この前の「最後の授業」の話を思い起こしました。日本には―いや、私にはという方が正しいかもしれない―「民主主義幻想」のようなものがあるような気がしました。自分では容易に気付けないけれども、善意の人々の恐ろしさ、みたいなものは潜んでいるのかもしれません。
琥珀色の戯言 - 滝山コミューン1974
この中で触れられている『滝山コミューン』という本の書評に呉智英さんが述べた言葉が深く心に突き刺さってきた。
『政治史についての洞察力を欠いたまま民衆権力のコンミューンという扇動的言葉に憧れた善意の人たちが作り出した教育の牢獄の記録である。』
それから、こちらの記事でも印象的な言葉が紹介されていた。
【海難記】 Wrecked on the Sea - 2007-09-09p1
『だから「共和国」では、「(市民)社会」より「国家」が優先される。そして「国家」は「ライシテ(非宗教性)」を厳格に守った上で、文化的価値を独占する。したがってドゥブレによれば、共和国にとって何より重要なのは「学校」と「哲学」であるということになる。』
フランス人を甘く見ていたよ(笑)。学校と哲学。そうか、そうなのか。
「フランス語を話せ」という強硬な主義主張みたいなものも近い考え方かな、と思った。教育にも哲学にも、フランス語という基盤がなければダメですもんね。
ドゥブレの『共和制においては、社会は学校に似ていなければならない。』とは、これまた善意の人たちの恐るべき理想主義といいますか、ナショナリスティックとか国家が第一みたいな傾向であるように思えます。共和国が民主主義の基本などではないのだ、ということを改めて感じました。
ここ最近、何故かフランスネタが多くなっておりますが、ただの偶然です。第二外国語はドイツ語でしたし(これも全然ダメダメだったけど、笑)。
<ちょっと寄り道:
語学は基本的にセンスが大事だと思う。自分は言語能力がほぼダメ。英語もダメ、ドイツ語も、フランス語も、勿論のことダメ。よく数国語もできる人がいるんだけど(Nagarazokuさんとか…)、本当に天才なんぢゃないか、と尊敬の眼差しですよ。自分の場合は、中学校の時のトラウマか何かなのかもしれない(笑、責任転嫁してみた)。あの英語とかの文字の羅列を見ると、ドイツ語でも何でも同じようなものなんだけど、何だかムズムズするというか目を閉じたくなる。電話帳を見てるのと似てるかも。なので、語学は大嫌いだった。英語が嫌いなことを「日本人なんだから日本語でいいんだよ」と理由を付けて逃げてしまい、汽車の中でモルモン教の青年なんかに会うと、日本に来てるんだから日本語で話せ、みたいに思いつつも、英語で話しかけられると赤面して言葉に詰まるだけだった。ああいう記憶が語学を嫌いにしたんだ(笑、冗談ですからね)。いずれにせよ、外国語は超苦手。>
私が小学生頃には、そんなコミューンみたいな存在は知らなかった。時期的にはきっと同じなんだけど(72~78年頃)。児童会とか生徒会とか、そんなものはあった。でも、滝山コミューンみたいな活動はなかった。全生研という存在も、いま初めて知りました。当時クラスに班はあったし、生活目標みたいなものとか班ごとに決めさせられたりしたが、そんなに厳しい制度は存在していなかった。
ああ、待てよ。ハンカチ・ちり紙の持ち物点検みたいなものはあった。当時、ポケット・ティッシュなるものは存在せず(箱ティッシュもなかった)、ちり紙を買って4つ折にして持って行っていた。その頃、「便所のちり紙」という白くない紙質の安物があって、蕎麦みたいな色合いだったような気がするが、それをランドセルに入れて持っていたら笑われてバカにされた(笑)。だって、永久に使う場面なんてないのに、ただ持ち物検査の為だけにランドセルの中に畳んで入れておくだけなんだし。でも、それ以後、恥ずかしかったので「白いちり紙」を入れておくことにしたのだった。
<ちょっと寄り道:
ちり紙は1000枚とか紐で縛って売られていて(古新聞を出す時みたいな紙束って感じ)、一番上には何故か「亀」や「鶴」とか「梅の花」なんかが描かれた少し厚手の紙が置かれていたものだった。ちり紙ブランドを消費者に覚えてもらう為に、ああいう絵にしてあったのであろう、きっと。現代ではティッシュをタダで配ってくれて、まことに有り難いことですけれども、当時にはちり紙さえも「高級品」という区分みたいなものがあったのです。>
こうした点検などがあっても、点数化したり懲罰を与えられたりということはなかったように思う。私の学校では児童会とか生徒会といった呼称であったが、別な地域では何故か「書記局」という呼び名であることを知り、驚いた。子どもの活動なのに、「書記局」という呼称の意味がまるで判らないのではないかと思う。しかもそれが未だに続いているというのも、アレだな、と。共産主義体制じゃないんだから、とは思う。
因みに、私の生活態度は悪く、いつもゲンコツなんかを頂戴していたのだった(笑)。忘れ物とか、廊下を走るとか、教室で丸めた紙を箒で打つのをやっていたとか、何ということはなしに注意されていたと思う。けれど、学校は楽しくて毎朝一番乗りを目指していたのだった(笑)。目的があったからだ。とりあえず朝から遊ぶ為だけに友だちと待ち合わせたりして早く行っていた(大体7時半くらいまでに着く)。軍人将棋やトランプなどを朝にやっていたのだ。先生に見つかれば怒られることになったかもしれないが、一応大丈夫だったような気がする。ひたすら遊べるということだけを理由にして、喜び勇んで通っていた。休み時間には、体育館の天井から下がっていたロープのてっぺんまでいかに早く登れるか競争したり、「手つなぎ鬼」で最後の一人になるま逃げ切るとか、軟球で野球をしたりとか、高いところから飛び降りる勇気を示すとか、グラウンドの遊具の垂直棒をいかに早く登るかとか、鉄棒で遠くまで飛ぶ遊びをしたりとか、落とし穴を掘ったりとか(笑)、色々とやっていた。
中学の時には「教科書を忘れると正座」とか、班の連帯責任とかで「一人忘れ物をすると全員正座」とか、しまいには「学級全員正座」ということがあったが、あれはちょっとオカシイと思った。体罰は勿論アリアリで、ビンタを食らっていた男子生徒もいたな。あれは行き過ぎではないかと思ってたけど。当時は、それでも仕方がないのだと思っていた。
ああ、そういえば小学校の時に学級会はあったよ。議題といっても大したものはなかったと思うけど、でも、何か特定の問題について話すことはあったかもしれない。そういう時には、優等生ぶる女子とかに「○○君は~をして騒いだりしています」みたいに言うヤツがいて、心の中では「チッ」と思っていたかも(笑)。告げ口してんじゃねーよ、とか。まあ、私の場合にはどの道悪ガキであったことは明白だったので、大した痛痒を感じたりはしなかったと思う。
あと、「~するのは止めて下さい」みたいな決めセリフとかもあったかも。小学生男子だと女子には口では勝てないので、大抵は凹まされる。大人でもそうかもしれんけど(笑)。これって、ネットの「匿名でコメントを書くのは止めてください」みたいなのと、あまり変わらないかもしれんね。
学級会で、ある人だけ徹底的に攻撃されるというのはなかったと思うけど、係の人を決める時にワザと「○○さんがいいと思います」みたいな出来レースを仕組む連中とかはいたかもしれない。確か私もそれに加担したこともあったような気がする。「イヤだよ~」とか本人が言っていても、「ハイ、決まり」みたいに全員が押し付けるんだよね。よく考えると、酷い話ではあるな。特に、男女各1名選出とかになると、そういうわざとらしさみたいな意志が働いていたのは感じたことがあった。当てられた人は可哀想とは思ったが、だからといって、私が何かをしようとは思っていなかった。結局、多数派に加担してしまうのだ。
それにしても、コミューンは恐ろしい。
琥珀色の戯言 - 滝山コミューン1974
この中で触れられている『滝山コミューン』という本の書評に呉智英さんが述べた言葉が深く心に突き刺さってきた。
