goo blog サービス終了のお知らせ 

フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

今年はどんな年だった?

2006-12-31 19:25:42 | 日常生活
もう今年もおしまいだ。

いったい何をしてきたか。
お金がないために、身動きをとりたくてもとれない。
そこにウツや胃腸の悪化も加わる。
そんな年だった。

よかったことは、十代のころからやりたいと思いつつ、周囲の圧力に屈してできなかった取材がやっと30代になってやれたこと。
親の言うデタラメ、悪意に満ちていたか程度が低いフリースクーラーのたわごとなど無視するべきだった。たとえ家から追い出されても、食事抜きにされてでもやっておけばよかった。
十数年にわたるいつわりの認知を自らに押しつけた罪は深い。

取材するよりも本のほうが殴られずにすむ。そういう発想はもうやっと捨てられた。本当に抑圧的な家というのは人の体を蝕む。

家の関係者から、あんたらフリーターはマスコミの甘言・宣伝に乗ってフリーターになって働くところがなくなっていると苦情を受けた。
これは事実誤認だ。
私の場合、絶望の中からなんとか社会参加できる道、家から離れられそうなルートのひとつとしてフリーターとして働かざるをえなかった。
職場には、マスコミも何も関係なく生きるために働く同世代の人々がいた。その人たちは、フリーターが素敵だとも楽な商売だとも思ってはいなかった。それは顔を見ただけで明らかだ。
フリーターをすることは孤独で、屈辱的で、不本意という声は、メールをいただいたり、じかにお会いして話をするなかで何度も出てきた。
それに、音楽・演劇などを心ざす人たちも、たとえば学校中退者であるゆえに正社員ルートからはずされたり、縦・横の学歴がなかったり、コネもなかったりしたので職にあぶれて半失業しているのだった。
今は本当に若い世代の就業・失業状態は厳しい。若い世代の採用を企業はここ十数年ほど抑制してきた、というよりも拒否してきたといったほうがいい。労働組合は50代の男性正社員のクラブであり、若い世代や女性にとってあてにならない。
正社員といっても、基本給が下がり、一緒に働く仲間が減り、保障や保険も削られて、何が正社員だ?! という状態だ。
もちろん、アルバイトだって、どんどん条件は下がっている。休憩時間は削られ、社員食堂では正社員とはちがって従業員割引を使えないところもある。

このまま連帯し反抗できないのでは、一生懸命学歴・資格を積んでも、がんばって働いても、豊かにはなれない。
会社が、上の世代の男性が、六本木ヒルズ族が、おいしいところをかっさらう。そして個々の従業員、消費者、プレカリアートらはやせ細る。毎日の生活が搾取に満ちてしまう。

毎日の生活でくたくたの人に、赤字続きの家計の人に社会運動はできない。できたとしてもいかにもみずほらしい「子ども」っぽいものとなってしまう。
少しでも余裕のある層のなかで、海外逃避しない層が中心となって、憲法をネオコンから守り、もとの教育基本法を取り戻さねばならない。

そして、自分たちの納得・満足のいく労働を、組み立てねばならない。バイオ・ナノ・コンピューターの時代にふさわしい職・仕事・労働、それに休養を!

何かとマイナスのイメージの強いフリーター。これをなんとかプラスカ、プラスマイナスゼロにできる客観的条件をひとつひとつ積み上げていかねばならない。

貧乏ゆえに社交も制限され、ここ十数年、忘年会などやることもなかった。
しかし、幸いなるかな。忘年会のどんちゃん騒ぎに参加しないということは、今年のいいことも悪いことも覚えておけるのだ。
そして来年に生かせるということだ。
(まあ、金があれば「記年会」を開いてどんちゃんさわぎというのもいいけれど。もしも宝くじが当たったら、ブログやmixiの知りあい、組合の知り合い、近所の知り合いなど呼寄せて、祇園で宴会やりたい。)

とにかく、新しい年のあけぼのに向かって、前向きにいきたい。
社会的には、今年はフリーターにとってキツい歳だった。フリーターのほかおたく、ニートその他をめぐる象徴戦争は激しさを増している。
後藤和智さんをはじめ、多くのブロガーやmixiコミュニアタリアンが自分たちの権利のために必死に防戦に当たっている。
そこに天の岩戸のアマテラスこと本田 由紀女神がつかれた。ハリー・ポッターの魔法学校の先生のような熊沢 誠さんも様子を身にきた。なお、学者子どもを忌み嫌う近代教育の祖・モンテーニュをひっくりかえすような内藤 朝雄が戦線に加わっている。小さな戦力ながら、わたしも加担している。

きっと、来年こそは勝てる。何の根拠もないのにそう思う。そうしないと倒れそうだから。
日本は請願デモの国であり、民主の国である。それをふみにじる連中は許せない。

日本は会社・業界ごとの社会的隔離が強い。フリーターは、それを打ち破る可能性ももっている。
どの会社がどんな労働条件か、身をもってひどいところをよく知っているのはフリーターだ。
それを生かして、上の世代になど頼らずに自分たちで組合を作れば、それほど強いものはないと思うが、どうだろうか? (←この文は、一連の労働組合批判への回答でもある)


















