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フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

デザインについて…

2007-10-05 11:49:02 | 文化
なんだか最近、gooブログのデザインが横長になってしまって。
もうちょっと横幅が小さい方が、すっきりして見やすいし、目が左右にいきすぎなくて疲れない。
合理的であれば何でもいいってもんじゃない。
このブログのデザイン担当者には、次からはもっと横幅を短くして、読みやすい&書きやすいデザインを目指していただきたい。
これは管理する側も、以前よりも疲れが出るデザインになってしまったのです。
デザインについてはわたしは初心者でアマチュアだけれど、それだけはリクエストしたいのです。

それにしても、自分で横幅を小さくする技術があればなあ…。諸事情あって、まだまだデザインの勉強は進んでいません。

日本小唄

2006-12-09 20:55:43 | 文化
日本小唄

これは、祇園小唄のパロディです。
著作権法改正は、youtube規制のほかにも、こうしたパロディ抵抗楽曲や、抵抗ポスターなどをつぶしたいのでしょう。
元歌の祇園小唄については、meihinaさんという舞妓さんが踊っておられる画像・音声のリンクを参照。(← Fumiyaという芸妓さんの三味線と唄もなかなかいいです。純粋にクラシックな日本音楽風に編曲して弾いてらっしゃいます!)

↓ 祇園小唄
http://www.youtube.com/watch?v=FRPRWZLXlI4



1.
筆で署名の 条約に
月の夜空の 議事堂に
人は集まり 抗議して
首相の私邸 取り囲み
日本 恋しや 請願デモの国よ


2・
夏はお堀の 水やせて
ジグザグデモの 行列は
車の流れ せきとめて
燃えて身を焼く 安田講堂
日本 恋しや 若衆の国よ

3.
三島先生 イヤ 三島さん
学生さんと さしむかい
連帯できず むせび泣き
晴れて身を散る 市ヶ谷の
日本 恋しや 防衛庁の国よ

4.
雪はしとしと 議事堂へ
キャンドルの影 冷たくて
守れ 憲法 教基法
生存権の 川千鳥
日本 恋しや 自由の国よ 

<解説>もともと祇園小唄は、祇園・京都の四季と、悲恋を描いたであろう作品です。
映画のBGMとして作成されたのち、いろいろな振りつけで踊られ、またさまざまな編曲で演奏されています。

分かりにくそうなところに説明をつけていきます。

1.
>筆で署名の条約に

1960年、アイゼンハワー大統領と岸首相が、日米安保条約に調印したときのひとこまです。当時の岸首相が筆を使って純日本式の署名をしているところをアイゼンハワー大統領が興味深そうに見つめています。

>月の夜空の 議事堂に

夜を徹して、日米安保条約に反対する人たちが国会議事堂前でデモをやっていました。

>首相の私邸 取り囲み

当時の岸首相の私邸をもデモ隊は取り囲みました。そこにまだ小さかった今日の安倍首相がいました。

2.
>燃えて身を焼く 安田講堂

1960年代おわり、東京大学の安田講堂に学生たちがたてこもった事件のことです。これを元唄の「大文字」の送り火と入れ替えました。

3.

>三島先生 イヤ 三島さん

東大全共闘が、三島さんとの対話集会で、はじめはいつものクセで「三島先生」と言ってしまう。その後すぐに「じゃなくて、三島さん」と言い直す。三島 由紀夫も周囲の学生たちもほほえましく笑っている。その権威主義に抵抗する姿勢を日本に根づくべき「リベラルの伝統(丸山 真男)」として唄いこみました。

>学生さんと さしむかい

東大全共闘vs三島 由紀夫のことです。

>連帯できず むせび泣き

もしも東大全共闘が「天皇陛下万歳」を叫べば三島は全共闘と連帯する予定でした。
だけどムリでした。

>晴れて身を散る 世田谷の

三島 由紀夫さんが世田谷にある防衛庁で演説し、自刀されたことを意味します。

>日本恋しや 防衛庁の国よ

今では伝説となった三島さんの腹切り。これも立派な日本の伝統になっています。
防衛庁を防衛省に変えることは、この歴史的記憶への侮辱なのです。日本の歴史・伝統を愛するならば、許してはならない蛮行ではないでしょうか。

