もう今年もおしまいだ。
いったい何をしてきたか。
お金がないために、身動きをとりたくてもとれない。
そこにウツや胃腸の悪化も加わる。
そんな年だった。
よかったことは、十代のころからやりたいと思いつつ、周囲の圧力に屈してできなかった取材がやっと30代になってやれたこと。
親の言うデタラメ、悪意に満ちていたか程度が低いフリースクーラーのたわごとなど無視するべきだった。たとえ家から追い出されても、食事抜きにされてでもやっておけばよかった。
十数年にわたるいつわりの認知を自らに押しつけた罪は深い。
取材するよりも本のほうが殴られずにすむ。そういう発想はもうやっと捨てられた。本当に抑圧的な家というのは人の体を蝕む。
家の関係者から、あんたらフリーターはマスコミの甘言・宣伝に乗ってフリーターになって働くところがなくなっていると苦情を受けた。
これは事実誤認だ。
私の場合、絶望の中からなんとか社会参加できる道、家から離れられそうなルートのひとつとしてフリーターとして働かざるをえなかった。
職場には、マスコミも何も関係なく生きるために働く同世代の人々がいた。その人たちは、フリーターが素敵だとも楽な商売だとも思ってはいなかった。それは顔を見ただけで明らかだ。
フリーターをすることは孤独で、屈辱的で、不本意という声は、メールをいただいたり、じかにお会いして話をするなかで何度も出てきた。
それに、音楽・演劇などを心ざす人たちも、たとえば学校中退者であるゆえに正社員ルートからはずされたり、縦・横の学歴がなかったり、コネもなかったりしたので職にあぶれて半失業しているのだった。
今は本当に若い世代の就業・失業状態は厳しい。若い世代の採用を企業はここ十数年ほど抑制してきた、というよりも拒否してきたといったほうがいい。労働組合は50代の男性正社員のクラブであり、若い世代や女性にとってあてにならない。
正社員といっても、基本給が下がり、一緒に働く仲間が減り、保障や保険も削られて、何が正社員だ?! という状態だ。
もちろん、アルバイトだって、どんどん条件は下がっている。休憩時間は削られ、社員食堂では正社員とはちがって従業員割引を使えないところもある。
このまま連帯し反抗できないのでは、一生懸命学歴・資格を積んでも、がんばって働いても、豊かにはなれない。
会社が、上の世代の男性が、六本木ヒルズ族が、おいしいところをかっさらう。そして個々の従業員、消費者、プレカリアートらはやせ細る。毎日の生活が搾取に満ちてしまう。
毎日の生活でくたくたの人に、赤字続きの家計の人に社会運動はできない。できたとしてもいかにもみずほらしい「子ども」っぽいものとなってしまう。
少しでも余裕のある層のなかで、海外逃避しない層が中心となって、憲法をネオコンから守り、もとの教育基本法を取り戻さねばならない。
そして、自分たちの納得・満足のいく労働を、組み立てねばならない。バイオ・ナノ・コンピューターの時代にふさわしい職・仕事・労働、それに休養を!
何かとマイナスのイメージの強いフリーター。これをなんとかプラスカ、プラスマイナスゼロにできる客観的条件をひとつひとつ積み上げていかねばならない。
貧乏ゆえに社交も制限され、ここ十数年、忘年会などやることもなかった。
しかし、幸いなるかな。忘年会のどんちゃん騒ぎに参加しないということは、今年のいいことも悪いことも覚えておけるのだ。
そして来年に生かせるということだ。
(まあ、金があれば「記年会」を開いてどんちゃんさわぎというのもいいけれど。もしも宝くじが当たったら、ブログやmixiの知りあい、組合の知り合い、近所の知り合いなど呼寄せて、祇園で宴会やりたい。)
とにかく、新しい年のあけぼのに向かって、前向きにいきたい。
社会的には、今年はフリーターにとってキツい歳だった。フリーターのほかおたく、ニートその他をめぐる象徴戦争は激しさを増している。
後藤和智さんをはじめ、多くのブロガーやmixiコミュニアタリアンが自分たちの権利のために必死に防戦に当たっている。
そこに天の岩戸のアマテラスこと本田 由紀女神がつかれた。ハリー・ポッターの魔法学校の先生のような熊沢 誠さんも様子を身にきた。なお、学者子どもを忌み嫌う近代教育の祖・モンテーニュをひっくりかえすような内藤 朝雄が戦線に加わっている。小さな戦力ながら、わたしも加担している。
きっと、来年こそは勝てる。何の根拠もないのにそう思う。そうしないと倒れそうだから。
日本は請願デモの国であり、民主の国である。それをふみにじる連中は許せない。
日本は会社・業界ごとの社会的隔離が強い。フリーターは、それを打ち破る可能性ももっている。
どの会社がどんな労働条件か、身をもってひどいところをよく知っているのはフリーターだ。
それを生かして、上の世代になど頼らずに自分たちで組合を作れば、それほど強いものはないと思うが、どうだろうか? (←この文は、一連の労働組合批判への回答でもある)