「分からない」考

2006-12-29 14:36:44 | 哲学・思想
あるブログのコメント欄で、フリーターの貧困の痛みは他の立場の者に理解できるかという問いがあった。

分かるか、分からないか。

わたしはこの2つのキーワードを包括する答えを出す。

「分からない」ことが「分かる」ことが大切なのだ。

そう簡単には他の個人やグループの辛さ・痛みを知ることはできない。
「気持ちは分かるけれど~」ではじまるセリフは、単なる社交辞令の場合もある。
誤解だったり、よくて一知半解といったところだ。

そのことを素直に認めることが大切なのだ。

その後、分からない者をいかに分かるようにするかというテーマが出てくる。
分からないなら分からないなりに相手を認めるほかない。
では、分からないなりにどうやってつきあえば相手を傷つけないですむのか。
もちろん、相手が他人を傷つけることを許したり、ましてや美化するのは誤りだ。

他人同士なのだから、「分からない」ことを理解することは大切だ。
そこからイメージや、外れることもある勘や、脳がオーヴァーヒートしたような根拠のうすい推論から抜け出る回路が開ける。

分からないから相手と話しあう。分からないからつっこんだ話を聞いてみる。別の角度から観察する。メモをとり、問題点を整理する。第三者とも意見を交換してみる。
そうすると、これまでとは違った情報が拾える。別の考え・イメージが見えるようになってくる。

そうした新しい認知回路を作り上げる可能性を「分からない」という訴えはもっている。

それを「不幸自慢」などと意地悪い発想で揶揄したりせず、前向きに使うことが求められている。

相手が分かっていないと見たら「あなたはフリーターの状況が分かっていない」と言ってもOKだ。
しかし、それは相手を責めたりなじったりするだめのニュアンスをこめてはいけない。
これからもっと話しあいましょう。こちらもプレゼンの仕方を工夫しますから。大事な点なら何度でも繰り返します。

もちろん、他の人であり立場である以上、完全な理解というのはないだろう。
自分が分からない自分の苦しみについては、他人に説明することもできない。
それでも、不器用であっても説明を試みるうちに、ふと理解の道筋が開けてしまうこともある。
そこを狙って、フリーターが具体的にどんな風に苦しいのか、わずか1%でも他人によく見えるようにものを言っていきたいと考えている。

ある程度分からないのは仕方がない。自分でよくつかめない部分も仕方がない。
けれど、分かる範囲においては、なんとか他の立場の人たちにも分かる状態にし、ともに改善策を練ってゆけばいい。

そのためにこそ「あなたは分かっていない!」という叫びは存在するのである。













記事取り下げの告知

2006-12-28 08:44:38 | Weblog
赤木智弘さんの「論座」1月号に掲載された記事をめぐるエントリー自身を公開しないことにしました。

理由は、

1.「論座」1月号以外の赤木さんがネットの随所に書いた情報をcheckするゆとりが今の自分にはないこと。
2.わたしが言っていないことまで言ったことにするカキコにはいちいちレスをする義務もないこと。
3.右翼・左翼など時代錯誤の話題をこれ以上展開したくないこと。
4.こちらのブログのそもそもの主旨(若年労働・失業問題)を大幅に超えた話題にこれ以上応対不可能と判断したこと。
です。

なお、わたしのことをカルト・セクトに入信しかけているなどと中傷する表現もコメントのなかにありました。こういうのはネット・イナゴによるコメントスクラムでしょう。

自分が検討していない他の赤木さんのコメントや意見についてはちょっとなんとも言えません。
なお赤木さんが女性・・在日など他の差別に鈍感であること、また相対的には恵まれている立場で他のマイノリティに対して被害感情をぶつけるのは家父長制横暴オヤジの再生産になっている旨、わたしのほうからも赤木さんあてにクレームをつけておきました。
他のみなさんのご意見・ご指摘を受け、またこれまで自分自身で赤木さんのブログ記事を見たかぎりでも問題があり、いつか指摘したほうがいいと考えていたからです。
赤木さんの管理している掲示板でも、女性への排除について詭弁を用いている箇所があった記憶があります。そのときには、あきれてものが言えなくなりました。話すだけムダという感触がありました。
またフリーター同士の連帯ということを考慮したため、それ以上の討論をこちらから打ち切ったこともありました。

ただ、赤木さんの議論の荒さへの批判はさておき、人格否定はいきすぎです。

わたしがかたくなであり、それはカルト・セクトに勧誘されかけているとする情報もありましたが、そんなことはありません。そんなことを言う人自身がカルト・セクトの方面の人間ともとれる認知の歪みのかかった発言はしないほうが身のためじゃないでしょうか?
また何をもって異端とするかということも難しい問題です。エックハルトのように異端とされながら影響力を保つ例もあります。オッカムの例を考えても、正統・異端の判断は難しいな、ともむなしいな、とも思うのですが、いかがでしょうか?
「プレカリアート正当教団」というものは現在存在しません。ですので、正統がなければ異端もない、としか言いようがありません。正統な教会がなければ、異端の宗派もなく、勧誘もありえません。

