フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

「分からない」考

2006-12-29 14:36:44 | 哲学・思想
あるブログのコメント欄で、フリーターの貧困の痛みは他の立場の者に理解できるかという問いがあった。

分かるか、分からないか。

わたしはこの2つのキーワードを包括する答えを出す。

「分からない」ことが「分かる」ことが大切なのだ。

そう簡単には他の個人やグループの辛さ・痛みを知ることはできない。
「気持ちは分かるけれど~」ではじまるセリフは、単なる社交辞令の場合もある。
誤解だったり、よくて一知半解といったところだ。

そのことを素直に認めることが大切なのだ。

その後、分からない者をいかに分かるようにするかというテーマが出てくる。
分からないなら分からないなりに相手を認めるほかない。
では、分からないなりにどうやってつきあえば相手を傷つけないですむのか。
もちろん、相手が他人を傷つけることを許したり、ましてや美化するのは誤りだ。

他人同士なのだから、「分からない」ことを理解することは大切だ。
そこからイメージや、外れることもある勘や、脳がオーヴァーヒートしたような根拠のうすい推論から抜け出る回路が開ける。

分からないから相手と話しあう。分からないからつっこんだ話を聞いてみる。別の角度から観察する。メモをとり、問題点を整理する。第三者とも意見を交換してみる。
そうすると、これまでとは違った情報が拾える。別の考え・イメージが見えるようになってくる。

そうした新しい認知回路を作り上げる可能性を「分からない」という訴えはもっている。

それを「不幸自慢」などと意地悪い発想で揶揄したりせず、前向きに使うことが求められている。

相手が分かっていないと見たら「あなたはフリーターの状況が分かっていない」と言ってもOKだ。
しかし、それは相手を責めたりなじったりするだめのニュアンスをこめてはいけない。
これからもっと話しあいましょう。こちらもプレゼンの仕方を工夫しますから。大事な点なら何度でも繰り返します。

もちろん、他の人であり立場である以上、完全な理解というのはないだろう。
自分が分からない自分の苦しみについては、他人に説明することもできない。
それでも、不器用であっても説明を試みるうちに、ふと理解の道筋が開けてしまうこともある。
そこを狙って、フリーターが具体的にどんな風に苦しいのか、わずか1%でも他人によく見えるようにものを言っていきたいと考えている。

ある程度分からないのは仕方がない。自分でよくつかめない部分も仕方がない。
けれど、分かる範囲においては、なんとか他の立場の人たちにも分かる状態にし、ともに改善策を練ってゆけばいい。

そのためにこそ「あなたは分かっていない!」という叫びは存在するのである。













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