なお、この3番の歌詞は、三島さんと学生さんとの悲恋を暗示するものにも受け取れます。とりわけ、>連帯 を恋愛と発音すれば、そうなります。
これは、80年代に花開いた日本のオタク文化の一つ、「ヤオイ」というジャンルに当たります(笑)。
こうした日本のおおらかな性規範は大切にしたいものです。

4.
>生存権の 川千鳥

>川千鳥は冬の季語。若い人たち、それにまるでこの世に新しく生まれてくることをストライキしているようなこれからやってくる新しい命たち。
まさに生存権にとって厳しい冬が今の時代をおおっています。

トラックバック用URL:http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20061203/p1
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061207









 









ニートたちの小さなデモ(@YOU TUBE)

2006-11-07 12:10:52 | 文化
もうご存知の方もいらっしゃるでしょう。
東京・高円寺の3人のニートのデモの様子がYOU TUBEに投稿されています。

↓ We are the three (only!)

http://www.youtube.com/watch?v=-5NXX5zs5k4

たった3人のデモに対して公安側は護送車を手配したり、監視者が因縁をつけるなど大変な警戒っぷりです。
どれほど失業者/プレカリアートの団結を当局が警戒しているかが分かります。

なおいまどきの労働運動もやり方を考える必要があることも読み取れます。
デモや抗議活動に何人集めたかをメンツのように張り合っても仕方がないのです。
かといって、大手のTV等はこうした情報をまず大きく取りあげないでしょう。
ならば、こうしてネット上に発表するのです。
そうすれば、たった3人のデモであっても、影響力を持ちます。
さらに言うと、音声・テロップは英語で作成すると国際的な注目を集められます。
日本は「黒船」には弱いのだから利用しない手はありません。




一時的メモ

2006-08-08 15:53:11 | 文化
黒田節の替え歌です。

元歌→http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/03nihon/kuroda_k.htm

不況の嵐か デフレ風か
下層の女の 舞姫か
車をひきとめ 立ち寄れば
歌音大きき 習い事

進学するたび 人が減る 
学校は 元祖リストラで
ゆとりに反対 してみても 
小さき人に 見破られ


教育訓練 やれやれと
識者は言いし 審議会
学歴資格は インフレで
座れる席こそ すくなけれ

充実してます 肉体労働
生きている 実感かみしめて
あまりに仕事が きついので
体を壊して 病院に

今日の仕事は 明日あるか
明日のことは 知らねども
一日ごとに 売られゆく
夢の夢こそ あわれなり

昨日いた人 今日はどこ?
会社の外に 追い出され
はじめの出会いは 別れなり
鐘の音ひびく 会者定離



生きよ生きましょ この時を
将来なんて わからない
諸行無常 是生滅法
ペルソネ ホディエ
保障なし

ひとつかぎりの 命なら
過労死よりも 休みゃんせ
ひとつしかない 体なら
元気になれば 踊りゃんせ

○>ゆとりに反対してみても 

狭義のゆとり教育のみならず、子ども・若者への登校強制圧力、子どもが学校に行かずに町を歩いているだけで取り締まる政策、ひきこもり対策という形での思想の自由やプライバシー侵害などを含みます。

○>小さき人 

子どもは小さい大人だ」とするP・アリエスの議論を受けたもの。


○>今日の仕事は明日あるか 

派遣会社の営業も含めてわかりません。

○>一日ごとに売られゆく

一日ごとに労働力商品として派遣元会社から派遣先会社へと売られてゆく様子です。

○>夢の夢こそ あわれなり
日本の伝統的人形劇である文楽の曽根崎心中の道行きのシーンからの引用です。この2行は「一足ごとに消えてゆく 夢の夢こそあわれなり」からもじったもの。http://homepage2.nifty.com/hay/sonezaki.html