当面のあいだ、赤木さんの「論座」の記事以外について書く予定はありません。
ほかに書く予定のものもあって、少し遅れているので早く書いてしまいたいのです。

※2006・12.29 意味をとりやすくするため少し手を入れました。大意に変わりありません。



紹介with out traceより

2006-12-23 13:50:51 | 現状
こちらのブログhttp://blog.goo.ne.jp/so-jaded/e/d66508d381b4455961f0830987215ccfで、アメリカのワーキングプアのを取り上げた番組のことを、取り上げています。

videonewsの特番でも、海渡弁護士がイギリスの全体主義についてお話していました。
今、国籍別に言えばアメリカ・イギリス流のやり口は、かなり全体主義がかっていると見ていいのでしょうか? (ただしcall inの番組は、アメリカのオ-プンで調節民主的な一面をかいま見せてくれたけれど。長所は長所として評価したい。)




オルタナティブ大学blogより転載

2006-12-22 19:29:29 | その他
今、videonews.comで興味深い試みをやっていますよ。

視聴者からかかってくる電話による質問に、ゲストが答えてゆく方式の番組です。

うちのPCの不具合により、URLを貼れません。各自でググってみてください。

ゲストも豪華です。一部視聴でも損はないはず。

なお、今回は特別に無料で視聴できるようになっております。

勉強よりも生存

2006-12-21 22:20:27 | 現状
排除の合図

ある労働経済ジャーナリストの講演会のあとの飲み会での出来事だ。
メニューを見て注文をとったところで、「初対面の人もいるので自己紹介してください」と主催者から声がかかった。
ひとりひとり自己紹介をしていく。やがて自分の番がまわってきた。

何から話そうか、迷ったが、登校拒否のことから話すことにした。それは元祖リストラ学校教育への拒否反応でもあったのだから。
そうすると、まだ自己紹介を終えないうちに、ある地域労働組合のアクテイヴィストが大声でこう言い放った。
「あなた、勉強しないといけないよ。もっと勉強をしないといけないよ。」
穢れたものでも見出したような興奮と憤りのなか、彼女は何かに取りつかれたように、怒鳴りちらす。
その後、とてもわたしが自己紹介をできない状態になったことは言うまでもない。
その席ではなるべく他の人と話すようにしていた。
それでも彼女はわたしをジっとにらんでいた。ちょっとしたわたしの発言に片っ端からかみつき、嘲笑し、その価値をひきさげることを執拗に試みた。それはとても侮蔑的な視線、身振り、表情を伴った。
原因不明の敵意・悪意・敵対心は、神経に毒を注ぎ込むようなものだった。
彼女は、労働組合に所属するものとして、自分よりも文化資本の低いものに恥辱をくわえたのだ。
わたしのほうは、なぜ勉強しないといけないのか、その勉強が具体的には何を指すのかわからない。
ただ、彼女は集団を前にして、わたしにマイナスのイメージを植えつけ、わたしを孤立させ、つぶしたかったのだ。

組織は勝った

家に帰ってから、寝込んだ。3日間くらいは、しんどくて外に出られない状態がつづいた。

その後、その講演会を主催した人たちからイベントのお知らせがぱたりと来なくなってしまった。
また、別の用事があって電話連絡をすると、
「いっしょに運動している仲間でもないのに、電話をかけるは失礼・非常!!」
「少しは勉強もしなければならないだろうが。あなたの知能は小学生なんだから! ほかの人はみんな一所懸命勉強をしている。なのにあなただけが進んでいないんじゃないか!」
といった内容の説教をえんえんと数十分も聞かされるハメになった。
まあ、典型的な進歩主義者の教説である。こういう説教がかつてインディオたちを殺していった。

話をもとに戻そう。その「勉強しろ!!」のアクテイヴィストは「、わたしへの排除をいじめをあおっていたのだ。
こんなことがあると人間不信・社会不信が強まる。

まるで中産組合

労働組合は、こうしたタチの悪いアクテイヴィストをどうにかするべきだ。一生懸命勉強して中産階級に成り上がれとあおる活動家をかかえていてどうするのか。これでは労働者階級の労働組合じゃない、中産階級の中産組合ではないか。このような「階級的裏切り者」を、学校教師の言うことをうのみにする「耳穴っ子(ハマータウンの野郎ども)」をのさぼらしてはいけない。

だいたい、働きまくってしんどくて、あるいは失業ストレスでぼろぼろの人をつかまえて何が勉強なのか。18歳以上の成人女性をつかまえて、もう一度義務教育のカリキュラムをやり直せとでも言うのか。
元祖リストラ学校教育を崇拝する儀礼をすすめる労働組合って何だ? 裏で文科省から接待でも受けているのか??

これなど極端な例だが、これまでのつきあい+取材を通じて考えるに、日本の組合はあまりにも学校化されている。
一方的な知識注入型の「学習会」。フリースクールへのひどい中傷。不登校者への罰として差別としての「勉強をしろ!!」発言。
学校の外で子どもたちが育つことは、組合にとって都合が悪いようだ。それは、学校教育でつちかわれる従順さが労働組合という組織を維持するために必要だからだ。
つまり、彼女はこう言っていたわけだ、「学校に行かないなんてとんでもない。もっと従順な奴隷になって、組合の組織に尽くしなさい。滅私奉公こそ尊い。学校よりも自分のいのちや人権が大切だとはケシカラン!!」
それは、ある関東のフリースクール主催者が、登校拒否の子どもを牧場でこき使い、労働基準法違反をしていたと主張するある20代のアクテイヴィストの発言とのぴったり重なる。(この主張は事実の逆である。件のフリースクーラーは、そういう業者を告発する側である。そのことをわたしが紹介すると、それをそのままひっくり返す形で彼は汚い中傷を言い立てたのである。)
それから、失業者に大学の学籍を与えるという治安対策(?)という、交通事故があるとよくないから子どもを学校に閉じ込めようというのと同じ発想の「政策提案」がなされたのも、やはり「学校の外に救いなし」という学校化の発想による。

