瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

読書メモ(五十嵐大介)

2024-05-19 07:04:58 | 本の話
五十嵐大介「SARU」(IKKI COMIX 2010年)

数年ぶりに読み返しました。
伝奇モノです。あらすじをWikipediaから拝借。

いにしえの時代より世界各地に現れ、災いをもたらしてきた存在。人々は"猿"のような姿をしたそれを、己の信ずる宗教や土着信仰にもとづき名前を与え、畏れてきた。「斉天大聖孫悟空」も、そうして与えられた名のひとつだった。そして現代。人類はまた姿を現したそれと対峙することになる。
「明朝北京・紫禁城」「ツングースカ大爆発」「フォークランド紛争」「ノストラダムス」「地球温暖化」「エクソシスト」「西遊記」など、世界各地の神話や伝承、事件を集めて新たな物語を構築。

とWikipediaに書いてありますが、ほかにも「失われた聖櫃」「黒魔術」「ロマの人種と文化の殲滅」などの要素もあったりと、なかなかに盛りだくさんでして。
ストーリーとしておもしろいんですけど、あたくしの関心をひくのは主人公の奈々の立ち位置ですね。主人公のくせに何にもしないんですよ、この女の子。主人公が主人公たるゆえんは物語の中心にいて活躍するからなのに、この子、ただ物語の推移を見てるだけ。ほかの登場人物からも「場違いな奴」と言われるくらいでね。蚊帳の外にいるような、ただそこにいるだけの人なんですよ、奈々は。だから主人公とは言いにくいところはありますが、メインキャラクターであるには違いない。そんな「場違いな奴」ではあるけど「いたほうがいい」とも言われます。

「“場違い”って事はそれまでとは別の可能性だ。混沌とした状況の時には、可能性はたくさん抱えといたほうがいいのさ。」

奈々はこういう立ち位置の人なんですね。だから何にもしなくていいんです。見届けるためにだけそこにいる人。可能性として控えているんですから。おもしろい存在ですねえ。
最後にはこんなふうにも言われます。

「大なり小なり関わっている全ての人間が、はるかな昔から生まれかわり役割を入れ替えながらも、繰り返される“猿”の物語に常に関わってきた。(中略)しかし、ナナは違うのだ。全く突然に現れた新規参入者…。お前たちにとってナナはたいした存在ではなかったろう。なんの役割も果たさなかった。しかし天上世界では大騒動だ。(中略)ナナの存在は閉じたまま循環していた世界を全く新しい展開に導く“兆し”なのだ。」

世界ってのは案外こういうものかもしれませんね。気にも留めないような存在、たいしたことない存在、そんな存在が世界を変える“兆し”なのかも。
誰にも気づかれないまま世界は新しい展開へと舵をきっているんでしょう。表面に見える明らかな変化なんて本質的な変化じゃない。みんなが気がつく以前に密やかに新展開は起きているんでしょうね。

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