泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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資料(美術品・貴重書)の天敵の話

2013-07-18 01:09:41 | 美術品の保守

~この記事はあまり心地よい話ではありませんので,食事時には読まないで下さい~

 ようやく繁忙期を抜けて時間を取れるようになった今日このごろ.初夏の連休を利用して二年間の懸案だった作業に取り掛かりました.

 紙類資料の天敵は....そうですねぇ,光の照射でヤケたり,液体がかかることでシミ・シワが出来るといった物理化学的な問題もありますが,今回は生物として,黴(カビ)と害虫について.
 どちらも古いものにはつき物ですが,カビはいたるところに胞子があるので,発芽しないように温湿度管理で対処します.カビの成長の水分源は空気中からまかなわれるのではなく,液体の水の存在が必要とのことで,急激な温湿度変化で結露することが問題なのだそうです.安定した条件では湿度70%までなら大丈夫らしい.常識的には湿度60%以下が目標,あとは資料の特性にもよりますが,紙自体も極端な乾燥下ではもろくなるようで50%以上が目安のようで,タペストリーや板絵や羊皮紙はさらに乾燥を嫌うので55%程度までが妥当でしょうか.
 ただ,絶対的な胞子の数は増やしたくないので,カビが生えた後があって変色しているもの,カビ臭いものは持ち込まないに限ります.しかし,それが貴重書や大家の素描・銅版画だったら....
 まずカビの生えた跡がアクティブかどうか,つまり菌糸が現在活動中なのかどうか? それにはムシメガネと日々の観察ですね.不幸にしてアクティブな場合は70%のエタノールがカビの菌糸を死滅させるのには有効といわれます.ちなみに文科省のカビ対策マニュアルはこちら

 害虫ではありませんが,土蔵にある古書をかじるのはネズミで,かじられた跡はウマクイと呼ぶらしい.本の表紙には糊がついているので,それをかじって地図状の跡をつけるのはゴキブリ.けれども,そこそこ大きいものは駆除しやすい.


左:本の前小口の下方にウマクイ
中:ゴキブリの食害
右:いわゆる虫食い

 しかして,和本をもっとも手ひどく荒らしてくれるのは....シミ(紙魚という虫)ですか?
いえいえ,これは表面の澱粉質,つまり糊をなめるだけらしい.

 この小さな小さな虫が諸悪の根源,シバンムシです.紙が好物なのはほかにザウテルシバンムシがいるそうですが,たぶんフルホンシバンムシでしょう.古い本を買うと,オマケに付いてくることがあります.本当にあった話で,ある日,届いた和本をぱらぱらめくった後,机の上を見るとゴマ粒のようなものがゆっくり動いているではありませんか!そのときはつまんで成仏させてしまいましたが,もしやと思って調べると,やはり.そういえば,むかし米びつの中に何匹か見たことがあるのと見かけは同じ....食性の差があるようですね.自然界の多くのシバンムシは枯れ木を主食としているようで,額縁や彫刻などの木材のほうが好物だとか....

 それからというもの,気が気ではなく,あの本やあの地図にどんどん虫穴が広がっている悪夢を何回見たことか.害虫はとにかく持ち込まないことが肝要です.
 もともと置かれていた旧家の蔵や古書店の倉庫に巣くっているとすれば,入手先に注意することも勿論ですが,キチンと管理されている古書店さんであっても品の出入りは不可欠なので,あらたにムシ付きが入ってくることもあるでしょう.従って,新入りさんはかならず,白い紙を広げた上で検品し,ゴマ粒を探すこと,それから,幼虫と卵まで処理しなければなりません.

 従来は燻蒸といって,毒性の強い薬品(臭化メチル)をバルサンのように密閉した収蔵庫で焚くという手法が一般だったそうですが(当館の油彩画もある美術館に貸し出し中に燻蒸していただいたことが10年以上前にありました),いまはオゾン層破壊の原因となるので,臭素(ブロム)系燻蒸剤の使用は全面禁止になっているようです.いずれにしても,住宅では健康被害の恐れがあり,はなから無理なこと.
 それに変わる方法としては,電子レンジに数秒かけるという話もあり,理屈からは虫卵も駆除できるわけですが,時間をかけすぎると痛んでしまうらしく,彩色のない安手の本ならいざ知らず,高価なものはちょっと無理でしょうね.