組合のアクテイヴィストに自分の人生における選択・実存を陵辱され、学校・大学の囚人であることを迫られる。
こんなところにたいていの場合学校で排除され、会社からも排除された(されかけている)人たちが、どうして安心して相談できるだろうか。

生存が先、教育は後でいい

日本の労働組合は、不登校差別と学校化から抜け出すべきだ。

職よりも賃金よりも勉強のほうが大事だとする受験至上主義の労働組合などいらない。こういうことを言う人たちがなぜ労働組合に所属しているのかといぶかしく思う。
こういう説教好きの人たちは、浜塾か日能研にでも就職して、「勉強しろ!!」と言っているほうが似合っている。「なぜ?」と問う子どもには「そんなことは大学に入ってからだ」と言ったり、「勉強しないと日雇い失業フリーターになるぞ」と脅したりしていればいい。

人が生存できる条件を破壊し、教育で埋め尽くす。その流れに喜んで協力する労働組合など、なくなってもいい。
そのかわり、人のいのちと人権を学校や教育よりも優先する、仕事のなかの学びを大切にできる労働組合ならどんどん増えて欲しい。










ふまさんへの長いレス

2006-12-16 13:22:39 | Weblog
ホワイトカラーエグゼンプションの記事にコメントをいただいた ふまさん へのレスを書こうとしたら長くなったので、記事の形で掲載します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ふまさん、いらっしゃいませ。

>大企業の経営者にとって、エグゼンプションは労働者の使い捨てには都合がいい
>のだろうね

そうですね。今の中高年層を文字通り死ぬまでこき使うことは、他の若い世代・女性・新規学卒者、中途採用者の仕事への選抜率をより高める結果となるでしょう。
これは、国民半奴隷化法案と言ってもよいのでは?
会社は強制労働収容所になるでしょう。(とはいえ、高須基明さんもご指摘のように、アルバイト・パートははじめから「国民」扱いされていない。これはこれで問題。)とにかくつぶさねば!!!

>国会議員は経団連の言いなり

政界と財界は閨閥でつながっていますからね。政治家も選挙資金がないといけないんで。
神 一行「閨閥 新特権階級の系譜」講談社文庫1993
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4043533063/ref=pd_rvi_gw_1/250-8325537-0669803
に系図があります。個人的にはGNP至上主義がヘンだとか、トリクルダウン仮説も絶対じゃないとか思ってはる議員さんも、選挙資金を考えると親類すじの説得には弱いのでしょうね。
また官僚の責任も大きいです。実際に法案を作るのは官僚ですので。

>国会議員が相場60万の物件を9万円で住んでいる
>国会議員はヤミ給与をもらっていることになる

それなら年収400円未満の国民の家賃を1/6にまけてくれ! 家賃払ったら米買えないのじゃどうしようもない。もちろん野菜と魚とトーフも買わせろ!!

>国会議員が貧乏人の気持ちなんか解る分けないよ

十代のころに知りあった有力議員の子がいます。子どもの権利運動を通じて知り合いました。
彼とは電話・手紙等でのつきあいがあるだけですが、
まだ十代のころから浮世離れしていて、一般庶民の日常生活事情をまるで知らないことときたら、あきれるほどでした。
運動が失敗に終わったのも、ああいう法律・政策さえやっておけばいいとする松下政経塾風勘違いによって、一般の人間が興味を失ったからでしょう。
日常生活における子どもらしさ・大人らしさの問い直しとか、子どもの社会史とか言っても全然通じなかった。
彼は男の子だったし家柄がいいので小さいころから「名誉大人」扱いされることも多かったようです。そのため、他の普通の子どもが家庭や学校で味わうしんどさにを見れなかった。
これってカネはらって家庭教師雇えばなんとか分かるようなものじゃないんですけどねえ。
それでもそういう相手にロビー活動なぞしなきゃならないわけで。

記事に紹介した「解放の神学」コミュニティは、そのへんの精神主義に染まった一部のフリースクールよりも数倍唯物的だったりするから面白い。

>国会議事堂に向かってデモを起こしたほうが後の日本>のためにいいかもね

個人的には交通費は出ないわ、体調は悪いわで議事堂前に行かれません。
ただし、偶然知った近所のデモには行きました。
その一部の報告は「オルタナティブ大学 on blog」に収録してあります。http://blog.goo.ne.jp/egrettagarzetta/e/b1a70893c80684c48177b76aa85155a0←当ブログとは姉妹関係)
デモは主役ですが、半分は寝込んで家にいてもできることはあります。情報の紹介とか、まとめサイト・リンク集づくりとか、ネットでもできる署名、抗議のFAXなど。そうして各地の人たちを応援すること。
ちゃんと記録をとっておくこと。
完璧にはできないけれど、少しでもやっていきたいです。千里の道も一歩から。






















ホワイトカラー・エグゼンプションのトピック(紹介)

2006-12-14 15:21:25 | 政策
mixi内コミュニティ「解放の神学」にホワイトカラーエグゼンプションのトピックスが立っている。

ちなみに私自身はクリスチャンではない。それでも「解放の神学」には関心があるので、最近このコミュに入ったばかりである。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=307180&id=11918609

