瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

他者と自分

2019-06-17 15:19:53 | 随想
他者を理解するってぇことは実のところ自分を理解するってぇことです。てか、自分を理解することでしかない。他者を理解することはできません。
他者を理解するってぇことは他者を自分の理解の範疇に囲い込むことですからね。それは同時に自分の理解の範疇を知ることでもあります。自分を理解するってぇことです。

自分の理解の範疇を超えた他者を理解するとき。その理解は他者を矮小化してしまう。逆に理解の範疇にあったときでも正確には理解し得ない。範疇の目一杯に理解してしまえば他者を巨大化してしまう。

ま、人はたいていの場合、他者を矮小化、過小評価するものですがね。自分を絶対的な立場に置いて他者を判断しますから。ジャッジする立場ってぇのは一段上にあるもんです。
時折、巨大化、過大評価することもありますが、それはそれで危険ですわなあ。他者を崇拝の対象にしてしまう。崇拝するってぇのは自分の判断を手放してしまうことですから。

ようするに他者を理解してるようで理解出来ていない。理解出来たような気になるだけ。結局、自分を理解するにとどまります。他者を理解しようとすることは自分を理解しようとすることでしかない。

他者のことは解らない。解ったような気がしているだけ。幻影を見ているだけ。その幻影を作り出したのは自分。
他者とは自分。

ならば他者を受け入れるほどに自分は豊かになっていく。




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