『政治史についての洞察力を欠いたまま民衆権力のコンミューンという扇動的言葉に憧れた善意の人たちが作り出した教育の牢獄の記録である。』
それから、こちらの記事でも印象的な言葉が紹介されていた。
【海難記】 Wrecked on the Sea - 2007-09-09p1
『だから「共和国」では、「(市民)社会」より「国家」が優先される。そして「国家」は「ライシテ(非宗教性)」を厳格に守った上で、文化的価値を独占する。したがってドゥブレによれば、共和国にとって何より重要なのは「学校」と「哲学」であるということになる。』
フランス人を甘く見ていたよ(笑)。学校と哲学。そうか、そうなのか。
「フランス語を話せ」という強硬な主義主張みたいなものも近い考え方かな、と思った。教育にも哲学にも、フランス語という基盤がなければダメですもんね。
ドゥブレの『共和制においては、社会は学校に似ていなければならない。』とは、これまた善意の人たちの恐るべき理想主義といいますか、ナショナリスティックとか国家が第一みたいな傾向であるように思えます。共和国が民主主義の基本などではないのだ、ということを改めて感じました。
ここ最近、何故かフランスネタが多くなっておりますが、ただの偶然です。第二外国語はドイツ語でしたし(これも全然ダメダメだったけど、笑)。
<ちょっと寄り道:
語学は基本的にセンスが大事だと思う。自分は言語能力がほぼダメ。英語もダメ、ドイツ語も、フランス語も、勿論のことダメ。よく数国語もできる人がいるんだけど(Nagarazokuさんとか…)、本当に天才なんぢゃないか、と尊敬の眼差しですよ。自分の場合は、中学校の時のトラウマか何かなのかもしれない(笑、責任転嫁してみた)。あの英語とかの文字の羅列を見ると、ドイツ語でも何でも同じようなものなんだけど、何だかムズムズするというか目を閉じたくなる。電話帳を見てるのと似てるかも。なので、語学は大嫌いだった。英語が嫌いなことを「日本人なんだから日本語でいいんだよ」と理由を付けて逃げてしまい、汽車の中でモルモン教の青年なんかに会うと、日本に来てるんだから日本語で話せ、みたいに思いつつも、英語で話しかけられると赤面して言葉に詰まるだけだった。ああいう記憶が語学を嫌いにしたんだ(笑、冗談ですからね)。いずれにせよ、外国語は超苦手。>
私が小学生頃には、そんなコミューンみたいな存在は知らなかった。時期的にはきっと同じなんだけど(72~78年頃)。児童会とか生徒会とか、そんなものはあった。でも、滝山コミューンみたいな活動はなかった。全生研という存在も、いま初めて知りました。当時クラスに班はあったし、生活目標みたいなものとか班ごとに決めさせられたりしたが、そんなに厳しい制度は存在していなかった。
ああ、待てよ。ハンカチ・ちり紙の持ち物点検みたいなものはあった。当時、ポケット・ティッシュなるものは存在せず(箱ティッシュもなかった)、ちり紙を買って4つ折にして持って行っていた。その頃、「便所のちり紙」という白くない紙質の安物があって、蕎麦みたいな色合いだったような気がするが、それをランドセルに入れて持っていたら笑われてバカにされた(笑)。だって、永久に使う場面なんてないのに、ただ持ち物検査の為だけにランドセルの中に畳んで入れておくだけなんだし。でも、それ以後、恥ずかしかったので「白いちり紙」を入れておくことにしたのだった。
<ちょっと寄り道:
ちり紙は1000枚とか紐で縛って売られていて(古新聞を出す時みたいな紙束って感じ)、一番上には何故か「亀」や「鶴」とか「梅の花」なんかが描かれた少し厚手の紙が置かれていたものだった。ちり紙ブランドを消費者に覚えてもらう為に、ああいう絵にしてあったのであろう、きっと。現代ではティッシュをタダで配ってくれて、まことに有り難いことですけれども、当時にはちり紙さえも「高級品」という区分みたいなものがあったのです。>