残念ながら、mixiに未登録の方は見られなくなっている。
なんとか誰かに招待してもらって、ぜひ見ていただきたい。議論も充実しつつある。

日雇い派遣アルバイトへの扱いは、言うまでもなくもっと過酷だ。
しかし、いつでも海外のどこにでも財産・身体ともに逃避できる富裕層とは違って、中産階級のなかでは相対的に貧しい層はかんたんには逃げられない。
その人たちといっしょに組んで、共謀罪、改憲その他一連のファシズムの系法案を廃止させねばならないだろう。
デモにいっしょに参加するグループに不満をいだきつつ、フリーターの窮状を何度もひとつづつ訴えつつ日本社会のファッショ化に、できるかぎりの抵抗をやってみよう!


日本小唄

2006-12-09 20:55:43 | 文化
日本小唄

これは、祇園小唄のパロディです。
著作権法改正は、youtube規制のほかにも、こうしたパロディ抵抗楽曲や、抵抗ポスターなどをつぶしたいのでしょう。
元歌の祇園小唄については、meihinaさんという舞妓さんが踊っておられる画像・音声のリンクを参照。(← Fumiyaという芸妓さんの三味線と唄もなかなかいいです。純粋にクラシックな日本音楽風に編曲して弾いてらっしゃいます!)

↓ 祇園小唄
http://www.youtube.com/watch?v=FRPRWZLXlI4



1.
筆で署名の 条約に
月の夜空の 議事堂に
人は集まり 抗議して
首相の私邸 取り囲み
日本 恋しや 請願デモの国よ


2・
夏はお堀の 水やせて
ジグザグデモの 行列は
車の流れ せきとめて
燃えて身を焼く 安田講堂
日本 恋しや 若衆の国よ

3.
三島先生 イヤ 三島さん
学生さんと さしむかい
連帯できず むせび泣き
晴れて身を散る 市ヶ谷の
日本 恋しや 防衛庁の国よ

4.
雪はしとしと 議事堂へ
キャンドルの影 冷たくて
守れ 憲法 教基法
生存権の 川千鳥
日本 恋しや 自由の国よ 

<解説>もともと祇園小唄は、祇園・京都の四季と、悲恋を描いたであろう作品です。
映画のBGMとして作成されたのち、いろいろな振りつけで踊られ、またさまざまな編曲で演奏されています。

分かりにくそうなところに説明をつけていきます。

1.
>筆で署名の条約に

1960年、アイゼンハワー大統領と岸首相が、日米安保条約に調印したときのひとこまです。当時の岸首相が筆を使って純日本式の署名をしているところをアイゼンハワー大統領が興味深そうに見つめています。

>月の夜空の 議事堂に

夜を徹して、日米安保条約に反対する人たちが国会議事堂前でデモをやっていました。

>首相の私邸 取り囲み

当時の岸首相の私邸をもデモ隊は取り囲みました。そこにまだ小さかった今日の安倍首相がいました。

2.
>燃えて身を焼く 安田講堂

1960年代おわり、東京大学の安田講堂に学生たちがたてこもった事件のことです。これを元唄の「大文字」の送り火と入れ替えました。

3.

>三島先生 イヤ 三島さん

東大全共闘が、三島さんとの対話集会で、はじめはいつものクセで「三島先生」と言ってしまう。その後すぐに「じゃなくて、三島さん」と言い直す。三島 由紀夫も周囲の学生たちもほほえましく笑っている。その権威主義に抵抗する姿勢を日本に根づくべき「リベラルの伝統(丸山 真男)」として唄いこみました。

>学生さんと さしむかい

東大全共闘vs三島 由紀夫のことです。

>連帯できず むせび泣き

もしも東大全共闘が「天皇陛下万歳」を叫べば三島は全共闘と連帯する予定でした。
だけどムリでした。

>晴れて身を散る 世田谷の

三島 由紀夫さんが世田谷にある防衛庁で演説し、自刀されたことを意味します。

>日本恋しや 防衛庁の国よ

今では伝説となった三島さんの腹切り。これも立派な日本の伝統になっています。
防衛庁を防衛省に変えることは、この歴史的記憶への侮辱なのです。日本の歴史・伝統を愛するならば、許してはならない蛮行ではないでしょうか。

なお、この3番の歌詞は、三島さんと学生さんとの悲恋を暗示するものにも受け取れます。とりわけ、>連帯 を恋愛と発音すれば、そうなります。
これは、80年代に花開いた日本のオタク文化の一つ、「ヤオイ」というジャンルに当たります(笑)。
こうした日本のおおらかな性規範は大切にしたいものです。

4.
>生存権の 川千鳥

>川千鳥は冬の季語。若い人たち、それにまるでこの世に新しく生まれてくることをストライキしているようなこれからやってくる新しい命たち。
まさに生存権にとって厳しい冬が今の時代をおおっています。

トラックバック用URL:http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20061203/p1
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061207









 









若い人を中傷するフェミニズム

2006-12-07 18:32:30 | ジェンダー
予想通りに……

↓ こちらのブログをごらんください。

評論家・池内宏美のブログ

http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/ikeuchihiromi/2006/11/post_35a3.html