 あれこれ調べて到達したのが,脱酸素療法(ネーミングは適当です),正式には低酸素濃度処理法と呼ぶそうですが,密閉して酸素を奪い虫を窒息させる方法です.大学の研究室でも使用されている由で*,某社から販売されている脱酸素剤を規定量使用して,酸素チェッカーのタブレットの色を見ていくと,はじめ青紫色になっていますが,24時間ほどで赤みを帯びてきて,48時間ほどでピンクに変わり,脱酸素はうまくいったようです.

1は密閉袋の中にビニール小袋を二重に折り畳んだのまま入れてしまったため,酸素が残っていてまだ青みの強いチェッカー
 結局ピンク色になるのには1週間ほどかかりました.さらに気密性が高いと,2週間かかったものもあり,個別包装はしないほうが得策です.
2は同じ状態でスタートした密閉袋内のむき出しのチェッカーで,1日後でやや赤み(赤紫色)がでている状態
3は2日後のチェッカーでピンク色になっていて無酸素化できたようです.下に敷きつめられているのが脱酸素剤ですね.
 このタイプは一袋で2リットル分の空気中の酸素を奪うので,A4ファイルサイズの収納箱をそのまま密閉するのに10袋でなんとか有効であったようです.作業は可及的速やかに行わなければ,同剤の効果は落ちてしまいます.30分以内とのこと.密閉袋からはできるだけ空気を追い出した方が効率はよく,できれば複数の手でやったほうがいいし,掃除機などで吸引すると良いのだが,そんなことをするとムシ嫌いの当館学芸員の目が釣りあがってしまうことでしょう.



 成虫(例のゴマ粒みたいな)>幼虫>卵の順で有効ですが,基本的に2週間,1ヶ月置けば虫卵も駆除できていると目されます.温度が20℃以下だとムシが休眠状態となって窒息しにくくなるようです.逆に温度が高いほど生物の酸素消費量は増えるので,この季節だともう少し短時間で済むことでしょう.ただ,小袋などにはいった和本もそこそこあったので,その脱酸素化にはもう少し時間がかかりそうで,2ヶ月ほどこのまま様子を見てゆくことにしました.

 上の成虫の写真は,作業が終わってやれやれと扉を出て,隣室の白い壁をぼんやり見ていて....見つけてしまったものでした.作業中に少し開けていた扉の隙間から,飛んで出たものか....地図の大きなものや軸物は密閉袋に入らないので,一部はむき出しにしていたし,タペストリーはかかっているし....雌雄の成虫がランデヴーしていないことを祈るしかないなあ,がっかりの顛末.床の茶色と壁の青が恨めしい一日となりました.広いストックヤードが欲しいですね.成虫駆除だけならバルサンもいいかもしれないが,展示品への影響はないものか....
フェロモントラップもあるようですが,タバコシバンムシとジンサンシバンムシ用しか市販されていませんでした.

 物を持つことは大変です.後世に貴重な文化財を引き継ぐことはもっと大変ですね.文化財の総合的有害生物管理(IPM)が日本の博物館でも導入されています.

 蛇足ながら,現代では「虫干し」とは主として秋の穏やかな日和に陰干しすることを言うようですが,古来は7月に行われていたようで,成虫の出鼻の時期に資料をチェックして,虫害の拡大を防ぐという理にかなったものでした.土用虫干しというそうです.

*「東京学芸大学所蔵古書籍の虫害状況と保管法に関する研究」,2003


美術館での絵画写真の撮り方

2009-08-09 18:42:01 | 美術品の保守
 美術館の中で写真を撮るには,当たり前ですがフラッシュをたいてはいけません.先だって訪れたマウリッツハイス美術館も昨年から写真撮影禁止となっていたのですが,係員に理由を尋ねたところ「いくら言ってもフラッシュ撮影してしまう人がいるので絵に良くないから」という返事でした.ニスの塗られた油彩画にどの程度フラッシュの影響があるかについては疑問もあるのですが,フラッシュ撮影禁止から写真撮影禁止になっていくのは残念でなりません.最近,アムステルダム国立美術館でもプラド美術館でも撮影禁止になってきているので,これは世界的な流れでしょう.純粋な鑑賞の邪魔・混雑の解消,版権の問題,ショップでの売上げ増強などいろいろ考えられるところもありますが.
 以前ドイツの某美術館では,あらかじめ研究目的で館内の撮影許可をお願いしておいたら,申請書を提出して腕章を用意していただき,有料ですが撮影可能となりました.ただ部屋を移るたびに警備の方に声をかけられましたが.将来どこへいってもこのような手続きが必要だと,なかなか大変ですね.

