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哲学と「考える力」

2009年08月03日 17時55分03秒 | 教育問題
知らなかったのだけれど、色々な試みがあったりするようなのだ。

検索で見つけた>基礎学力を考える


一世風靡の「漢検」というのが、ちょっと気になるといえばなるけれども、考える力を劣化させるわけではないだろうから、この際はおいておく。結構、立派な方々がインタビュー記事に載っているんですよね。悪い取組みばかりでもなかった、ということなんでしょうか。あそこまで漢検の理事長父子が叩かれていたのって、一体何だったのかなと思わないでもない。大して興味もなかったんですがね。


こちらは、世田谷区の「日本語」授業ということで、哲学があるそうなのだ。

世田谷区 教科「日本語」の推進


へえー、いまどきはそういう授業なんだな、と。初めて知りました。
哲学だけじゃなく、例のネット界隈で物議を醸した「日本語が滅びる」云々の話題とも重なる部分はあるね。ただ、「考える力」とかいっても、現実には大人になったってダメなものはダメなんだろうし、哲学をやってるからとか哲学を知っているから考えられるかというと、それもまた難しそう。

むしろ、権威主義者たちの哲学を振りかざす傲慢さと揺るぎなき妄信こそが、人類の危機を生んできたか危機に対しては全くの無力であったか、という印象は拭えないかも。

単なる個人的感想なんだけど。

あまりに強力な信念やイデオロギー信奉に繋がってしまうか、現実問題に対して関心を払わないか対処する気のない「知識の海」に漂うことをよしとするような傾向であったのではなかろうか、とか。


色んな意味で、哲学は難しい、と思う。
不要とか、哲学では生きていけないとか、そういうことを言いたいわけではないのだけれど。私には全く向かないか、理解を超えているから、だろうなとは思う。




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