●>諸行無常 是生滅法
雪山ゲ。お釈迦さまが山で修行をした。そのとき、「所業無常 是生滅法 生滅滅威 寂滅為楽」という歌声が聞こえたという。このセリフは、清元(三味線音楽)や平曲(琵琶楽)のなかにも取り入れられている。

○>ペルソネ ホディエ 
中世・ルネッサンス期の世俗音楽のなかの世俗ラテン語より。「今の人」の意。
<2005/1/12付記>日本の江戸初期から伝わる伝統歌曲のなかに、三味線の曲で「サンタマリア」という歌詞の入ったものもある。それで、伝統の曲にラテン語がまじっていてもいいだろうと判断して入れてみました。

>○たったひとつしかない命ならば、どうして過労死・自殺の前に休めないか。一個だけの体ならば、仕事を離れて踊れないか。現状を嘆きつつ、組織に滅私奉公する以外の人生を模索したい気分を描写してみました。




ひな祭りの替え歌

2006-06-26 03:31:13 | 文化
ひな祭りの替え歌です。

1. 明かりをつけましょ 貧しさに
  お花をあげましょ デモの花
  プレカリアートの 行列だ
  今日は うれしいデモ祭り

2. ひとつばかりの 心なら
  心のノートを ねこまたぎ
  ぼくもあなたも 不登校
  子どもたちの ストライキ

3. 明日の出世は いつのこと?
  今日の企業の 横暴に
  団結権を 使いましょ
  今日はうれしい ストライキ

4. エラいオヤジの 言うことにゃ
  子どもが減ると 国滅ぶ
  自殺させるため 産むものか
  再生産の ストライキ

5. キツい作業で ボロボロに
  人間なのに 使い捨て
  働く人は 負けなのか? 
  仕事さがしも ストライキ

6.子どもも大人も 街に出て
  さあさやりましょ ストにデモ
  サウンドばやしに 鳴り物も
  今日は楽しい サウンドデモ

7.道交法の 乱用に
  抵抗権は ゆずらない
  精神医学の 説教に
  病者差別も 振り切って

8.2世3世 政治家は
  大きな力を もつけれど
  民の声は 神の声
  今日は正しい デモ祭り

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

歌詞を解説します。

日本の女の子の祭日に歌う曲に、デモとストの歌をつけました。もともと、ひな祭りは、女性の休日と関連があったということ(五節句)から、こうした歌詞をつけるにふさわしい元歌ではないでしょうか。

2.>心のノートを ねこまたぎ

心の統制への子どもの動物的な拒否反応。それを、ユーモアをもって示しています。

>不登校/子どもたちの ストライキ

子どもがストをやるといえば、学校でしょう。実際、不登校は学校教育へのレジスタンスとする議論もあるのです。

4.>自殺させるため 産むものか

将来わが子を(過労)自殺させるために産めるだろうか、否、産めないということ。
もちろん、子産み・子育てのために自分が過労死するものか、という意味も含む。急がしすぎて自分の生存もギリギリのラインだったら、とても次の世代のために使う体力のゆとりはない。
保守的なオヤジ(年齢・性別だけではなく、考えや行動パターンがオヤジの若い世代や女性も含む。)は、女・子どもの問題は大したことがないと思い込もうとする。しかし、現実は悲惨だ。
「結婚できる賃金」を男性にだけ与えればよいというものではない。
家や国のために若い世代や女性は犠牲になって当然という前提を、問い直さねばならない。性役割分業のほか、婚外子差別や親の自己責任の過度の強調、金のかかるエリート学校への資源の集中など、考え直すことは山ほどあるのだ。

>子ども産むのも ストライキ

「考えるための書評集」の管理人・うえしんさんの「若者の人生ストライキを防ぐために」からインスピレーションをもらいました。

5.>働く人は 負けなのか? 

