泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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レンブラントの製作技法(1)

2009-08-29 19:58:57 | オランダ絵画の解説
(1)レンブラント工房~アカデミー

 当時親方画家の工房には徒弟が4-6人程度修業するのが一般的で,これは聖ルカ画家組合によって規制されており,勿論レンブラント自身もそれに加入していないと絵を描いて売ることは出来なかったわけだが,この統制はアムステルダムにおいては他の都市よりも比較的寛容だったようで,レンブラント工房においては,その徒定数は遙に多かったらしい.その中には長期の見習い者(ホーホストラーテンは13歳から7年間修行した)もいれば,他の親方のところで数年修行をしてから入ってきた者(たとえばフリンク)もいたが,残りの多くはアマチュアで,イタリアの画家工房の「アカデミー」のように,授業料を払って指導レッスンを受けていたと思われる.これは組合の徒弟教育のような因習にとらわれずに,例えば人物モデルを囲んで弟子たちがスケッチするといった自由なものであったらしく,1630代のアムステルダムにおいてはこのような指導方法は目新しいものであった.
 ハウブラーケンの記述によれば,レンブラントは借りた倉庫で,弟子たちに布などで仕切った小さなブースを与えて,それぞれが煩わされずに描ける場を提供していたらしい.授業料を取る生徒から徒弟,若い画家に至るまでの才能のある者が彼の指導の下でレンブラント様式で描いた(時には各自に任せたりしたかもしれないが)同じ画材と技法の作品に,レンブラントは署名を入れたので,現代に至るレンブラント作品の真筆同定には困難が付きまとう.
 残念ながら,レンブラント工房にどの位の人数が関わっていたかは,アムステルダムの画家組合の記録が消失してしまっているため定かではないが,文献からは少なくとも20人位の名前は挙がっている.

(2)制作過程と画材
 一般に画家は東西に走る道路に面した家に住み,北窓からの空の光で一日変わらないアトリエの採光を好むが,レンブラントの場合も同様であっただろう.完成した肖像画では向かって左(描かれた人物の右手側)から光が当たっていることからも,彼は右利きであったと考えられており,東側に対象を置いて,左手の北から採光し,右手の影が邪魔をしないようにイーゼルを置いたと考えられる.

 ボストン美術館所蔵の「画家のアトリエ」25x32cm 1629年頃では,右利きの画家は作品から距離を置いて立ち全体のバランスを見ているようで,一般の画家がアトリエの自画像を描くときには椅子に腰をかけた姿が多いことを踏まえて,Broosはこのポーズに注目しているが,光の方向を考えればイーゼルの向きも描くときとは逆斜めでもあり,私見ではこれはすでに完成した作品を見ているか,構図上の虚構であって,この時代の精緻な筆遣いを考え合わせればレンブラントが立って描いていたわけではないだろう.
 支持材は標準的なサイズのオーク板や画布で,当時額の方が決まったサイズで制作されていたと考えられていて,これに合わせていたらしい.板は年輪年代推定法によって,特定の画板制作業者からまとめ買いをしていたようだ.パネルは大きいと2-3枚を継ぎ合わせたもので,裏は四辺を斜めに削って額に固定しやすく加工してある.使用されている板がカットされている場合,裏の削られ方をみれば元の板のサイズがある程度推定できる.板に塗る下地材は制作業者が塗った上に画家が塗り重ねることもあり,元が荒かったりすると真ん中の部分の下地材を削り落としている例(Br566)もあった.画布も下地の塗られたものを購入していたかもしれないが,アトリエで張ってから下地を塗りなおしており,ときにはカットして再利用したりしている.
 顔料については秘技秘伝の類はなく17世紀オランダ絵画の正統的なもので,広く購入可能で品質や欠点の良く知られた様々なものを使用している.よく使用されたものを挙げれば,イタリア・フランス・英国などから輸入された天然の土類からオーカー(黄土色)ochre・シエナ(黄褐色・焼けば赤茶色)sienna・アンバー(茶色・焼けば焦茶色 よく乾く 高級品はキプロスやトルコ産?)umberなどで,柔らかく暖かい赤・橙・黄・褐色が表現でき,溶剤との安定性もよく他の化学的に弱い顔料との混和にも問題がない上に,油での乾燥も早いメリットがあった.唯一の弱点は色の強さだったが,色調の幅の広さと下層の透過性はレンブラントの表現に適していた.人工的な顔料としては,厚く盛り上げて襞襟などを描くのに鉛白lead white,黒い衣装には獣骨を焼いた墨の黒bone blackを用いている.
 彼はこれらの顔料を透過性や不透明性を考慮しながら何層にも塗り重ねており,とくに塗り目(テクスチャー:質感を与える塗りの模様的な特徴)は,不透明で強固な鉛白やときに亜鉛華黄lead-tin yellowによる厚塗りimpastoで表現している.透光性のある大量の顔料を組合わせることで厚塗りで暗色調ながら透過性(色が濁らずに下層が透けて見える)のある部分passageも認められ,この技法はレンブラント独自の創作であろう.このような複雑な顔料の混ぜ合わせと多層塗りによって,レンブラントは色彩と透過性と塗り目から強い印象を与える表現を完成し,彼の選んだ顔料の安定性と組み合わせの良さによって,今日まで多くの作品が良い状態を保っていると考えられる.

 レンブラントの描画技法はレイデン細密派に通じる精緻様式から出発して晩年の粗塗り様式で終わるが,とくに最晩年の作品の念入りで精妙に仕上げられた表面の構造は,筆やパレットナイフの痕跡を見取ることが出来ず,どのように制作されたのかは謎のままである.Broosは,このような自発的で極めて独自の画業の進化はultima manieraに到達しているという.van de Weteringは,この変化は17世紀の工房における意図的な決定に導かれたものであろうといっているらしい.


 この記事は尾崎先生の「レンブラント工房」やvan de Weteringの著書などを読み進めながら改訂してゆく予定です.


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