価値向上に向けて

仕事人生のグチをこぼす人生から、
形而上学を学び始め、豊かで喜びに満ちた人生への軌跡

目の前のできることに集中する

2018-04-27 12:46:43 | 仕事
お客様が展示会を開催しています。
滋賀県のお客様なのですが、東京の表参道で
11日間もの長丁場の展示会を開催されています。

コンサル仲間、私がパートナー契約をしている会社の社長は、
コンセプトが不明確、もっと高く売れるものをそう見せていない、等
酷評しているのですが…

私としては、その状況がなんとなく落ち着かない。

もうやってしまったことを批評することは誰にだってできる。
なんで今できることを協力してあげようと思わないのか?

酷評するうちのある方は、その展示会の会場にすら
足を運んでいませんし。

場がもつパワー、場が生み出すパワーって、あると思う。
そこに集う人々の生み出すエネルギーや、思いも、あると思う。

場をつくることだけでも、大きなチャレンジだし、
十分すぎるほどに、エネルギーを動かしていることだと思う。

今私にできること。
評価することではなくて、できる協力を目一杯やりたい。
それが、お節介に過ぎなくても。
理屈として正しくなくても。

そんなことを考えていたら、いろんな偶然が起きました。

知り合いであるお料理屋さんのオーナーさんが
たまたままったく関係ない場で、
「今度、店の食器に陶器を買い出しに行こうと思ってるんだ」
となぜか私に語ってきたり。

そういえば、昔コラボしたいと言っていらしたガラス屋さんの社長さんに
連絡を取ってみたら、都合をつけてくださったり。

今たまたま一緒に仕事をしているおじさんコンサルさんが
アパレルや雑貨関連を特によく知っていて、
プランターを扱っている会社を紹介してくださったり。

小さい一歩一歩でも、一緒に何かを成すことができたことを、
その節目節目で、一緒に喜び合いたいなぁ、
もしくは経験を共有したうえで、次につながるような
振り返りを一緒にしたいなぁ、

そういうふうに、ひとつひとつの仕事に
大事に関わっていけたらいいなぁ、と思ったりしたのでした。

誰でもできるような、安易な批判をするのではなく、
出来ることを一緒にやる。
そういう関わり方でやっていきたいなぁ。


逃げるな!!

2018-04-26 15:28:48 | 仕事
あるお会社を支援していて、
そのお会社は、事業譲渡を完了させたのだけれど。
その後、オーナーのコンサルタントが業績のチェックをしに入り、
当初計画通りに事業が進まない、ということで、
私がいた会社にも文句をつけてきた。

その内容もわかりにくく、
調査内容に不備があったから計画通りに行かない、
(でも、指摘された部分は調査後に取引開始したので調査対象外)
従業員が会社に不満を持っていて辞めていき、計画通りではない、
管理状況も悪すぎて、実態がつかめない、
などなど。

何を補償してほしいでもなく、ただただ文句をつけてくる。
そして、お金を払ってほしいくらいだ、とはいうものの、
具体的には何も決めないし求めてこない。

よくわからないし、補償などの問題になれば、
会社対会社の話なので、私たち下々が関わる話でもない…
と思いながら、社長に任せていたのだけれど。。

どうやら、そのまま、うやむやにして放置してしまっていたらしい。

そして、たまたま別件でその話になったときに社長から
「あの会社のことはもういいんだよ…」みたいな発言が…

仮にも1年以上支援させていただいた会社なのに、
もういい、関わるな、みたいなのって、正直どうかと思う。
(しかも、会社としてもかなり稼がせてもらってもいるのに。)

この案件、私自身としても初のM&A案件でもあり、
支援途中に先輩コンサルタントの退職もあり、
さらに私の能力が不足する部分の応援者を頼んでも
自社から応援をなかなか入れてもらえなかったり…と、
少ない経験・知識でがむしゃらに頑張って、
なんとか譲渡完了までこぎつけた案件でもあった。

その後の話を聞いても、
中小企業なのにここまで重い管理をしなければならないのか、
みたいなことを求められていたり、
そのほかも様々なことが起きていて、

実際に、事業を残したいからといってM&Aが最適解だったのか?
他の支援の在り方はなかったのか?
と反省すべき点が多い案件だったというのも事実。

そういう意味で、
反省点などを真摯に振り返る、という姿勢はあっても、
うまくいかなかったからもういい、忘れろ、関わるな、
みたいなのはおかしいんじゃないか、とモヤモヤしているところ。

プロフェッショナルを標榜し、目指している人間として、
もしくはその職に就いている人間として、
どのような姿勢であるべきなのか、考えさせられる、そんな案件。

…未だ、答え出ず。

ではあるものの、そのお会社の若社長からは、
今もって連絡をすれば応えてもらえる関係が保てているので、
そういう意味においては、報われているというか、恵まれているというか…

そのご厚意に甘えず、ダメな部分は二度と繰り返さない覚悟で
真摯に次の仕事なりで恩返しをしていきたい、
(それくらいしかできないんじゃないか、)と思う今日この頃。



追放ってそういうことかも…

2018-04-25 00:21:21 | スピリチュアル
ちょっと不摂生をしたり、
なんとなく気に咎めるようなことをした日には、
リチュアルをしようという気が遠ざかってしまう。
これって、怠惰の延長というわけではなくて、
どうやら罪悪感…こんなちょい悪なことをしてしまう私が、
神聖ななにかとつながってしまっていいんだろうか?
というような思いが強いせいみたい。

