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フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

対話の必要性

2005-01-29 02:47:47 | ジェンダー
 二つ前に書いた「いつか王子様が……」は、われながらヒドイ出来だと思う。

 説教臭い、押しつけがましい、結論を急ぎすぎ、一方通行……。そう、とても奇妙な話になっている。うまく挑発できればいいが、下手をすれば相手「不愉快」「失礼」と受け取るかもしれない。

 かつて識字教育家パウロ・フレイレがそうしたように、対話が必要なのだと思う。
 あるいは、そういったことをゲームなどによってで楽しみながら学んだり考えたりできるような仕掛けも必要だろう。わたし自身、そういった人たちともう少しゆっくりゆっくり互いのことを話し合ってみたい。
 
 ただし実際には、職場は目の前の作業に追われるため、ゆっくり話し合うことはできない。また、時に「非常識」なことや「会社の秩序を乱す」話題は話せない。そのためには、会社から離れたところで、リラックスした雰囲気で行う必要がある。時にユーモアも交えて、ホンネで話し合える環境が必要なのだ。
 そのためには、いわば「解放の教育(フレイレ)」を行うためのチームが必要だ。それに予算があって、いろいろなことに使えること、自分たちの生活が保障されることも必要だ。そうなると、今の自分にはムリだ。
 なのでああいう急いだ書き方になった。
 
 だったらはじめから書かなくてもよいではないか、と指摘するむきもあるだろう。
 
 なぜ「あえて」書いているか?
 それは、解放の教育をするために協力してくれる人と、こちらのブログを通じて知り合えるかもしれないからだ。あるいは、わたしとは独立にジェンダーのカテゴリーのエントリーを見て、アルバイトらへの啓蒙をやろうとする組合なりNPOがあるかもしれない。そこに希望をかけているからだ。
 それは安直な他人やシステムへの依存とは違う。一度は絶望を経た者のみが持つことの出来る、
自らの限界を認識したうえでの「他力本願」である。それはまた少々の圧力によって折れることのない、試練によって鍛えられた後に残る、細くても確かな希望なのである。
 
 

ストレス

2005-01-29 01:31:27 | ジェンダー
 ひとつ前のエントリで紹介した職場に通ったのは、ブルーカラーの仕事が少なくなったからだった。
 子どものころ学校にムリヤリ拉致・監禁されたアレルギーで、机の上の仕事はどうしてもやりたくなかったのだった。それでも背に腹は変えられない。なのでホワイトカラーの仕事にも面接に行った。そうするうちに雇われたのが前に紹介したところだった。

 そこで働いていてたいへんな孤立感と恐怖を感じたのは事実だ。はじめの一週間はただ何でもいいので職があるだけで嬉しかった。しかし、その後「こんなことをしていたのではいけない、けれど今はこうするしかない。」というあせりが襲ってくるのだった。
 
 その後、月経痛が激しくなった。薬局で手に入る薬を二倍量飲んでいたのに、勤務中にいきなり激しく痛んで、もんどりうったのはその職場での出来事だ。
 ブルーカラーよりも肩にはまった女性らしさ、華やかさを求められた。家の方針でそういったものを十代半ばから禁じられて育った身にはついてゆけなかったのだ。そう、ブルーカラーをしている間は女性らしさから多少なりとも自由であれた。こまかな礼儀作法など必要なかったし、いっしょに重い荷物を運んでいればタイプの違う人とも仲良くなれた。
 なによりブルーカラーの人たちは陰険ないじめをあまりやらなかった。つきあいやすくてさっぱりしたいい人が多かった。親切だし、組合に入っている人はホワイトカラーよりも環境問題に関心が高く、休み時間の会話も充実していた。
 本当にホワイトカラーというのは中途半端に体力があまっているからか、陰湿ないやがらせめいたことを日常的にやっている。もちろん、親切な方もいるのだが、グループごとに比較すると、管見かもしれないが、どうしてもそうなってしまう。
 
 もう絶対にホワイトカラーの仕事はやりたくない、と思う。でも、ブルーカラーの仕事がないなら仕方がない。

 え? こうしてパソコンをいじるのもホワイトカラーの仕事ではないかって?

 パソコンいじりと自由な読書、それに書くことは、学校教育において強制されたものではないので、キライにならないし、楽しんでやれるのです。何も大学を出なくても文字の読み書き能力は身につくのです。
 
 
 

いつか王子様が……

2005-01-29 01:09:34 | ジェンダー
 ある事務系のアルバイトに入ったときのことだ。そこは、子会社を作って親会社に派遣されるという形の仕事だった。事務系といっても、ホワイトカラーとブルーカラーの境のような単純作業と呼ばれる仕事だった。
 チケットを封筒に手作業で封入したり、ベルトコンベアー式の機械を使って封入していったりする。

