フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

わたしがフリーターになったわけ

2004-08-20 04:19:34 | 動機
それは、奪われた実存を取り戻す試みだった。

もし、もう少し自分でかせげていれば、多分今頃は動物学者かコンピューター・プログラマーになっていただろう。

わたしの家と地域はとても女性差別的なところだ。また子どもの権利のつぶされる子ども差別のひどいところでもある。
いや、日本国憲法に記された移動の自由や幸福追求の権利さえも憎み破壊しようとする衝動の持ち主の溜まり場だ。

そこで、登校拒否という選択をした自分がいた。あちこちの自分の選んだフリースクールを回って友達をたくさん作ったり学んだりする選択はつぶされた。フリースクールは選択を軸としている。それで、身近な選択であれば何でも取るのでは選択らしい選択とはいえない。フリースクールならどこでもいいわけではないのだ。
にもかかわらず、近代家族の中の霞ヶ関ともいうべき、親による許認可システムがジャマをした。官僚としての親は、わたしの自己決定権と幸福追求権と移動の自由を妨げた。

わたしは自分を知る必要のある時期にそれを禁じられ、せまい家の中に軟禁されたも同然だった。親は悪霊のごとくわたしにとりついた。田舎の優等生ゆえのエリート意識を持つ母は、東京のよい学校に通ったがゆえに彼女自身には特権的に許されたことのことごとくをわたしに禁じた。例えば海外旅行。車の免許をとること。夜の外出権。性に関する情報にアクセスする権利。
そのほか、護身術のための武道を学ぶ権利も蹂躙した。異

彼女の自意識過剰と反比例する形でわたしは自意識過小におちいった。自分が自分だと認識できないのだ。アイデンテイテイ・クライシスに陥り、悩むわたしを家族は「暗い」と称していじめるゲームにふけった。そうしなけば、家族の一体感が確保できないからだ。学校で身に着ける仲間意識ほど質の悪いものはない。
親の指定した地域のフリースクールに行っても、それは自分が選んだのではない以上、当然、自分の選択にも実存にもならなかった。ただ、自分が自分でないような空虚な辛さを増すばかりだった。

そんななか、大検をとったあと自分が昔何をしようとしていたかも抑圧の淵のなかに閉じ込めた自分を見失ったわたしがいた。彼女は、フリーターを選んだ。
アルバイトでお金を稼いで貯金したかった。そうして自分でためたお金でまずは自分が選んだフリースクールやコミュニテイに人より数年遅れてでも行きたいと願った。そのあと、大学院に行って動物学を学び、知的に一人前になりたかった。あるいは子どもの権利を擁護する弁護士にあこがれた時期もあった。
それらの権利を家族はことごとくバカにし侮辱し、親は予算を配給しないことと姑息な情報操作によってわたしの選択した道を塞いだ。
子どもへの差別を親たちは楽しんでいたのだ。だからやめられなかったのだ。

 実際にやってみたフリーターの仕事は、どれも疲れるものだった。あるフリーターから正社員になった女性は、「アルバイト時代のほうが労働時間が長かった」「不安定でストレスがたまった」「フリーターって疲れますよね」と語った。
 それにフリーターの仕事は軽蔑されるものだった。社会からノイズ扱いされるのは本当に辛い経験だった。
 失業でないとしても半分失業しているも同然だった。極端に不安定な身分は、正社員の二倍も三倍も不自由なものだった。

そうして、会社に相手にされる時期を終えようとする年齢に、わたしは書きはじめた。フリーターの本当の姿を世の人に知ってもらうために。自らの権利と尊厳のために。TVに出ている精神科医に「去勢」などされないために。