TVで有名になったニートのひとことよりヒントをもらいました。

>仕事さがしも ストライキ

こちらもうえしんさんからインスパイアされました。

7.自由主義思想家J・ロックは、人民は、政府がおかしなことをしたときには抵抗する権利、さらには革命をする権利があると「政府二論」で述べています。

8.>精神科医の 説教に
  >病者差別も 振り切って

失業者をニート・ひきこもり・おたくなどととレッテルばりをしたうえ、心の問題扱いすることへの拒否権の表現。だからといって、病者差別には賛成しないぞという意思表示。
具体的にはたとえば、「拒絶的態度が強すぎる」「敵意・悪意が強すぎる」「攻撃性が見られる」「エディプス・コンプレックスが抜けていない→精神的に未熟」といった説教が予想される。要するに「ニートは労働問題ではない」とする小田晋風のデムパ話なら、受け流させてもらうよ、という話。

8.>2世3世 政治家は
たとえば小泉、ブッシュ、金といった「王朝」。

>民の声は 神の声

元はラテン語の格言。民主主義の基本。

>今日は正しい デモ祭り

まつりごと(政治)が血統ではなく正統性によって行われますように、とする祈りの声。デモをやる人たちが、自信をもてますように、との願いもこめられている。

トラックバック用URL  http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060621
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060615
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20060119/p1

















黒田節かえ歌2

2006-06-03 20:44:58 | 文化
黒田節の替え歌は、今年の1月に一度作った。http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/d/20060107
最近、別の歌詞が頭に浮かんだので、忘れないうちに記録しておく。

1.
進学するたび 人が減る 
学校は 元祖リストラで
ゆとりに反対 してみても 
小さき人に 見破られ


2.
今日の仕事は 明日あるか
明日のことは 知らねども
一日ごとに 売られゆく
夢の夢こそ あわれなり



3.
ひとつかぎりの 命なら
過労死よりも 休みゃんせ
ひとつしかない 体なら
元気になれば 踊りゃんせ


*1 >ゆとりに反対してみても 
狭義のゆとり教育のみならず、子ども・若者への登校強制圧力、子どもが学校に行かずに町を歩いているだけで取り締まる政策、ひきこもり対策という形での思想の自由やプライバシー侵害などを含みます。
>小さき人 
子どもは小さい大人だ」とするP・アリエスの議論を受けたもの。

*2 >今日の仕事は明日あるか 
派遣会社の営業も含めてわかりません。
>一日ごとに売られゆく
一日ごとに労働力商品として派遣元会社から派遣先会社へと売られてゆく様子です。
>夢の夢こそ あわれなり
文楽・曽根崎心中の道行きのシーンからの引用です。この2行は「一足ごとに消えてゆく 夢の夢こそあわれなり」からもじったもの。http://homepage2.nifty.com/hay/sonezaki.html

*3 たったひとつしかない命ならば、どうして過労死・自殺の前に休めないか。一個だけの体ならば、仕事を離れて踊れないか。現状を嘆きつつ、組織に滅私奉公する以外の人生を模索したい気分を描写してみました。

トラックバック用URL→http://d.hatena.ne.jp/e-takeuchi/20060201/p1
http://d.hatena.ne.jp/dslender/20060302



中産階級ばんざい!

2006-01-10 23:02:54 | 文化
 ここ十数年ほど、「下層」風のファッションがはやっている。80年代のなかばごろには、お嬢様風とか大学生風のファッションも流行ったというのに、どうしたのだろう。アメリカの牢獄での服装、いかにも乞食風の破けたジーンズ、ストリート系の、ストリートチルドレン出身だといわんばかりの格好を、上流や中流の人たちも楽しんでいる。
 それはそれで独特の美意識がこめられており、面白い。本当に下層でない人たちには、非日常を楽しむ要素もあるにちがいない。

 だが、一方では中産階級風のファッションも健在であってほしいのだ。中産階級は、貴族ほど金持ちではない。少なくとも六本木ヒルズに住まう上流よりも、庶民に近いところにある。なので、時には下層の代弁者となれる。少なくともその蓋然性は高い。
 中産階級はファシズムの温床にも、民主主義の担い手にもなりうる。
 具体的な「豊かさ」の内実は、地球環境や旧・第三世界とのかねあいも含めて調整されてしかるべきだ。しかし、そこそこのゆとり、豊かさをもつ幅広い層が社会を形作ることは、極端な格差の是正または防止のために、充分に意義がある。