 そこは女性の職場だった。十代から40代くらいまでの女の人たちが、中高年の男性の上司に仕えていた。男性たちは、親会社からの出向組みと思われたが、正社員だった。女の人たちはみな派遣会社を通じたパートかアルバイトだった。

 そこでの十代おわりから二十代半ばくらいの女性たちは、彼氏と結婚に非現実的なまでの幻想を抱いていた。
 朝の8時または9時から夜の5時~11時までの勤務。単調な仕事。絶対にないと予想できる昇進。何よりも、細切れの雇用。そこは一週間~二週間程度のあいだ、とても忙しい時期だけ女性に来てもらう職場だった。それに低い賃金に保障。社会的に尊重されない立場。

 なぜか彼女らは余裕があり、流行の服やアクセサリーで身をかざっていた。わたしとちがって京阪神圏の実家から通えたり、父親福祉も使える人が大半のようだった。
 お昼時には、資格試験やスキルアップの話はなく、彼氏と結婚の話題でもちきりだった。彼女らじゃほおをバラ色に染めてお金持ちの彼氏や社会的な地位の高いスマートな男性との結婚について語るのだった。
 それは、フリースクールで自立が大切だと育てられたわたしにとっては理解しにくい話だった。私にとっては彼女らは、あまりにも受身で無責任で依存的だと思えた。それは一種の「罪」のように感じられた。みなが同じことをしゃべるのも不気味だった。職業や人生を豊かにする経験を自ら選択せずに、どうして実存ができるのか? 十代のころに図書館で読んだボーヴォワールの「人間について(新潮文庫)」を思い起こした。
 彼女らの自我のなさには、正直言って吐き気さえ覚えた。彼女らは「企業戦士の銃後の妻」としての「「やまとなでしこ」を作る学校教育を無批判に受け入れているように見えたからだ。フリースクールにはそういうおかしなタイプの専業主婦予備軍はいなかった。そのように日本の伝統にそむくことをするものは、「明治以降たかだか百年」といって小バカにされた。

 彼女たちは男性、彼氏、結婚についてあまりに幻想が大きすぎる。ちょうどそのころ彼氏がいることを伝えると、「どうしてベンツの送り迎えがないの?」、「なぜブランドものの服や化粧品やバッグを持ってこない?」と質問責めにあって困ったことがある。
 そんな風に高望みをするから彼氏ができないんじゃない? と言ってしまえば嫉妬が恐ろしいので、笑ってごまかしておいた。沈黙は金だ。

 わたしは学校教育の問題に関心を持って、十代おわりのころから文化社会学を独学で学んでいる。そこで、結婚相手を選ぶときには、だいたいにおいて同じ階層を選ぶという知識を手にしていた。なので、過剰な幻想はない。十代半ばからのイリイチの「エネルギーと公正」を翻訳とはいえ読んでいることもあって、車よりも電車が好きだし。

 どうやら、彼女らは暗黙の前提として、結婚すればもう働く必要などなく、いわばシロガネーゼのような優雅な暮らしができると信じているようだった。だが、気づかないのだろうか? 同じ職場で既婚の女性が安い賃金と細切れの雇用で働いていることを。男性の上司が本来なら禁煙のルールの場所で喫煙をしていて、自分もタバコの煙のニオイが嫌いであっても注意できない低い身分を見て聞いて、それが自分たちの近い将来のありうる姿だと考えたことはないのだろうか?
 
 多分、彼女らは王子様を待っているのだ。自分を一挙にお金持ちの世界に連れていってくれるやさしくてカッコいい王子様を。だけど、自分で彼氏をつかまえるために動かないでどうするのだろう? 女性は動物であって植物ではない。まだ若くてエネルギーの有り余っている時期にそういった生き方は窮屈だとか味気ないとか感じたことはないのだろうか? 
 また、そういった専業主婦の生き方が大衆化したのは、特殊高度成長期的な女性のライフコースだったのではないだろうか?
 
 彼女らは環境から学ぶ力も、ものを考える力も去勢されている。そうして子宮(選択)と卵巣
(実存)を家父長制社会に奪われてしまっているのだ。
 王子様は、よほどの幸運がなければやってこない。自ら剣を持ち魔法を身につけ、ドラゴン(資本主義と家父長制)と戦え!
 自分で剣や魔法が操れるほうがいいではないか。そして強く賢い男をつかまえたければ、苦楽をともにするほうが感動的ではないか。修行を通じて自らを磨き、旅を通じて見聞を広めないで、どうしていい男を見分ける目が育つだろう。
 王子様はやってこない。ヘタをすると貴族やブルジョワの御曹司もやってこない。自分で自分にあった男性を探す旅に出なければ、待ってばかりではどうしようもない。
 王子様(近代核家族制度)に依存せずに、生きてゆくためには去勢を乗り越えねばならない。
「どうせダメ」という「敗北主義(ボーヴォワール)」をのりこえ、権利と実存のために積極性を取り戻さねばならない。奴隷根性に陥ってスポイルされている場合ではないのだ。
 それはつらく険しい道のりになるだろう。しかし、その結果自立が手に入るのなら、安いものではないか。自らが女王になるつもりで人生を送らないでどうするのだ。
 何かあったら父親や夫に責任転嫁するのはやめよう。何でも彼氏まかせもやめたほうがいい。だいいち、そういった収入を確保できる男性の絶対数もどんどん減っていっているではないか。生活をしてゆくために、今の職場がイヤなら結婚に現実逃避している場合ではない。


