泰西古典絵画紀行

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Blaeu's Nova Totius Asiae Tabula ブラウのアジア壁地図1686年

2011-12-07 00:13:22 | 西洋の古地図


Auctore Joannes Blaeu Amstelaedami./ Jo. Jacobus de Rubeis/ Formis Romae.
83x110cm


 Willem Blaeuの壁地図には世界地図と四大陸図などがあり,これらの豪華版は中央の大きな地図の周りを人物像や都市景観図などで縁取った(マージナルと呼ばれる)もので,世界図にはメルカトル図法で描かれた初版と東西半球図で描かれた版がある.前者はマージナルに「泰西王侯騎馬図屏風」の基絵となった図像がくだんのカエリウスの1609年模倣版に求められており,その原版としてW・ブラウが1606/7年に刊行した図が知られているが写真が残されるのみですでにこの世には存在していないらしく,半球版のほうは息子のJ・ブラウによる1646年版がロッテルダム海事博物館に所蔵されており,こちらのマージナルにも王侯騎馬図が上段に描かれている.

また,徳川幕府献上品から国立博物館に伝わる1648年フィッセル改訂版も良品である.
 大陸図は1608年に刊行され,第二版は1612年に製作されたが,原版はHendrik Hondiusの手に渡って1624年頃に再版された後,さらにClaes Janzoon  Visscherのもとで1655-7年に再度刊行された.これらは極めて稀にしか残っておらず,最近では初版の三枚だけが1979年スイスで発見されているのみである.
 ブラウのこれらの壁地図は西欧の貴族や商人の館で大いに需要があったが,非常に高価なことと運搬に適しなかったようで,次第にイタリアにおいても出版されるようになった.恐らく1646年頃にStefano Scolari がヴェニスで新たに版を起こして出版した後,第二イタリア版は1667年にローマでGiovanni Giacomo de Rossi(ラテン語名Johannes Jacobus de Rubeis)によりやはり新版で刊行された.第三版も新版でTodeschiにより1673年頃ボローニャで刊行され,この版はブラウのオリジナルに非常に正確と評価された.これらのいずれも現存は稀少である.
 さてロッシ家はローマの著名な地図製作業者であったが,しばしばブラウらがオランダで製作した地図から地理情報を借用して再版していた.Giovanni Giacomoの兄Giovanni Domenico de Rossi (1619-1653)は1652年にブラウの四大陸の壁地図を銅版製作者Daniel Vidmanに二枚版の画面に縮小して版を作るように命じ,Giacomoが1670年の刊記の入った67x95cmの版Totius Asiae nova et exacta tabula ex optimus tum geographorum tum aliorum accomodata per Gulielmum Blaeu. Amsterdam [but Rome] を得て刊行した.これが上記の第二イタリア版である(1679年再版).なおロッシ家は1665年に教皇Alexander VII世から夏の宮殿を地図で装飾する注文も得ており,後に四枚版の画面でブラウに倣った新版を製作した.
 ここに提示したのはこの版で1686年の刊記があり,Joan(=Johannes) Blaeuの図に基づく中心の大地図のみで周辺の装飾図は伴っていない.すでにこの時代にはアジアの地の新発見が進んでいたので,その時代の約80年前の「古地図」として装飾的な要素が大きかったのかもしれない. これは15世紀の地図に見られるような伝説legend,異国の人種の営みや動物,果ては怪獣や魔物などを描く慣習の名残からも読み取れる.









タイトルと小アジア部分


Ierusalem, Damascus, M.Sinaiなどの地名が見える.シナイ山に向かう人が見える.



日本と中国付近






















Schilder, Monumenta Cartographica Neerlandica V 1996 p.199-202


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