そっか。こうやって、
神様の愛は無償に無尽蔵に注がれ続けているにもかかわらず
自分から殻をつくって壁をつくって、それを受け取ることを
避けてしまうということか。

なんとなくそんなことに思い至った。

そしていま、私は、なぜかわからないけれど、
もう一度、くそオヤジ(自分の父親)との対峙をしなければならなくなっている。

一度、ちゃんと話をしようと、実家に帰ったその当日に、
その本人が病気のせいで亡くなってしまい、
結局、ちゃんと話をしないまま、許すしかなくなってしまって、
どちらかというと諦めの気持ちで封印してしまっていた、
怒りみたいなものと、
いま改めて、向き合わざるを得なくなっている。
そういうタイミングとか、流れとかなんだろうなー、と思いつつも、
なんだか憂鬱な気分だし、いやでいやで仕方がない。
でもいやだと思うってことは、やらなきゃいけないことなんだろう。
そのまま流してしまえないんだろう。

父はなぜ、私のことをバカにし続けなければならなかったんだろう?
それも、自分とそっくりに生まれてきた身体的特徴をあげつらって。
そして、お金を貸しているにもかかわらず、なんで私のことを
クソ女、と貶して言い続けたりしたんだろう?
そして、子どもである私に向って、いやらしい発言をし続けたんだろう?

さらに私は、なんでそのことをあきらめて、受け続けてしまっていたんだろう?
反論するべきだったはずなのに。
もしくは、きちんと受け流して、心は動じないでいられればよかったはずなのに。

恐怖、があったからかもしれない。
大声をあげる人だった。ものにあたって壊す人だった。
親だったから、経済的な依存もあって、その人の気分を害したら、
生きていけなくなるんじゃないか、という不安もあったのかもしれない。

でもだからといって、言葉の暴力を甘んじて受け続ける理由にはならない、
という気もする。
そして、なんで親なのに…という忸怩たる思いも、ある。

もしくは、相手は自分の鏡である、というのであれば、
当時の無垢で無邪気なはずの子どもであった私の何が、
あの男にそんな発言をさせるに至っていたのだろうか?

あの人と私は、生まれる前にどのような契約をしてきているんだろう?
どういう契約があったから、こんな目に遭わなければいけなかったんだろう?
それ自体、あの人にとっても良いことだったのか?
あの人自体が意図したことなのか?

理由なんてどうでもいい、今この瞬間と未来さえ変えていければいい、
そう思っていたけれど、
今さらながら、このことにきちんと向き合わなければならない、
自分の男嫌い(たぶん潜在意識のレベルで嫌悪している)を
なんとかできる気がしない。

そんな気がしている。

エンソフィックレイキの性癖治療もやっているし、
キングソロモンヒーリングも受けているし、
その中でさんざん懺悔もしているし、
感情コードカッティングもしている、
そんな中で沸き起こってきている怒りであるならば、
これは怒っても当然の、むしろ正当な感じるべき怒りなんだろう、
そんな気もする。

とはいえ、ああ、やだなぁ。。という思いもなくはない。。。

経済活動と今後。

2018-04-24 16:30:47 | スピリチュアル
スピリチュアルというカテゴリなのかわからないけれど。

なんていうか、お金を稼ぐ、ということがかなり重要視され過ぎている気がする。
価値観が偏ってしまっている、というのか…

順番としては、

好きなこと・楽しいことを極める(やり続ける)

そこに共感してくれる人が現れる

結果としてお金につながる
(エネルギーだから、循環の当然の結果ともいえる)

ということなんだろうけれど、
なんていうか、みんな、まずお金を稼ぐことを先頭にもって来ているみたい。

一方の、ビジネスの世界をみると、
狭ーい枠(国とか、会社とか)の中で、
いかにうまくやるか、人を出し抜くか、取れるところからどれだけ搾取するか、
みたいな感じになっている気がする。。

とはいえ、私自身も、生きていくためにお金は必要よね、
これまで一生懸命働いてきたんだから、当然の権利よね、
できること提供しているんだから、もらうものもらうべきよね、

みたいなつまらないことに捉われ(囚われ)てしまっている部分は大きい。

なんていうのかなー、
今ある経済圏以外の経済的な価値観で働きたい。
今のこの経済圏・経済的な価値観から解放してくれる人がいたら、
その人と一緒に働いたり、生きていくことを考えてみたい。

そんなことをぼんやり思ったりする、今日この頃。

ちょっと自由な時間が増えて、
仕事もある程度、いろいろとお声掛けいただけるようになって、
いろんな人とも会ってみたりして、
いろんな場所にも行ってみたりして、
一通り、いろんな経験をできるもんなんだなー、と少ないながらも経験してみて、

ほんとうは自分はなにがしたいんだろう?

と迷子になってしまっている、今日この頃。(笑)

批評家

2018-04-24 16:28:39 | 仕事
世の中、批評家さんばっかりになっちゃったなー、
みんな、それで楽しいのかなー?

…という私自身が、批判的な感じになっちゃっていたので、
そういう人ばかりが目に付く(引き寄せちゃう)ということもあるのでしょう。

ちょっと反省。。