いったい何をしてきたか。
お金がないために、身動きをとりたくてもとれない。
そこにウツや胃腸の悪化も加わる。
そんな年だった。
よかったことは、十代のころからやりたいと思いつつ、周囲の圧力に屈してできなかった取材がやっと30代になってやれたこと。
親の言うデタラメ、悪意に満ちていたか程度が低いフリースクーラーのたわごとなど無視するべきだった。たとえ家から追い出されても、食事抜きにされてでもやっておけばよかった。
十数年にわたるいつわりの認知を自らに押しつけた罪は深い。
取材するよりも本のほうが殴られずにすむ。そういう発想はもうやっと捨てられた。本当に抑圧的な家というのは人の体を蝕む。
家の関係者から、あんたらフリーターはマスコミの甘言・宣伝に乗ってフリーターになって働くところがなくなっていると苦情を受けた。
これは事実誤認だ。
私の場合、絶望の中からなんとか社会参加できる道、家から離れられそうなルートのひとつとしてフリーターとして働かざるをえなかった。
職場には、マスコミも何も関係なく生きるために働く同世代の人々がいた。その人たちは、フリーターが素敵だとも楽な商売だとも思ってはいなかった。それは顔を見ただけで明らかだ。
フリーターをすることは孤独で、屈辱的で、不本意という声は、メールをいただいたり、じかにお会いして話をするなかで何度も出てきた。
それに、音楽・演劇などを心ざす人たちも、たとえば学校中退者であるゆえに正社員ルートからはずされたり、縦・横の学歴がなかったり、コネもなかったりしたので職にあぶれて半失業しているのだった。
今は本当に若い世代の就業・失業状態は厳しい。若い世代の採用を企業はここ十数年ほど抑制してきた、というよりも拒否してきたといったほうがいい。労働組合は50代の男性正社員のクラブであり、若い世代や女性にとってあてにならない。
正社員といっても、基本給が下がり、一緒に働く仲間が減り、保障や保険も削られて、何が正社員だ?! という状態だ。
もちろん、アルバイトだって、どんどん条件は下がっている。休憩時間は削られ、社員食堂では正社員とはちがって従業員割引を使えないところもある。
このまま連帯し反抗できないのでは、一生懸命学歴・資格を積んでも、がんばって働いても、豊かにはなれない。
会社が、上の世代の男性が、六本木ヒルズ族が、おいしいところをかっさらう。そして個々の従業員、消費者、プレカリアートらはやせ細る。毎日の生活が搾取に満ちてしまう。
毎日の生活でくたくたの人に、赤字続きの家計の人に社会運動はできない。できたとしてもいかにもみずほらしい「子ども」っぽいものとなってしまう。
少しでも余裕のある層のなかで、海外逃避しない層が中心となって、憲法をネオコンから守り、もとの教育基本法を取り戻さねばならない。
そして、自分たちの納得・満足のいく労働を、組み立てねばならない。バイオ・ナノ・コンピューターの時代にふさわしい職・仕事・労働、それに休養を!
何かとマイナスのイメージの強いフリーター。これをなんとかプラスカ、プラスマイナスゼロにできる客観的条件をひとつひとつ積み上げていかねばならない。
貧乏ゆえに社交も制限され、ここ十数年、忘年会などやることもなかった。
しかし、幸いなるかな。忘年会のどんちゃん騒ぎに参加しないということは、今年のいいことも悪いことも覚えておけるのだ。
そして来年に生かせるということだ。
(まあ、金があれば「記年会」を開いてどんちゃんさわぎというのもいいけれど。もしも宝くじが当たったら、ブログやmixiの知りあい、組合の知り合い、近所の知り合いなど呼寄せて、祇園で宴会やりたい。)
とにかく、新しい年のあけぼのに向かって、前向きにいきたい。
社会的には、今年はフリーターにとってキツい歳だった。フリーターのほかおたく、ニートその他をめぐる象徴戦争は激しさを増している。
後藤和智さんをはじめ、多くのブロガーやmixiコミュニアタリアンが自分たちの権利のために必死に防戦に当たっている。
そこに天の岩戸のアマテラスこと本田 由紀女神がつかれた。ハリー・ポッターの魔法学校の先生のような熊沢 誠さんも様子を身にきた。なお、学者子どもを忌み嫌う近代教育の祖・モンテーニュをひっくりかえすような内藤 朝雄が戦線に加わっている。小さな戦力ながら、わたしも加担している。
きっと、来年こそは勝てる。何の根拠もないのにそう思う。そうしないと倒れそうだから。
日本は請願デモの国であり、民主の国である。それをふみにじる連中は許せない。
日本は会社・業界ごとの社会的隔離が強い。フリーターは、それを打ち破る可能性ももっている。
どの会社がどんな労働条件か、身をもってひどいところをよく知っているのはフリーターだ。
それを生かして、上の世代になど頼らずに自分たちで組合を作れば、それほど強いものはないと思うが、どうだろうか? (←この文は、一連の労働組合批判への回答でもある)