 ここでひけらかすようなことは言ってこなかったが、何をかくそう、わたしも元は中流の出身だ。田舎の窮屈さをきらって都会に出てきたのも、ブルジョワの語源、ドイツ語のブルガー(中世ドイツの城塞都市の住人。)と似た気風によるものだった。自由にするという都市の空気にあこがれたのだった。

 中産階級はイケてないとか、カッコ悪いというわけではない。中産階級になりたい人が、そうなれるシステムは守るべき価値だ。今はどんどん壊している。公務員たたきも流行っている。ただ一方で、「自分の子どもだけは何とか公務員に...」と狙う親が後をたたないのも現実の一面なのだ。

 中産階級とか中流とかで何が悪い。いいじゃないか。貴族みたいにぜいたくで堕落していない。労働者階級の立場・気持ちも分かる。分かるからいじめる場合もあれば、分かるから助けることもある。たとえばわたしの知り合いで、年収600万円の人がいる。その人は、わたしの知らない高度な知識をわかりやすく解説して、わたしの学習を助けてくれる。そんなステキな中産階級の人もいるのだ!
 富の分配が公平で、民主主義がよく機能しちているバロメーター。これを責め滅ぼしてはいけない。

 というわけで、ブルジョワ万歳! バンサイ!! ばんざーい!!!

(追記:最近、親類のお葬式のためにひさびさに中産階級流のファションで決めました。するとこれがけっこう気持ちよかったのです。そのことをきっかけにこの記事を書きあげました。)

 

渡りゃんせ

2006-01-07 19:33:11 | 文化
日本の伝統的な歌 通りゃんせ の替え歌を作ってみました。

渡りゃんせ

渡りゃんせ 渡りゃんせ
ここはどこの細道じゃ?
プレカリオ様の細道じゃ
ちょーっと通してくだしゃんせ
資本のないもの通しゃせぬ
この子のはたちのお祝いに 自立を納めに参ります

行きはよいよい 帰りは怖い
怖いながらも 渡りゃんせ 渡りゃんせ


↑ 
○>プレカリオ様
とは、ロナルド・ドーアが中公新書「働くということ」で紹介している、イタリアの労働運動家たちの創造した不安定雇用の神様です。

○>資本のないもの遠しゃせぬ 
文化・社会・経済資本がないものはなかなか通れない正社員就職を暗示しています。

○>はたちのお祝いに 自立を納めに....
通過儀礼として聖なる自立をすると神様に報告しにゆくのです。

○>行きはよいよい 帰りは怖い はじめはやる気まんまん、自信もある。けれど、
そのうち疲れ果て、失業や貧乏の恐怖におびえるようになることを示唆しています。

○>怖いながらも 渡りゃんせ 渡りゃんせ
一度トラックに乗り込めば、どこの・どんな職場につれて行けれるか予想もつかず質問も許されない現場もあります。それこそ、原発につれてゆkaれても、北朝鮮に拉致されても仕方がないような絶望的な雰囲気です。
それでも生活のために、必要悪として、派遣やアルバイトをつづけざるをえない状況がこの表現には凝縮されています。じっさい、40代で交通調査中心に働いているアルバイターだっているのです。

http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/





歳末助けあい2

2005-12-23 21:04:23 | 文化
2005/12/23 四条河原町の交差点の4つの角にて。こちらは浄土真宗による募金活動。修業になるのでやっていると言う。
違った宗派が、困った状態にある人たちが年を越せるように、それぞれ活動をしている。健全なことだ。

歳末助けあい1

2005-12-23 20:51:36 | 文化
2005/12/8 四条大橋にて。日蓮宗のお坊さんたちが、歳末助け合い募金をしているところ。
うちわ太鼓をたたき、「南無妙法蓮華経」と唱えながら募金をつのっていた。
話をうかがったところ、うちわ太鼓のバチは木のほか水道管も用いているとのこと。
音楽関係では、ほかに雅楽の講習も行うという。

