その頃の私はまだ何も知らないおぼこだった。いわゆるうぶだった。世間知らずだった。社会人になって一年と数ヶ月だった。世の中の風に揉まれた訳もなく2度目の会社で働いていた。
高校を出てすぐに勤めた会社は勤めてすぐに傾いていることがわかった。何しろ築地の仕入れ先に会社がお金を払えないらしいので、そのうち私の職場にも品物が入って来ないかも知れないと…。
私は会社を半年で辞めた。その後傾いた会社は1年数ヶ月でつぶれた。
私は職場の隣の店の店長にすすめられ、隣の会社の面接を受けると隣の会社に就職した。
最初に勤めたのは新宿の某デパ地下だった。職場の店長は毎日休憩時間以外にも休憩する人で、私はさんざんな目にあった。
私は職場の移動願いを出し、その後池袋の某デパ地下で働いた。
どこに行っても嫌な上司や嫌な同僚はいるもので、あちこちで働いたがさして良いことは無いに等しかった。
そんな時、ふと目にした後援会の会報の記事に「これだ!」と、思った。
すぐさま私は事務所のHに手紙を書いた。
さてこの続きは?
また気が向いたら書きますね!
高校を出てすぐに勤めた会社は勤めてすぐに傾いていることがわかった。何しろ築地の仕入れ先に会社がお金を払えないらしいので、そのうち私の職場にも品物が入って来ないかも知れないと…。
私は会社を半年で辞めた。その後傾いた会社は1年数ヶ月でつぶれた。
私は職場の隣の店の店長にすすめられ、隣の会社の面接を受けると隣の会社に就職した。
最初に勤めたのは新宿の某デパ地下だった。職場の店長は毎日休憩時間以外にも休憩する人で、私はさんざんな目にあった。
私は職場の移動願いを出し、その後池袋の某デパ地下で働いた。
どこに行っても嫌な上司や嫌な同僚はいるもので、あちこちで働いたがさして良いことは無いに等しかった。
そんな時、ふと目にした後援会の会報の記事に「これだ!」と、思った。
すぐさま私は事務所のHに手紙を書いた。
さてこの続きは?
また気が向いたら書きますね!