価値向上に向けて

仕事人生のグチをこぼす人生から、
形而上学を学び始め、豊かで喜びに満ちた人生への軌跡

責任放棄…

2011-02-23 19:01:07 | 仕事
入社して間もない後輩を
「彼・彼女は優秀だ」と褒めそやすのは、
育成責任を放棄しているからだ、と思う。

「優秀だ」と、とりあえず言っておけば、
彼・彼女に自律的な行動をさせておいて、
その結果についても責任を負いません
(自分は責任を負えるほど、彼・彼女ほど
 優秀ではありません)
と言い訳をしているようなものだ。

折しも、昨晩、
行動科学マネジメントを用いたチームマネジメントの
講習会に行ってきたところ。
その中で、
「マネージャーとは、後輩の人生を
 少なくともその時だけ預かっている、
 ということを忘れないで欲しい」
といったコメントが出てきた。

ほめて、責任放棄して、勝手にやらせて、
回らなくなっても自分で自分の仕事だけをやる、
ってのが、いちばん楽で簡単だけど、ね。


ロハス・メディカルという雑誌

2011-02-21 22:12:59 | 生活・趣味
彼氏のお母さんの病院の付き添いで、
1ヶ月に一度総合病院に通っているのだけれど。
そこで何気なく手に取ったフリーペーパーがかなりおもしろい。

もちろん、病院と言えば長い待ち時間(笑)。
その中で、いかに周りの人々に迷惑をかけずに過ごすか、
といえば、雑誌やインフォメーションペーパーの類は欠かせない。

ここで出会った「ロハス・メディカル」という雑誌、
専門的な内容を分かりやすく噛み砕いて伝えている良い雑誌です。

私が読み始めたのは、昨年末の10月号くらいからなんだけれど、
創刊はずっと古く、2005年にさかのぼるらしい。

一部の特集記事については、HP上でもアーカイブが読めるようになっているけれども、
ロハス・メディカル
おもしろいのはその他の記事だったりもする。

そのなかで、最新号66号からの覚書。
---
「メディアの情報 どこまで正しい?」
ある院内感染の新聞報道を追跡調査したところ、
事件発生初日から3日間程度で、その事件に関する報道の約半分の量(文字数)が
報道され、時間とともに情報量はガクンと減る。
報道された個々の情報にはウソはないものの、
情報の欠落(わかったことから時系列に報道されるため)や
枝葉ばかりの情報が報道されるため、初見と真実には隔たりがあるものの、
興味を持って読まれるのも初期段階の記事であるため、
真実が判明し報道されたところまで読まれず誤解したままになってしまう。

また、メディアを通じては、新しい情報(新技術が発見された!等)や、
目立つ情報が率先して報道される傾向にあるため、
誰もが、最新の治療を、どこででも平等に受けられて当たり前だ、という
認識が広まり、
そうであるにもかかわらずそのような新しい知識を学んで適用しないのは
怠慢だ、努力不足だ、と、誰か(医療従事者)を責めるような風潮が
生まれやすい。
一方で医療従事者側としてみれば、
医療=自然の摂理の限界の範囲内でできうる限りの策を尽くすものであり、
限界があるということを知っている。

そんななかで、新鮮な(=実用的には確立されていない)情報に踊らされ、
それが提供できないことで攻め立てられたのではたまらない。

といったような内容でした。

自然の摂理の範囲内でできうる限りのことをやっているにもかかわらず、
みたいなことって、医療に関わらずあるような気がする。

情報処理が得意な(情報処理に特化した)構造をもったコンピュータが
頑張りに頑張っても、まだ世の中すべての情報を整理できてもいないのに、
情報処理に特化した構造ではない脳をもった人間が
すべての情報を知っていて、その場その場に適した提供ができる、
と考えるのはそもそも間違っているハズなのに、
なぜにこんなにも間違いや勉強不足(情報をもっていないこと)が
許されないような空気が漂っているのだろう?

新しいこと、刺激的なこと、自分にとって都合がよいことだけを
追い求めるのではなくて、
もっと本質的に大事なことをしっかりと見つめられるように
なるべきなんじゃないかなぁ、と思ったりする。




組織は○○による

2011-02-21 22:12:23 | 仕事
組織の大きさは、
コミュニケーションによる。

これ、今日、先輩に教えてもらった言葉。
経営組織学の先生の言葉らしい。

管理がうまくいかないからといって、
管理する組織の単位を小さくしようと考えてはならない。

コミュニケーションの質を向上させることを考えるべきである。

当たり前だけれども、
奥深い言葉、です。

仕事を語る

2011-02-18 19:08:50 | 仕事
入社3年目の後輩に
「この仕事って…99%の苦しさと1%の楽しみしかないんですかねぇ?」
なんて相談を受けた。

この業界?この会社特有なのか、
「この仕事って…」という言葉をよく聞くけれども、
じゃあ、他の仕事の何を知っていて、比較して「この仕事」と言っているのか?

どの仕事も(仕事に限らず)、
同じく慣れるまでは厳しいに決まっている。

それをたった丸2年ぽっち経験したところで、
なにをもって「この仕事は…」なんて語れると思うのだろうか?

