価値向上に向けて

仕事人生のグチをこぼす人生から、
形而上学を学び始め、豊かで喜びに満ちた人生への軌跡

気付いた時に即メモる!

2009-12-31 16:59:52 | 仕事
気付いた時に、即メモしないと忘れちゃう。
ほんの2年前まで、そんなことないと信じていたのに。
やっぱり忘れてしまう。
トコトン、考えることができたものについては忘れないんだろうけど、
それって基本的に感情にまつわることのような気がする。
情報に関するものって、やっぱり忘れちゃう。

気をつけないと。。。

さめない何か、変わらない何か

2009-12-30 10:43:37 | 生活・趣味
今の世の中で、さめないもの、変わらないものを求めるのは
困難なことなのだろうか?

こんな世の中だからこそ、さめないもの、変わらないものこそ、
実は価値があったりするのではないか?

漠然と考えつつ、探して、悩んで、もがいてみる。
(じつは、これすら、変化ではあるのだろうけれども。)

限定的?

2009-12-25 16:41:03 | 生活・趣味
人と人との関係は、限定的なものなのかな?
仕事の関係上、必要だから付き合う。
子供の育成上、必要だから付き合う。
自分たちの生活圏に含まれるから、仕方なく付き合う。

特に、仕事に関しては、
昔はともかく、人材の流動性が高くなっている現在は、
時間軸上、とてもとても、限定的なものになりつつあるように思う。

前職を辞めた時がそうだった。
仕事という色めがねを通してしか、成立っていなかった関係に、
少なからず失望した。

今回の、今ある関係についても、実際はそうなのかもしれない。
仕事というフィルターを通して見ている世界にすぎなくて、
その、仕事というフィルターがなくなったとたんに、
魔法が解けたかのように、きれいさっぱりなくなってしまうんじゃないだろうか。

そんな中で生きている私たちは、いったい何を信じたらいいんだろう。
魔法が解けてしまわない関係って、成立ち得るのだろうか???



一勝一敗?

2009-12-25 07:19:43 | 仕事
お客様先の仕事納めの帰りに、後輩から告白された。
・・って別に愛の告白ではなくって(笑)

これまでかけた迷惑について、自分はやっと気付くことができたのだ、
わたしからは、仕事以前の、人と向き合うことをいろいろと教えてもらった。
仕事に向き合う姿勢としても共感できるところが多いし、
自分が今できることを一生懸命やるしかお返しはできないけれど、
とにかく頑張ります、

ということだった。

言葉の端々には、「一言多いよ、、、」みたいな発言はあるものの、
やっと、さ、気付いてくれたんだなぁ、と嬉しく思った。

長い闘いだったからねぇ。
言ったことはやってくれないわ、
3回も4回も5回も同じことを聞いても理解しないわ、
お客さんの顔を覚えてなくてまったく違う人に確認に行ったり、
何かと言うと言い訳ばっかりだし、
空気も読めないし・・・

ちょっとでも、年末年始かけて、変化が見られると嬉しいな。

まぁ、人がそんなに簡単に変わるなんて、思っていないけれども、
この子にとっては、誰かに面と向かって、「認めてます」と言うことは
大きな壁だったろうと、思うから、ちょっと信じてあげたい。

そこまで頑張った自分も、信じてみたい。
(友人にも、
 「そこまで面倒を見てあげて、あなたほど良い先輩は他にいないでしょ」
 と言ってもらえたし。
 接し方の大筋は、間違っていなかったのだ、と信じてもいいのかな・・・?)


人との関係

2009-12-25 07:10:21 | 生活・趣味
理想の関係って、どんなのだろう?

ココロもカラダも全部、ひっくるめて認めてもらえるような関係?
そういうのって、世の中にどれくらい存在しているのだろう?
人は、みんなちがうから価値がある。
多様性が生まれて、世の中が豊かになる。
だけれども多様性がある、十人十色であるということは、
必ずしもぴったりはまる関係が生まれない、ということにつながると思う。
それでも、相手を認め合うことはできるのだろうけれど。

だけれども、たとえばパートナーとなる人のことを考えると、
何かしらの主従関係を作りたがってしまうのが人間なのではないか?
一緒に暮らす人について、何かと支配・コントロールをしようとする。
していないつもりでも、「ああ、この辺、こうしてくれたら・・・」
って絶対あると思う。

それが、あんまり表立って見えないのが、友人関係なのかな?
そこでならば、ココロもカラダも全部受け入れられる関係が築けるのか?
・・・たぶん、ちがうんだろう。
ココロ+行動ってところまでの関係がベストで、
カラダが出てきたところで、何かを失う気がする。
途端に、不自由になるような気がする。
それはもしかしたら、他方については、自由(わがままできる)につながるのだろうけれど。
人と人との関係の中では、誰かの自由は、誰かの不自由の上に成り立つのだろう。

全部を一つの関係の中で成り立たせようと思うのが、
そもそもの間違いなのではないか、と30代の私は思ったりする。
(これが、40、50と美しく年齢を重ねていくと、変わるのかもしれないが。)


落ち着いてきた。。

2009-12-25 07:02:19 | 生活・趣味
ちょっと大きな失態を犯してしまったのだけれども、
やっと気持ちの整理がついてきた。

この間、古い友人に助言を求めたのだけれども、
やっぱり的確だったわ。
そのあたり、彼のシミュレーション能力を高く買っていたりする。
男の人の気持ちに関することであれば、何かしらの答えを
ちゃんと準備してくれている。
(そうそう、そういう準備って、やはり日頃、もしくは何かイベントが
 起きた時に、しっかり考えている、ってことなんだと、改めて実感。)