もともと、期間工は漢字が書けるのか? という雇用形態差別になる発言をしたあと、2ちゃんねるや他のサイトでも「ひどい」「むちゃくちゃ」という声があがった。そのため、後日、期間工が漢字を知らないとした部分を削除したうえで再掲載した記事です。

80年代なかごろ・十代半ばのころよりわたしは、フェミニズム・女性の社会進出・地位向上がこうした結末をもたらすのではないかと危惧していました。
その予想がズバリ当たりましたね。

大人の女性が、高等教育とやらを受け、階級、じゃなかったジェンダー的裏切り者となる。そうすると、地位があがって女性解放だ。

このシナリオは、選抜されたごく一部の女性しか女性≒家畜状態から救わない。OLなんて下級社畜だ。日雇い派遣フリーターにいたっては、家畜になる権利すら奪われている。

それに結局この案は、女性差別を学歴差別におきかえることになるだろう。管理職なんて社会全体の何割かしか必要ではない。「現場」で危険な仕事をこなす人たちも、社会には必要な要素なのだ。

おおかたそんな予想を抱いた。

学校教育は可能か


世界中の人間が高等教育を受けるためにいったいくらの予算を組めばいいのだろう。今でも世界には初等教育の学校にも通えない子どもたちもかなりの割合でいる。
そのことを無視して、どうするのだ。
それに学校で身につくのは、上への従順さくらいのものではないのか。60年代のオルタナティブ教育運動が明らかにしたように、白人中心・男性中心の古典を読んで教養を身につけたり、そうでないものをさげずんだりすることを吸収するばかりの学校教育を礼賛してどうなるのだ。それでみなが東大旧理Ⅲに入れるのか。官僚になって、天下り先で何をやるのか。自然破壊の開発か、原発の推進運動か。登校拒否の子どもを薬づけにする「医療マフィア(イリイチ)」の幹部にでもなるのか。

当時十代のわたしは、そういうフェミニズムになじめなかった。

子ども・労働者を見捨てる教養フェミニズム

30代になった今、池内さんのブログを拝見して、本当にひどいなと思う。
だいたいブルーカラーになると、漢字がわかりにくくなる傾向がある。
書類とは別の世界に住まうことになるからだ。そのハビトゥスは、それほど否定されねばならないものだろうか?
それから、取材中一瞬のすれ違いの出会いだったが、自動車工場で働く女性もいる。そういう人たちにむかっても、漢字が書けないことをさも犯罪のように公の場で言い立てたりできるだろうか。
社会的地位のないことを、社会参加していないと罵れるだろうか。

そうした立場からわたしは、学歴や学力、それに社会や組織を崇拝する儀礼としてのフェミニズムには賛成できない。
しかし、子どもや若者の権利や解放をともに真剣に模索するようなタイプのフェミニズムであれば、喜んで連帯したい。
女性解放ならぬ子ども解放・アンファニズムと連携できるフェミニズムをわたしは求める。読者はどうか。

子ども・労働者を裏切ることなく

ところで、労働者(階級)は、「子ども」っぽいとみなされ、会社で・社会で侮蔑される傾向がある。
また、同じ労働者であっても、下層階級・肉体労働・日雇い労働・派遣などは、ホワイトカラーや正社員よりも「子ども」だと見下されることもある。
そうした役割としての子ども、イメージとしての子どもを容易に嘲笑したり見捨てたりしないフェミニズムがあってほしいと思う。
それは、東大旧理ⅢやMIT等を頂点とする大学のなかからは出てこないだろう。
大学の外から、院の外から生まれてくるだろう。
ちょうどわたしのような低学歴・低学力が、東大やMITを中心とするエリートの横暴をチェックする役目を果たすだろう。

いまのところこうした労働問題を扱うブログには、比較的男性の手によるものが多いように思われる。
そのうち、女性たちも組合の男の横暴も含めて声をあげるだろう。
今は、漢字の「一」という字も知らないそぶりをした紫式部の時代ではない。
教育のない女性が、「一」どころか「2」も「Ⅲ」も知っていてもいい時代だ。
学校教育を通じて、女の子らしく再生産されないすこやかな女性が、高学歴・高学力女のジェンダー的裏切りをただせるようになればどんなにいいだろう。
「言葉がない」「底辺」だからといって、相手に何をしてもいいわけではないのだ。

これはわたし一人の力ではできない。複数の女性、それに男性の助力も必要だ。今すぐにはダメだろう。
しかし、たとえば後藤和智さん、Lenazoさんらの主張を見ると、もうその芽は出ている。あとはそれが育つのを待つだけだ。























職場のいじめ・いやがらせ

2006-12-02 22:25:17 | 現状
いじめ・大人の職場でも蔓延

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061202-00000054-mai-soci

自分にも経験がある。
いたずらメールが一日に十数件以上やってくる。
派遣という雇用形態じたいがいじめのようなもの。(派遣は社員食堂を使うなという規則の会社、派遣は従業員割引を使えないという会社などなど)

そのほか、さる労働組合の定期総会での活動家の報告によれば、労働相談のなかでいじめが目立つ。とりわけ非正規雇用の女性に対するセクハラがひどい。家まで追いかけてくるなど、ストーカー化するケースもあるとのこと。