その言葉に、カチンときてしまった私は、
「どの仕事でもいっしょだよ~」と
ちょっといじわるく、答えてみたりしたのでした。

…その子が、丸2年の経験であろうが、
必至でこの仕事自体を味わいつくして、
なおその質問が出ているのだ、という雰囲気でもあれば、
答え方はちがったのかもしれない、とも思う。

しかし、甘えてる甘えてると先輩に言われる私よりも
断然甘えまくっている態度を晒している子に、
なにを言えば伝わるんだろうか、、と思わなくもない。



作業、作業ってさ…

2011-02-17 00:25:36 | 仕事
バックオフィスの、事務的な仕事ほど、
時間(工数)がかかるし、
結果的に受け手(お客様)の目に触れるものになる。

それなのに、軽視されがちであるのはなぜなんだろう?
結局は、目に触れる、この部分でお客様からの評価は決まるにもかかわらず。

「事務ミス」をナメるな!
なんて本が出版されるくらい、事務業務は重要視されるものであるにもかかわらず、
そして、製造業における品質チェック(検査業務)も、
出荷前の判断としてかなり重要な位置を占めるにも関わらず、

なぜか、世の中の評価は
「悲しいけれど(男よりも)女の方が向いてるんだよね…」
みたいな、男女差別も甚だしい評価なのが気になる。

このあたりを「作業」「非価値業務」と位置付けている
旧来の分類こそ、もう古いんじゃないの?と問いたい。

みんな、お客様価値を勘違いしているんじゃないか、そんな気がする。
そもそも古い価値体系にどっぷり浸かり過ぎていて、
本当に大事なものが見えていないんじゃないか、とすら思う。

分析的、論理的な価値を振りかざす前に、
スナオに世の中の消費者が本当に求めているものを観察する、
真摯な姿勢こそを、問いただすべきなんじゃないか、ねぇ?


ここ最近の気掛かり。

2011-02-17 00:11:13 | 仕事
ここ最近、気になっていることがある。

私が製造メーカーにいたころ、
フィッシュボーン(要因関連図)とか、
数少ない武器を頼りに、
品質不具合とか、工程不良なんかの分析に
躍起なって取組んでいた。
品質保証部の担当者が頼りなければ、
開発部門にいようが、生産技術部門にいようが、
お客さまのクレーム解決に向けて、
あるいは、現場担当者の悩み(問題解決)のために、
それこそ、数少ない武器を頼りに、できる限りのことを考え尽くしていた…。

それが、いざコンサルタントになって、
大手企業、最先端技術を扱う企業の方々のお世話になると、
彼らはどの部門に所属していようと、そんなこと自らしないらしい。
そして、それら企業にお世話になったコンサルタントが、
さも宝を見つけたかのごとく、要因関連図なんかを書いて提案なんかしている。

この構造って、おかしくないか?

コンサルタントは、企業がやる気を持てない部分の下請けを嬉々として行い、
企業に所属する人間は、雲の上から下々として外部の人間に汗をかかせる。

なんか、ちがうよね?
自分の会社が本当に好きで、
自分の会社がつくっている製品が本当に好きで、
自分たちの製品がお客様に手に取ってもらえることを本当に喜びとするのならば、
品質不具合に真摯に向き合うことも自分たちの使命だと感じるはずだと思う。

それを手間のかかる付帯業務だと考える企業の人間なんて最低だし、
そんな企業に入り込んで、さもいいことを提案していると考えている
コンサルタントも最低だと感じる。

仕事って、ホントなんだろうね?
会社は大きくなり過ぎて、仕事のための仕事を作り過ぎていないか?
そして、そこに乗っかり・依存して生きている人間を作り過ぎていないか?
真摯に考えてみてもいいんじゃないかと思う。

もっと、それぞれの能力を活かせることってあるはずだし、
もっと、お客様のことを考えた何かってあるはずだと思う。

保身に走り過ぎている、すべての人たちが、つまらないなぁ、と思ったりする。

主張するばかりが本当に大事なのか?

2011-02-08 22:40:19 | 仕事
自己主張することが大事、なのかもしれないけれども、
自己主張の大事さを唱え始めたあたりから、
顧客視点が欠落し始めるのではないか?と思う。

過去の、いろいろな資料からトレンドを見出そうという仕事に
取組んでいるのだけれど、
ある時点から、丁寧なデータ分析、現状把握といったものが
すっぽりと抜け落ち、
逆に自分たちの主張のみが前面に押し出されるようになってきている。

だけれども、この報告を購読する(あるいはただ読む)お客様は、
本当にそのような主張ばかりを求めるだろうか?

現状が知りたいからこそ、実態調査報告書なるものを読もうとするのではないか。
そこには、解釈され、ある意図(自分たちの商品を売ろうと主張する)が
色濃く反映される前の、生の声・実態こそを知りたい、という
お客様の方が多いのではないだろうか。

その実態を十分に把握(自分の考えとして理解)した上でこそ、
ではそれを解決していくために何が必要なのか、という
誰かからの意見を求める気持ちが初めて出て来るのではないだろうか。

主張、主張って、
そこにばかり捉われて、もっと大事なことを、忘れてしまっていないか、
そこのところをもっと真摯に考えて対応していくべきなのではないかと思う。