ちょっと混乱していたけれど、
自分の気持ちにちゃんと素直になるべきだな、、
清濁併せ飲む、とか美しい言葉もあるのだけれども、
その辺、グッと飲み込んじゃって、しゃんとするのも大事だな。
気付かないふりをするのも、大人、、ってことで。

これ以上、大事なものをなくしちゃ、適わんもんねぇ。
(・・ちょっとまだ整理がついていないような文章を残しつつ、、
 自分に対する戒めを。

 ⇒ 状況やら情やらに流されちゃ、イカンよ!!
   あんたの一番弱いところだよ!!)



ものづくりのよろこび。

2009-12-24 22:57:54 | 仕事
仲良くなったお客様(というか、単純に異業種交流先の方)から、
その会社の製品をお歳暮?クリスマスプレゼントにいただいた。

せっかくなので、いろいろとお世話になった自社の関係者に配って歩く。

感動的な反応&言葉を返して下さったのが、受付のお姉様。

「わたし、こういうふうに、知った方の作った製品をいただくの、
 初めてなんです!嬉しいですよね、こういうの。」

思いがけず、昔の、私が携わった開発品をみんなで買って、
みんなで喜び合った経験を思い出した。
あれも、年末だったなぁ。
あの時も、すべての関係者(認識できる範囲)に配って歩いて、
「自分が作っている製品が、ちゃんとした最終製品になるの、
 初めてです。こういうのって、目に見えるし、嬉しいですね!」
と言ってくださった、裁断機担当の女性のことを思い出した。

なんか、いいなぁ。
こういうふうに、ある製品が、その関係者すべてを幸せな気持ちにする瞬間って。

本当に思いがけず、クリスマスプレゼントをもらっちゃった気分でした。
サンタさんって、目に見えないけれど、ちゃんといたりするのかも。
そして、子供にとってだけのものでもなくって、
頑張った大人には、ちゃんと恵みを与えてくださるのかも。
なんて、ね。


会社とは理不尽なもの。

2009-12-24 22:51:29 | 仕事
友人と飲んでいて、
「あなたは、自分の生活がかかっていても、同じ行動がとれるのか?」
ということを問われた。
これは責めている、とかそういった類ではなく、
単純な疑問として、問われたものだと思う。

私は、いつも、一般的に言われる”成果”に向かって仕事をしていないらしい。
お客様のためを第一信条として働いているのだけれども、
それは、ほとんどの場合いつも、自分の会社のためであったり、
自分の会社で認められることにはつながっていないのだと。
それでもあなたは、それを続けることができると言えるのか、そう問われた。

なんで?
お客様が喜ぶことが、サービス業のサービス業たる所以ではないのか?
自社を向いた仕事をすることに、何の意味があるのだろうか?
それで、幸せになるのは、いったい誰?
自分だけ、もしくは現場を知らない上司だけが幸せになることに、
いったいどれくらいの意味があるのだろう?
無意味だと思う。
長い目でみれば、そんな無意味なことを続けようとする会社は淘汰されるだろう。

だけれども、当面の課題として、
やっぱり私は自分の会社内での評価は得られないのが現実だったりする。

ホント、おかしいよねぇ、会社とか、世の中の仕組みとかって。


ニーズに気付く瞬間。

2009-12-24 22:47:09 | 仕事
ニーズって、気付かせてもらって初めて気づくものだ、と。
痛い経験をした。
本当に、人は、そういうものがあるのだと、気付かないものだ、と。
誰かがそのニーズを作りだして(作りだす、というか、
持っているその本人は普通に持っているんだろうけれど。
それは、心情的なものであれ、技術的なものであれ、何であれ。)
それを相手に気付かせるような行動をとることで、始めて顕在化する。
受け手は、ニーズを作りだした相手の行動を通して、
初めてそのようなニーズがあったことに気付かされる。

気付いてしまうと、それが欲しくなる。
それまで、まったく気付かなかったにもかかわらず・・・。

オソロシイことだなぁ、、。


ネコの話。

2009-12-22 08:56:52 | その他
捨てネコにエサをあげるのは、残酷なことなのだ、
という話がある。

そのネコにとっては、その日一日だけの空腹をしのげるに過ぎず、
だけれども、一度エサをもらってしまったら、
翌日もエサがもらえることを期待してしまう。

もらえもしない、翌日のエサに期待を持たせることが、残酷なのだ、と。

---
ボランティアの話。
エゴなのではないか、と友人がいう。
自分の身を切ってまで、募金をしたりはしていない、
あくまで、できる範囲の募金しかしないのは、エゴなのではないか、と。

その答えは、たぶん、どこにもないのだろうけど、
それでも、何もしないよりはいいのではないか。
気付いている、ということは、力なのだ、と思う。

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「本当に覚悟ができている人間というのは、
 ひとりで死ねる覚悟ができている人なのだ、
 一緒に死んでくれる/代わりに死んでくれる仲間を
 決して求めたりはしない」
というセリフをマンガで読んだ。

関連があるようで、ない話、ないようで、ある話、かな。

できることを、身の丈でやる、それしか、できないんだよ、人間は。
そういうこと、かな?