価値向上に向けて

仕事人生のグチをこぼす人生から、
形而上学を学び始め、豊かで喜びに満ちた人生への軌跡

アサーティブの学び

2018-09-10 17:29:31 | スピリチュアル
アサーティブネスについて学ぶ。
正社員だった仕事を辞めることになって、
特になんの資格も持っていなくて、
この先何ができるかなー、と焦っていた時に、
資格が取れる、と始めた学び。

学び進める中で、資格取得以前に、
自分自身が解決しなければならない課題満載だ、と気づいた。

今(当時)の自分、
仕事漬けの日々で、それでも目の前の作業を必死でこなしていたら
何かをやってる感はものすごくあって、
でもある時気づくと、それ以外何もないどころか、
仕事で役立っている、という周りからの評価を得るためだけに
働いていたんじゃないか、
なのに、役立っても役立っても、誰も正当に評価などしてくれない、
という現実が突きつけられている。
それどころか、役立つとわかった途端に、
あれもやってくれ、これもやってくれ、と
自分が楽をしたい人たちが群がってきている始末。

自分は何のために働いているのか、
そもそも何のために生きているのか、
誰かに認めてもらうために頑張っているのか?
その誰かってなに?
認めてくれる人なんて本当にいるの?
認めてもらえたとして、この今の現状が、私にとって幸せなの?

仕事しかしていない
朝の4時には起きて支度して、6時の始発電車に乗る。
地方にあるお客様を訪問して、みっちり8時間仕事をして、
帰り着いたら日が変わっている。
そこから食事して、お風呂に入って…翌日の準備をして…
気づいたらもう2時を過ぎている。
また翌朝は4時に起きなければ間に合わない…
電車の中でも仕事しないと、仕事自体も間に合わない…

誰か助けて、と助けを求めたら、
「お前ならできるはずだ」
「社員なのに誰かがやらなければならない仕事をやらないのはおかしい」
「辞めたいなら勝手に辞めろ、辞めたいと言いふらして会社の評判を落とすな」
と。
誰も状況を理解してくれないし、助けてもくれない。
私は何度も、あなた方を助けたのに。
そんな善きことは、何ひとつ私に返ってこない。

これが、私が望んだ人生だったのか?
人生ってつまらない。
毎日、誰かのために、働く以外に何もないなんて。

なんでこんなことになったんだろう?
誰かを責めることにも何にも意味はなくて、
仮に誰かを責めたところで、何ひとつ解決しない。
解決しないどころか、さらなる泥沼に引き込まれていく。




そして、気づいたら、正社員の仕事を辞めてました。
今は、時間的に余裕が得られて、
そして、これまでコンサルタントという仕事をしていたこともあり、
お客様は途切れず、生計を立てられる程度には仕事・稼ぎを得られています。
年1回の母との海外旅行にも行けました。
時間に余裕ができて、心にも余裕ができたので、友だちが増えました。
月に3回くらいは、誰かと一緒に食事をしたり遊んだりできています。
趣味に、ある程度のお金を遣うこともできています。

学びの途中は、苦しかった。
現実として見せつけられること、その裏側に自分の課題が潜んでいること、
そこに気づいて、変えていかないと現実も変わらないこと、
それらを突き付けられる、そんな学びでした。
これらの課題をこれまでは知らなかったツールや方法に助けられ、
瞑想の誘導(アファメーション)は何度となく聴き、
課題も出来ることから取り組んで、
やっとやっと、ここまできた。
まだまだ解決しなければならない課題はありそうだけれども、
それでも半年前、1年前に比べたら、格段の進歩だと思う。

人生が、意味あるものになって良かった。
人生の意味を取り戻すことができて良かった。

とりあえず、そんなところ。

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