福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

ザクロ石片麻岩

2007-01-10 01:18:00 | 南極

ハナが大学を卒業した1938年(昭和13年)にはフランクは七十歳になっていたが、老いこんだという風はなく、度々訪れてくる、地質調査関係の人たちの世話をしていた。それまでにも多くの科学者や技術者が彼のところを訪れた。ビーバー村が、しばらくの間、これ等の調査、研究の基地となったこともあった。

フランクはこの仕事にはなにをさし惜(お)いても協力した。彼は五十台から六十台にかけて調査団の案内人として、しばしばシャンダラー地区からブルックス山脈にかけて入りこんで行った。

1928年に、調査団を案内して、奥地に入ったとき、二十四年前に、セニックとタカブックが、カリブーの肉を雪の中に埋め、その上に目印の石を積み上げたケルンにめぐり合った。

ケルンの下には二十四年前の肉が残っていた。試みに犬に与えたが、犬はそっぽを向いた。そのケルンを積んだセニックも死に、タカブックも既に生きてはいなかった。

フランクは飾らぬ男だった。調査団が、なぜ二十四年前にこのケルンを積んだのかという質問に対しても、要点しか答えなかった。

           新田次郎『アラスカ物語』より

47次生物隊員は高野さんと私の2人のみで、南極は初めてでした。南極での野外調査の勝手が分からない、と言う深刻な問題を抱えていました。そうした問題を解決してくれたのが、前次隊の人たち。フィールドアシスタントの山崎哲秀さん、通信隊員の小林正幸さん、そして環境保全隊員の藤井純一さんです。

藤井さんは3度目の越冬で、私よりも10歳も年上の方ですが、大変な力持ちで01_44す。彼の口から、「ザクロ石片麻岩がこの辺には、、、、」と専門用語が頻繁に出てきます。研究観測に対して一番の理解者で、私たちの観測計画を第一に考えて下さいました。こうした人たちの理解と献身的な支えがあったからこそ、事故もなく野外調査の成功をおさめることができたのです。

0601前次隊の藤井さん(写真奥)と佐藤さん、貫禄がありますね。この日の調査は風邪が強く、鼻水をたらしながらの作業でした。昼食時、岩の陰に潜り込み、冷たくなった握り飯を。暖かいお茶でようやく体が温まりました。

0601_1そして午後も、やはり、湖沼調査続行です。たった4人しかいない、南極での調査。チームワークが崩れたら、一瞬にして大きな事故になりかねません。ケガ人が出たならば、現地で応急手当をする。それでも解決できない病態ならば、イリジウムで昭和基地か「しらせ」に連絡を入れ、救急要請しなければなりません。天候が良ければ、ヘリコプターが飛んできてくれますが、そうでなければ、ひたすら助けがくることを待ち続けなければなりません。キャンプ地(観測小屋)までは山道で1時間。もちろん道はありませんが、ケガ人をキャンプ地まで搬送するのは至難の業でしょう(一応、冬の乗鞍高原で救急搬送訓練はしていますが)。

今、あの頃を振り返ってみると、本当に人と幸運に恵まれた研究観測であったと、つくづくそう思います。