フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

はたらく/じぶくる/じぶらく

2005-09-04 19:44:53 | 哲学・思想
 働くとは、はたのものをらくにしてやることだ、とよく言われる。
 ただし、働いている間はけっこう苦しいこともある。
 それでは、はたらく=じぶくる(自分は苦しい)なのか? といえば、違う。
はたをらくにしつつ、自分も楽しいとか充実するとかいうこともあるからだ。
 自分は、ある派遣会社を通じたイベントスタッフの仕事をしているときに、はたらく=じぶらく を味わった。
 ABC-TV主催の、奈良の唐招提寺というお寺の、数十年に一度の鑑真像公開イベントで、切符もぎりやお客の案内・誘導をする仕事だった。季節は寒い時期で、朝から晩まで広い寺の敷地内をかけめぐったりと体力はいった。それでも、仕事をする誇らしさとか、ありがたさ、喜びといったものを確かに感じられた。ちょうど同時期に開催されていた、同じ寺の東山魁夷という画家の襖絵と、中国の山水画の展示もあり、スタッフもいい絵を見ることができた。また、お茶の先生が、働くスタッフたちに、アルバイトも除外しないでお茶をふるまい、お庭を見せてもらったことも、うれしい驚きだった。
 なかにはインドのサリーを着たお客さんもいたし、身体障害者とそのご家族もやってきた。日本や世界の各地からやってきたいろいろな人に出会えて刺激的だった。
 コギャル系、英検は役に立たない英語だから勉強しないほうがいいとのたまう男性など、社会的に排除されているか、されかかっている人たちが派遣のアルバイトのなかにはいた。かんたんな数学、というよりも算数の問題がわからないために、上司の指示を理解できずにうろたえている短大生もいた。それでも、協力して大事な行事をやりとげる充実感と爽快感はたまらなかった。一週間ほどでその仕事は終わってしまったが、またやりたいと思わせるものがあった。

 わたしは、スキルが低いのと、長年の貧乏生活によって髪を整えるなど最低限の文化的なゆとりを剥奪された状態にある。そのため、そこの派遣会社からは締め出されてしまった。そのときは、親・兄弟も今よりももっとフリーターについて理解しておらず、一日3食食べることもできなかったのだ。やせていると、体力がない、もう使い捨てるころとみなされ、登録していても声がかからなくなる。だけれども、「よい仕事とは何か」を考えるにはいい経験だった。

 短期の不安定な雇用であり、時給800円、交通費は出ないという条件なので、
この雇用形態は賛成できない。けれど、仕事の内容は興味深く、またすばらしかった。スタッフどうしも、仕事の性格上、競争よりも協力のムードが強く、マニュアル的ではなく自然と声をかけあったり、にこやかな表情で、明るくおちついて働いていた。
 こうした、はたをらくにする と同時に自分が楽しくなるような仕事は、今のところマイナーだ。けれども、これから増やしてゆけないだろうか? 働くのと同時に自分が楽しくなるような仕事は。
過労死・過労自殺・心身症・軽い慢性的なうつ病などの問題も、はたらくのは自分が苦しくて当然という発想が一枚かんでいる。まず自分のためになって、しかも他人のためにもなる仕事(観)ってないだろうか? そういう仕事観の会社/社会なら、やすやすと仕事のしすぎで体を壊すこともないだろう。えんえんと残業を求め、終電の関係でほんの数分早く会社を出ることをも罪悪視するような風潮もなくなるにちがいない。
 自分も他人もらくになれる仕事や働き方は、かんたんには見つからないだろう。だからこそ求めてしまう。ま、ねばりづよく探しますか。今やっている楽器2種類で稼げるようになれば、それに近い状態もあるかも。(練習は孤独で気の滅入るものだけれど。)



 
 

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