 
 
 
 
 
 


 
 
 
 

 

 
 
 
 

まるで借金があるみたい

2005-01-20 03:02:26 | 現状
 まるで借金があるみたいだと感じさせられるもの。フリーターとして自立したくてもできないために困るもの。
 それは携帯代だ(1)。そのほかインターネットのプロバイダー料金、ワクチン・ソフトやファイヤーウォール代、光熱費や水道代に保険料など。
 請求書がやってきても、見るのも億劫だ。ケタがひとつ小さければいいのに、と考えてしまう。そんなことを思っていると思考力や暗記力が鈍ってゆく。日常に必要な程度の集中力が散ってゆく……。それから、このブログを建てるための参考図書代も……。
 かといって、徳政令のようにチャラにしてくれ、とは言えない。国の経済全体から見ると、お金の流れが滞るのはよくないからだ。
 ここは、企業に対して携帯代を(一部でも)払えと求めてゆくしかないのだろう。
 
 生産者無視の価格破壊ではなく、お金をスムーズに流しながら生活苦を減らしてゆく方法が求められているのだ。 
  
(1)知り合いの30代正社員の男性はこの話をすると、「アハハハ、そうだよね」と答えた。笑いながらも目が笑っていなかった。また20代おわりのNPOの正職員の男性に同じ話を振ったところ、「ホントに」と言った。彼は「まったくだよ」という表情と身振りでうなづいていた。読者にとってはどうだろうか? 
 
 


 

フリーターは自衛隊に入るといい?

2005-01-10 18:09:38 | 現状
 インターネット新聞JAN JANの人気投票で3位になった記事をご覧あれ。「フリーターは自衛隊に入ると人格が変わる」といった内容の講演をしたオエライさんの批評だ。
 記事によると、教育問題としてフリーターを語ったそうな。要するにフリーターとは怠けている、遊び人だということか? 労働や失業の問題ではないのだろうか?
 しかし実際にはサマワに行けば、戦死するかPTSDをかかえて帰ってくるのではないか?
これは貧困層にだけは実質的な徴兵制を敷きたいと、アメリカに媚びているのか。結局、上流・上層の自分たちの身内以外は戦争で死んでも結構です、とでも言うのだろうか。

 批評内容や記事の下の掲示板の意見にもあるとおり、たいへんおかしな話だ。これまでこのブログを読んでいる人や、自分自身がアルバイトで働いている人は、この発言がトンチンカンで偏見に満ちたものだと分かるだろう。
 他方、最近の変化についてゆけない層・問題があれば被害者当人の責任だと信じている人々・
叩いても安全な相手を確実に打ちのめすグループは、フリーターを非難し叩きつづけるだろう。
彼ら・彼女らは、やっつけても大丈夫な他人なら、誰でも攻撃するのだ。

 もちろんわたしはフリーターを自衛隊に入れることには反対だ。そもそも自衛隊が憲法違反だ。
また、フリーターは教育や心の問題ではない。それは失業問題であり、半失業問題であり、労働の問題だ。あるいはまた、世代やジェンダーやエスニシティをめぐる利害の抗争の場でもある。
 それを歪曲し隠蔽するこの手の情報が、注目すべき識者の見解として講演になることは、広く一般にフリーター問題が誤解されていることの現われだ。
 もっとフリーター問題(という問題自体)について啓蒙が必要だ。それは、決して暗記詰め込み型の権威主義的な教育であってはならない。「解放の教育(フレイレ)」または「自由のための文化行動(フレイレ)」が求められている。
 かつてフレイレらがしたように、人々の日常生活に近しい言葉や写真やゲームを用いながら、自分たちの利害や社会的な立場に気づくこと。教えるものと教えられるものとの間に絶対の差異はない。せいぜい相対的な違いしかない。そのことを前提として互いに確認したうえで、対等で真剣な対話によって現状に気づき、何らかの行動につなげること。
 もしすぐさま明確な成果が得られなくても、がっかりする必要はない。あきらめず、粘り強く対話すること。意見・情報・リアリティを交換すること。かといって馴れ合いや漫談におちいることなく、より優れたものを目指して高めあうことが大切だ。
 今こうしてブログの記事をupする瞬間にも、過酷な条件で働きすりきれているフリーターがいる。職探しに疲れ果て燃え尽きている者もいる。
 そのことを意識しながら、フリーターは自衛隊に入るといい、といういろんな意味でふざけた発言に抗議をしたい。