 いずれにしても,三脚などでカメラを固定できないフリーハンドの撮影で,きれいな絵画写真を撮るには,暗くてもぶれにくい工夫が必要です.
 どのようなカメラでも暗いところでは
①感度を上げる(ただし最大感度にすると画質がかなり落ちることがある)
②シャッタースピードを調整できる場合は遅すぎないように1/15秒程度に設定する(慣れると1/4~8でもぶれの目立たない写真を撮ることは可能です.オートでは絞りはそのレンズの最も明るい設定に自動的に設定されると思います)
③露出補正をして段階的に-1段程度まで露出不足気味にする(これでもシャッタースピードを調整できます.ただしあとでパソコンで画質調整ができるのが前提)
④注意されない範囲で,出来るだけ近づいたほうが露光を稼げる(周辺のピントや画質はレンズによっては低下する可能性がありますが)
⑤脇を締めて両手でカメラを身体の近くに持ってぶれないようにシャッターを押す
⑥同じ設定で3枚位連続して撮影し,その場で確認してぶれの少ないものを残す
とよいでしょう.

 コンパクトデジカメ(コンデジ)とデジタル一眼(デジイチ)の性能の差は,640x400画素程度の一般的なウェブ画像を撮るのには大差はありませんが,暗めの絵画のクローズアップを撮ろうとすると画質に大きな差が出ます.デジイチなら,よい絵画写真を撮るのに選択肢はさらに豊富です.
 
 デジカメの進歩は早いので,7年前に書いた記事も陳腐化しています.小生のカメラ遍歴からお話しすると,中学の頃初めて購入したのが,中古のミノルタ一眼レフSR1S,それから同XE(74年発売)で,撮影した写真は天文ガイドに入選しました.社会人になってから,マミヤの中型一眼レフのRZ67を購入し所有絵画の写真を撮ったりもしました.海外の美術館の撮影旅行にはペンタックスMZ5(95年発売)を購入しましたが,ルーブル中庭での落下事件でキットレンズが壊れたため,タムロンのSPAF24-135mmF3.5-5.6とぺンタ50mmF1.4を新規購入するも,ズームは暗く高感度フィルムの粒子はことのほか粗く,AFが甘いこともあって50mmの出番は僅か一回だけでした.
 同時期にはコンデジの完成度も高くなり,キャメディアC4040(01年発売)は400万画素でレンズはF1.8と群を抜いて明るく,これは随分旅のお供をしてくれました.05年には学芸員の希望で,手ぶれ防止機構のついたLUMIX FX8のピンクも使い始めました.絵の写真用にはF2.8と暗くISO400~ではノイズも気になり,500万画素とはいえ光学解像度に難があるので,サブ機としてメモ代わりに30万画素に設定してキャプションなどをいまでも撮影しています.
 より高性能の明るいレンズを求めるなら単焦点しかありませんし,これに手ぶれ防止機能を付加するにはホディ側機構が必要です.この機能は当初はコニカミノルタのαデジタルにしかなく,05年8月に比較的安価なαSweetDIGITALが登場し,翌年1月「コニミノ,カメラ事業から撤退」と報道されたものの迷った挙句に購入しましたが,残念ながらAFの精度・高感度ノイズ・手ぶれ防止能力は物足りず,07年秋に出たα700に08年4月乗り換えました.このDRオプティマイザーは素晴らしかったのですが,ツァイス設計の16-80mmでも開放で広角端の周辺部の流れが気になり,古い単焦点28mmF2も開放では同心円方向のコマ収差が目立っていました.
 デジイチで画素数1000万画素を超えるとやはりレンズ性能が重要でとくに最近設計されたニコンのレンズには周辺部を含めた解像度と収差補正の点で高性能のものが多く,また高感度ノイズの除去はキャノンが優れているし,と浮気心が芽生えていた昨年後半,ニコンD700が発売されその高感度撮影能力に大きく心が動いたのですが,フルサイズでは手ぶれ防止機構付標準ズームレンズがない...そのうち,APS-CサイズのD90がでて比較的評判もよく,三脚撮影ならば手ぶれ補正の無い超優秀フルサイズ兼用レンズの14-24f2.8G ED Nが使えるので,折からのドル安で先にレンズを買ってしまい(米国のB&H社から3割ほど安く逆輸入),年末にD90をビックカメラの最安値で購入しました.その後,手ぶれ補正のさらに強化された16-85f3.5-5.6GEDVRを購入しこれを常用,さらに風景や建築撮影用に超広角のトキナAF11-16mmf2.8AT-XProDXを使用しています.
 デジカメの寿命は5-10年でしょうが,製品のサイクルは1-2年程度なので,デジイチのボディについては早めにヤフオクを利用してほぼ半値を回収しています.