道行く人々はときおり足を止めて、募金をしていた。

再分配への理解が、この国から消えたわけではないことを象徴する年中行事だと思う。これからも続いてほしいものだ。



正社員中心主義によるフリーター研究

2004-10-01 02:13:23 | 文化
大学のセンセイが、フリーターのことを調べている。案の定、フリーターを罪悪視または問題視する視点からの話だ。正直、人を一方的にバカにしすぎではないかと思う。くやしくて悲しくてついて、感情レベルではついてゆけない。
なんだか知的エリートの女性が、そうではない男性と女性をはじめから見下し、偏見をもって調査・しているように見えなくもない。研究する側の階層的・文化的バイアスを疑ってかかるべき情報だと思う。

http://sociology.jugem.jp/

(10/2 趣旨を変えない程度に訂正しました。)

魔物としてのコミュニケーション

2004-09-25 10:37:17 | 文化
 コミュニケーションはフリーターにとって魔物だ。

 よくフリーターはコミュニケーションに難があると言われる。(その点、「引きこもり」と似ているとも。)
 これは、正社員中心のムラ共同体たる会社中心の発想だ。それはまた言葉の暴力であり、文化の暴力だ。
 その言説をばらまく彼(女)らは、だいたいは社会的地位の高い人たちだ。それで、「あなたは自分を磨く努力をしていない」「人づきあいを大切にしていない」「人と人との間で生きていけないかわいそうな人」といったことを叫ぶ。怒鳴る。
 冗談ではない。いい加減にしてほしい。
 その人たちにとって、「人」とは正社員のことなのだ。正社員はたとえば、交通費が出ないなんて考えにくいし、ちょっと病気やケガをしても簡単にはクビにならない。人から軽蔑されることもない。正社員しか受けられない研修から外されてもいない。部分就業でも半失業でもない。残業時間が長くても、自立できる。マスコミに揶揄される情報に囲まれることもない。それはフリーターからすれば特権階級のようなものだ。
 「自分を磨く努力」は、最低限の自尊心と生活レベルの確保できる正社員の特権みたいなものだ。明日のライフ・ライン例えば携帯を維持するだけで四苦八苦だ。自分の知り合いのあるフリーターは、日本の携帯すべてを試したことがあると語る。それは、より安いプランを求めて複数の携帯会社・コースを渡り歩くからである。)を確保できるかどうかも分からない貧しい人間には関係ない。(1)今の社会の「魅力」が中流~上流の人たちのそれに限定されていることも、問題を深くする。
 「人づきあい」は大事だと思う。けれど、特に90年代半ばごろから、余裕がない。以前はときどきしていたことーー誰かの家に集まってクリスマスパーティーを開くとかーーは、今はもう昔だ。少なくとも自分とその周りの人間ではそうだ。「父親福祉」(竹信三恵子)が使える人は別かもしれないが、違う条件の人たちもいることを忘れてはならない。
 そもそも、そういう人たちが前提とする「人」とは、だいたいは中産階級の暮らしのできる正社員のことである。また、学校教育の中で大きく失敗した人も含まれない。人生の途中で経済的に苦労した経験を持つ人もいないようだ。その人たちの言い分をよく聞いていると、フリーターどうしの職場が変わる中でなんとかメールで連絡を保つことは人づきあいのなかに入れない。「とにかく、人と会え!」などとお説教をしてくる。しかし部屋は狭く散らかっている。私の場合は片付けられない。人が余裕がなくて、他人に親切にしたり、恥ずかしくない格好で街に出たり、ちょっと喫茶店に入ったりするお金もないのにそれを求める。もちろん、ムリをして借金をしたり、ボロボロの格好で外に出たり、最新の情報を仕入れていなかったりすれば「何をやっているんだ!」と叫ぶ。「古いよ~!」とバカにしつつ抗議してくる。
また、また、「つきあい」のパターンも正社員中心のものだ。一日一日いっしょに働くメンバーが変わる日雇いのフリーターには無関係だ。
 なのに、ムリヤリいっしょの価値判断で人を計る。あまりに不公平な競争だ。経営者の価値観に媚びた考えだ。狭い、偏った、就職試験に使うことも考慮の余地のある発想ではないのか? ただ、こういうことを言えば「ルサンチマンが強すぎる」「攻撃性が強すぎる」「コミュニケーション能力がない」とさらに非難をあびる。
 だから、みなおとなしくヘラヘラ笑っている。でもストレスはたまるので、時々キレる人や、いきなり相手につっけんどんな態度をとる人も出てくる。そうするとまた「攻撃性が~」「コミュニケーションを大事に~」とのお説教だ。
 明るさ、ゆとりのあるさわやかさの強要もそうだが、これは「象徴暴力」だ。社会学者のブルデューが言い出した概念で、言葉や文化、恣意的な正当性などによって特定の偏った価値を押し付けるという意味で使われる。物理暴力の対抗概念だ。
 象徴暴力を打ち破ることができるのは、オルタナティブな象徴暴力だろう。
 「いい人」を演じて疲れ果てる。そもそも自分の生活実態とあわない演技を強いられて、努力とガマンを重ねて自分の素直な考えと感情を裏切り、あげくのはてによりスムーズにそれをこなせるグループから「不自然」となじられる。それもまた、社会的な配分によっているのに。それもまた文化の中の概念なのに。
 そこで「自然主義の誤謬」を持ち出せば、また「頭はよくても性格が悪いんだね」といった道徳的なお説教が飛んでくる。
 それでも、わたしは「抵抗勢力」になってしまう。短いフリー・スクールの生活で身に着けた「パレーシア」の慣習があるから。つまり、自分と同等かそれ以上の者の前で自分の真実と思うところを、リスクをかけても訴えるから。すなわち、古代ギリシャの民主制を支えた「権利の平等」
と並ぶもうひとつの柱を守るべき価値とみなすので。