組合アクテイヴィストの報告によると、会社側が不当労働行為をする。これも広い意味でいやがらせと言ってもいいだろう。

そのほか、相手が若いか女性だと電話の音声によって見当をつけると、突然怒鳴りだす。

そうそう、労働組合事務所でのセクハラについてもついでに書いておこう。
さる組合事務所で行われた映画上映会でのこと。
あるアクテイヴィストの男性は、わたしの胸元をジロジロと眺めていた。
そして、他のアクテイヴィスト(男性2人)に取材のアポをとっていると、「3人でデート?」とにやけた表情と口調で言い放った。
まるで組合に関係する女性は、組合員であれブロガーであれ、自分の私的領有物だといわんばかりの態度だった。
「からかわないでくださいよー」
と受け流そうとしたものの、予想以上の気持悪さが残った。

またその映画のなかで、肥満になったことでマクドナルドを訴えた十代半ばのォ女の子がおおむねこういったセリフを言うシーンがある。
「ファッション雑誌のモデルを見ると、やせていてキレイ。なのに自分はぜんぜんやせられないよ~。」
半泣きの表情で彼女はマクドナルドを裁判に訴える理由を述べる。
それを複数のアクテイヴィスト(男性)が嘲笑・爆笑していた。
十代の女の子のアイデンテイティにも関わる体型についてどうしてここまでバカにできるのだろう。しかもそこにはわたしのほかにも別の女性のアクテイヴィストも同席していたにもかかわらず、だ。
もしも男性が、「筋肉モリモリになりたくてトレーニングマシーンを購入したんだ。だけどちっともカコよくなれないんで困るよ~」と裁判に訴える十代半ばの男の子の訴えを、その場にいた女性のほとんどが嘲笑・哄笑したら、どんな気持ちになるだろうか。
自分が女性であることを否定されたようで、とても辛かった。

その後、取材予約をとった2人のうちの1人との待ち合わせのために四条河原町まで出かけた。そこの組合の雰囲気・体質を考えると、まさか取材の最中にもセクハラなぞないだろうな? と少し心配になる。だけど心配していてはキリがない。道端を歩いていたって車にはねられて死ぬことも大怪我することもある。杞憂に終わることもあるだろう。
相手も昔のイヤな職場のことを思い出してしゃべってくれるんだから、こちらも明るくソフトな雰囲気を作らなくっちゃ。
そう考えを切り替えて化粧をし、待ち合わせの場所へ向かう。

阪急電車に乗車中、いきなりお腹が痛くてかなわなくなった。胃に石か何かをぶちこまれたような感覚。
途中、西院駅で下車。ホームのベンチに横たわる。15分ほどたっても痛みは治まらない。ついでに頭まで痛むようになってきた。
どうしよう、相手も忙しいし疲れている中取材に応じてくれるのだ。そう簡単に延期にはできない。したくない。
それでも痛みはやまない。
その駅の改札をくぐって地上に上がり、駅前のドラッグストアにかけこんだ。
胃薬を求める。薬剤師さんが小さなコップに水をついてもってきてくれた。
胃薬を飲んでも、痛みはおさまらない。
「そんなに痛みがひどいのなら、お医者さんで診てもらったほうが……」と薬剤師さんはおっしゃる。
とりあえず痛み止めも手に入れて、その場で飲む。飲むと安心できたのか、数十分たつと歩いて動ける状態になった。
予定の今から行っても予定の時間にはとても間に合わない。
遅ればせながら携帯で連絡をとり、取材をキャンセルすることを告げた。
「どうしたんですか? 何で来ないんですか。。。。」
相手は怒鳴っている。ムリもない。相当待たせたのだから。
だけど仕方がなかった。いきなりこれほど痛むとは予想もできなかった。










立ち去る人々

2006-12-01 21:22:22 | 現状
殺伐とした職場に耐えかねて、立ち去る人々がいる。
わたしが経験した日雇いの派遣業界では、たった1日2日で立ち去る人が後をたたなかった。
理由は、派遣元会社による派遣先企業の仕事についての説明不足、危険告知の怠慢(どうしたら指を切るかなど教えてくれない)、仕事場の不衛生な環境、しんどくて不毛で消耗する機械的作業の連続、正社員らの冷たく排斥的な行動、何よりも体力的に限界が来るなど多岐にわたる。

だが、それはひとり請負・派遣業界のものではない。

↓の記事をごらんください。Cunさんが医療職の立ち去りについて2つ記事を書いていらっしゃる。
http://blog.xuite.net/fountain.k/blog/8251535

http://blog.xuite.net/fountain.k/blog/8250925

g2005さんは、↓の記事で、今の職場、それに日本社会の全般的風潮に危惧を抱いている。そして、お金を貯めたら職場をやめる予定だとしめくくっていらっしゃる。

http://g2005.exblog.jp/4940793/

先ほど紹介したCunさんは、脱日本人宣言さえしておられる。

http://blog.xuite.net/fountain.k/blog/8641780

国全体のことを考えず、自分の閨閥や学閥の利害だけを追及する政治家が跋扈し、
それを国民が選挙で選んでしまうこの国は、ちゃんとものを考えたり表現したりする勉強熱心な人たちから見捨てられつつある。特に職場は悲惨だ。
今では脱退してしまったが、ある労働運動系メーリングリストで、灰皿だけではなくコピー機やファックス機も空を飛ぶオフィスからの報告もあった。

g2005さんは以前塾講師をしておられた。Cunさんは、本人がブログで明らかにしていない以上ここで職をバラすわけにもいかないが、賢明な努力家である。それは彼のブログに当たり前のように中国語が使用されていることからも察せられる。
日本が若い世代への敬意と待遇を早急に「改善」しないかぎり、優秀な人から職場を放り出し、やがて日本をも捨てることになるだろう。