 デジイチの選択基準はメーカーの好き嫌いもあるでしょうが
①高感度ノイズの少ないこと(出来ればISO1600-3200が使えること)
 近々ソニーからExmor Rという裏面型CMOSセンサーの機種が出るので期待しています.あとはニコンのD700用センサーのついた小型機種がでるかどうか
②手ぶれ補正が強力で,できればボディ内蔵がよい
③フルサイズのほうがAPS-C規格などに比較して高画素ないし高感度化し易いが,周辺でのレンズの解像度は低下しやすいので,どちらが良いとはいえない
④レンズはズームが使いやすいが画質は一般に単焦点が勝る
⑤絞り口径比F値は2前後以下の小さいほうが明るく,焦点距離fはやや広角気味(フル35mm APS-C24mm)をカバーしていてより短いほうがブレにくく,拡大撮影に適するように最短撮影距離は短めで,解像度が高いこと(これは専門サイトのレビューをみるとよいでしょう).ただし,ディストーション(画面歪曲)は画像処理ソフトで修正可能のことが多く,CA(色ズレ)はニコンでjpgだとカメラ内でかなり補正してくれていたと思います.
 まとめると,感度が高いほど,焦点距離・F値・被写体までの距離 のすべては数値が小さいほど,ぶれにくくなります.
・ぶれやすさ ∝ 露出時間[シャッタースピード]T x 焦点距離f
・T = 適正露出時間Ta x (1+露出補正)
・Ta ∝ (1/ Fの二乗) x (1/ 被写体までの距離の二乗)

 そのほかの注意点は
⑥重い,ないし重量バランスの悪いカメラを持ち歩いていると,腕が疲れてぶれやすくなる
⑦以前悩まされた自動焦点AFの性能はキャノンやニコンなどではずいぶん良くなっているが,気になるようなら調整に出すと良い.さらに念を入れるために,合焦を含めて3回程度撮り直すようにしています.
 じつは被写界深度といって,口径比F値は小さい(暗い)ほど,ピントの合う範囲が前後に広い(ピントが合いやすい)のですが,これでピントを期待するよりももともとAFの性能の良い機種のほうが重要だということです.
⑧ホワイトバランスは,オートにしていても場合により完全ではなく,照明に応じて撮った画像と実物を見比べて色具合を確認し,必要により電灯光などに調整するがあります.後で戻すことを忘れないように.キャノンがニコンより優れているのはオートホワイトバランスであるとよく言われます.

 もし教会の中などで対象に近づけなくて小さな像しか得られなければ,焦点距離が長めのレンズを使用するか,高画素のボディでクロップ(トリミングして切り出すデジタルズームアップのようなもの)することになります.

 最後に秘密兵器をお見せしましょう.手ぶれ防止でカメラを身体に固定するため,パーツを二点装着しています.これで,このブログに乗せてあるような高品位の写真が50%程度の確率で取れるようになりました.

 ホットシューに取り付けたパーツを額に着け,赤のグリップを鎖骨の上にあてます.