 そういえば、もともと内申書・勤務評定・心のノートにも反対なのだった。コミュニケーションとかいう階級差別の道具にして意味不明の選抜手段に忠誠を誓いたくはない。たとえ江戸時代の家臣のように切腹を命じられてもあえて「異心」を抱きたい。

 絶望の状況と気分がわたしにこれを書かせた。
 
 人づきあいは大事だ。しかしそれは自分が自由に選べないといけない。また、互いに尊敬できないと難しい。互いに偏見を抱き、自分たちの未来のなさ、今の悲惨から目をそむけるために互いに軽蔑しあう今の状態では、フリーターどうし、継続的に相手とつきあいたいとは思えないことが多い。もちろん、ひとつの職場に長くいられないこと、職場のサークル等に規則と経済的条件の両方の理由によって所属できないこと、地域のNGOによる無料または安価な社交サークルが充実していないことなども原因のうちだ。
 そのような多重苦のなかで、いつも明るく上品に礼儀正しくふるまえ、と言われても本当に困難なのだ。
 もちろん、正社員にそう言わせる背景には経営者の集団的自己中心主義が存在する。それこそを最も強く批判しなければならない。しかし、スポンサーに遠慮してばかりのTVなどには難しいだろう。
 それでも、コミュニケーションとか自然主義とかとかは、争いたい。自分の権利と尊厳のために闘っていきたい。



(1)例えば、携帯電話が使えるように維持するだけで四苦八苦だ。自分の知り合いのあるフリーターは、日本の携帯すべてを試したことがあると語る。それは、より安いプランを求めて複数の携帯会社・コースを渡り歩くからである。携帯電話は会社やフリーター仲間との連絡に欠かせない。フリーターの職場はよほどのことがないかぎりコンピューターを使えない環境にあるからだ。また、携帯所持者出なければ連絡に不便だからと雇用を嫌がる会社もある。ある労働組合アクテイヴィストは「今は携帯電話が『寄せ場』になっている」と語っている。彼によると、携帯を通じて細切れの≒日雇いの仕事の情報を手にしているというわけだ。

 

(ここは後で注をつける予定です。少々、お待ちください。)