 これは9歳のころ、「南京大虐殺」を体験したという南京港務局内河船員の姜根福(連載当時43歳)が、本多に語った12年12月の南京陥落後の状況だ。
 「中国の旅」第3部は「『南京大虐殺』の被害者たち」の証言を10回にわたり伝えた。46年7月、空路南京入りした本多が、「二日間に四人から取材した」内容だ。
 四人のうちの一人、姜の話を基に本多は「紫金山でも二千人が生埋めにされている。こうした歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された」(46年11月5日)とも伝えた。
 広島、長崎への原爆投下による合計犠牲者(推定)に匹敵する20万人や、「南京大虐殺記念館」の入り口に大書されている30万人が犠牲者数としてさらりと登場する。だが、姜は何ら根拠は示していない
 一方、12年12月の南京攻略戦時、取材団80人あまりを現地に送り込んだ朝日新聞は、本多の記事とは全く異なる情景を報じている。
 「中山路の本社臨時支局にゐても、もう銃声も砲声も聞えない。(中略)もう全く戦争を忘れて平常な南京に居るやうな錯覚を起す。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹返して居る」(「東京朝日新聞」12年12月16日)
 連載当時、南京攻略戦に参加した元兵士や従軍取材した朝日新聞記者が多数存命していた。にもかかわらず、本多が日本側の証人に、裏取り取材をした形跡は見られない。

 「南京事件」をめぐるプロパガンダ(政治宣伝)を研究している明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次はこう指摘する。
 「彼のルポルタージュは中国の“御用聞き”よろしく、史実に対する一切の検証も批判も度外視し、中国側の言い分を朝日新聞を通じて、一方的に垂れ流すものにすぎない
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 「歴史戦」取材班は4月、本多が編集委員を務める週刊金曜日編集部を通じ、「中国の旅」第3部で取り上げた中国人の証言や証言に基づいて報じた内容がすべて「歴史的事実であると考えるか」と質問した。同編集部によると、本多からは「『産経新聞』の取材・報道姿勢等にこれまで多くの疑義を抱いているため、回答は差し控えたい」という趣旨の連絡があったという。
 取材班は朝日新聞広報部にも「中国の旅」に関して「事実と異なる部分」について今後紙面で訂正や取り消しをする予定はあるか質問した。広報部は「古い話であり、現時点では回答できることはありません」としている。(敬称略)

 中国が「南京大虐殺」を広めるうえで大きな役割を果たした本多勝一。「歴史戦」第16部では、本多の記事が与えた影響について検証する。(敬称略)
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