立ち去る若い世代に「もっと地域・職場に密着しろ」と農耕時代の説教を繰り返しても意味はない。過酷な労働環境に、密着しすぎた暑苦しい人間関係に、若い世代は首をしめられながらもけなげに生活している。

フリーター、オタク、ニート、「分数のできない」大学生……。
彼ら・彼女らに真に必要なものは、上の世代による収奪からの自由である。
そのために若い世代の能力開発=教育を崇拝する儀礼は無用だ。
上の世代は立ち去る若い人が、思わず残りたくなってしまうような魅力的な職場を、政治を用意すべきなのである。

トラックバック用URL http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20061112/p1









インターネット否定論の迷妄

2006-12-01 14:21:24 | 現状
インターネットはよくないか

熊沢 誠さんは、研究会「職場の人権」の定例会直後に開かれる恒例のお茶会でこんなことをおっしゃった。
それは地域密着主義を話す脈絡で出現した。

「インターネットは本当の人間関係じゃない」

この言葉の意味がよく分からなかったが、最近見えるようになってきたので報告したい。

彼は「若者は地域・または職場に密着すべき」という話のあとでこのインターネット論をはじめた。
いわゆる地場産業が、ネットを通じた通信販売によって破壊されている。直接面会しないわけではなくても、ほとんど顔をあわさないで日本企業が中国や韓国に仕事を受注し、もうからなくなるとすぐさま打ち切る。
日本の工場は空洞化し、アジアの人々は不安定雇用にさらされる。
そうした流れに熊沢さんは批判的なのだ。

技術は必ずマイナスか

しかしこれは技術革新によるプラスの面を過小評価している。
インターネット上では時間・空間が別の意味を帯びる。
そのため、これまでの地政学的な位置関係が変貌をとげる。

たとえば、優秀なインドの技術者が、シリコンバレーの企業にインターネットを通じてプログラムを送る。そうしてインドに新興中産階級が形成されている。
一方、シリコンバレーでは、アメリカの技術者が失業している。

熊沢さんのお考えを、この今時の現実に適応すれば、地域に密着していないで中産階級に成り上がるインドの技術者はいわば「悪者」、シリコンバレーで失業するアメリカの技術者は偉大な地域密着労働者ということになる。

新興中産階級は人間関係がニセモノ?

これは、アジア差別ではないだろうか。インターネット普及以前の有利・不利が部分的にせよシャッフルされるのはそれほど悪いことなのだろうか。
(そういえば、ブルデューも、フランス一国の話ではあるが、下層階級から上昇しやすい業界として、コンピューター工学のジャンルをあげていた。)

はたして、インターネットを通じた人間関係はニセモノだ、とする人間関係論によって、新しい経済、新しい中産階級を否定できるのだろうか?

この話はわたしには、変化を拒む年寄りのたわごとに思える。
たとえば、インドでゆとりの出てきた技術者が、職を求めるシリコンバレーの技術者に連帯して、国際同情ストライキを敢行したとする。
それでもなお、インターネットを通じた人間関係はニセモノだという論理でもって、インターネットを通じた人間関係・経済関係を否定するのだろうか????

ネットの中の富を捨てる?

日本の失業者が賢明に発音・会話中心の脱学校英語と、プログラムを学んで、シリコンバレーの企業と取引して今時の中産階級になったりしても、人間関係のニセモノっぷりを糾弾し、コミュニケーション能力のなさをあげつらうのだろうか。

この種の、旧来の地政学的な有利・不利関係を維持しようとする意見にバカ正直に従ったら、損をするのは若い世代やアジアなどこれまで不利だった地域の人間だ。

そのことをよく意識したうえで、インターネット人間関係論への賛否を決定する必要がある。

わたしのほうからすると、イギリスにおける労使関係にお詳しい熊沢さんが、インターネット否定論を持ち出すことは、まるでイギリス・アメリカの労働者は失業してはいけないが、インドの技術者は中産階級になってはいけないという意味を暗に含んでいるようにも思えるが、どうだろうか。

それはもちろん、ネットや英会話になじんだ日本の若い世代の今日の経済環境での生きるひとつの道を閉ざす迷妄に見えるのである。


参考にした本
トフラー「富の未来(上)・(下)」講談社2006
コンピューターをはじめ知的産業が、企業が社会に富をもたらす主な産業になっていることをインタビューや統計によって示している。

参考にした話
ブログ友のcunさんとのTEL。彼は中国・台湾・アメリカ・カナダなどに旅行体験が豊富で、旅行のあとに現地の情報を報告してくれる。

(2006・12・1に小見出しを追加。タイトルを変更しました。大意に変わりありません。)

<2006・12.1付記>このブログのコメント欄にもときどきいらっしゃる赤木智弘さんがネットから論壇にデビューされる予定です。
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/11/post_170.html
やはり、ネットの人間関係・経済関係の全部否定は不毛なだけではなく、ネットを使える弱者への弾圧にほかならないことがこの一件からもうかがえるんじゃないだろうか? <2006・12.1付記>