こうした点検などがあっても、点数化したり懲罰を与えられたりということはなかったように思う。私の学校では児童会とか生徒会といった呼称であったが、別な地域では何故か「書記局」という呼び名であることを知り、驚いた。子どもの活動なのに、「書記局」という呼称の意味がまるで判らないのではないかと思う。しかもそれが未だに続いているというのも、アレだな、と。共産主義体制じゃないんだから、とは思う。
因みに、私の生活態度は悪く、いつもゲンコツなんかを頂戴していたのだった(笑)。忘れ物とか、廊下を走るとか、教室で丸めた紙を箒で打つのをやっていたとか、何ということはなしに注意されていたと思う。けれど、学校は楽しくて毎朝一番乗りを目指していたのだった(笑)。目的があったからだ。とりあえず朝から遊ぶ為だけに友だちと待ち合わせたりして早く行っていた(大体7時半くらいまでに着く)。軍人将棋やトランプなどを朝にやっていたのだ。先生に見つかれば怒られることになったかもしれないが、一応大丈夫だったような気がする。ひたすら遊べるということだけを理由にして、喜び勇んで通っていた。休み時間には、体育館の天井から下がっていたロープのてっぺんまでいかに早く登れるか競争したり、「手つなぎ鬼」で最後の一人になるま逃げ切るとか、軟球で野球をしたりとか、高いところから飛び降りる勇気を示すとか、グラウンドの遊具の垂直棒をいかに早く登るかとか、鉄棒で遠くまで飛ぶ遊びをしたりとか、落とし穴を掘ったりとか(笑)、色々とやっていた。
中学の時には「教科書を忘れると正座」とか、班の連帯責任とかで「一人忘れ物をすると全員正座」とか、しまいには「学級全員正座」ということがあったが、あれはちょっとオカシイと思った。体罰は勿論アリアリで、ビンタを食らっていた男子生徒もいたな。あれは行き過ぎではないかと思ってたけど。当時は、それでも仕方がないのだと思っていた。
ああ、そういえば小学校の時に学級会はあったよ。議題といっても大したものはなかったと思うけど、でも、何か特定の問題について話すことはあったかもしれない。そういう時には、優等生ぶる女子とかに「○○君は~をして騒いだりしています」みたいに言うヤツがいて、心の中では「チッ」と思っていたかも(笑)。告げ口してんじゃねーよ、とか。まあ、私の場合にはどの道悪ガキであったことは明白だったので、大した痛痒を感じたりはしなかったと思う。
あと、「~するのは止めて下さい」みたいな決めセリフとかもあったかも。小学生男子だと女子には口では勝てないので、大抵は凹まされる。大人でもそうかもしれんけど(笑)。これって、ネットの「匿名でコメントを書くのは止めてください」みたいなのと、あまり変わらないかもしれんね。
学級会で、ある人だけ徹底的に攻撃されるというのはなかったと思うけど、係の人を決める時にワザと「○○さんがいいと思います」みたいな出来レースを仕組む連中とかはいたかもしれない。確か私もそれに加担したこともあったような気がする。「イヤだよ~」とか本人が言っていても、「ハイ、決まり」みたいに全員が押し付けるんだよね。よく考えると、酷い話ではあるな。特に、男女各1名選出とかになると、そういうわざとらしさみたいな意志が働いていたのは感じたことがあった。当てられた人は可哀想とは思ったが、だからといって、私が何かをしようとは思っていなかった。結局、多数派に加担してしまうのだ。
それにしても、コミューンは恐ろしい。
私は英語の教師ですが、日本で外国人を見かけても日本語で話すように心がけています。彼らは日本にいるんですから。
東京で外国人に外資銀行へ行く道を日本語で聞いたところ、日本語で答えてくれました。また、タバコを吸っている外人に苦手なのでやめてくれるよう日本語で頼んだらやめてくれたこともありました。
(話しかけて通じないようなら英語に切り替えますけれども。)
今から4半世紀前の話なので、…今とは全然違うと思うのですよ。英語で話したりすることに抵抗感のない方々は大勢おられると思いますので、私のような田舎っぺには恥ずかしい限りでして。
テレビなどで見る外人さんはかなり日本語が上手だったりしますので、感心させられます。