瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

やるか、やらないか

2016-12-15 17:42:28 | 随想
巷には健康法なるものが氾濫している。

確かに人間には個体差があり健康法にも向き不向きはあろう。加えて研究者により見解も異なる。健康法が氾濫するのも無理はない。

とはいうものの、いかにも多い。多過ぎる。いくら個体差があるにしても見解が異なるにしても人の体がそこまで多様だとも思えない。にもかかわらず、その多様は許されている。なぜか。

みんな実践しないからである。あるいは実践しても続けないからである。

となると、どうなるか。
健康法の成果を得ることはない。成果が出なかった人は別の健康法に飛びつく。しかしまたしても実践しない。頭ではなるほどと感心する。だから少しは実践してみる。でも続けない。成果は出ない。別の健康法に飛びつく。
この繰り返し。無限ループである。
ゆえに多種多様な健康法が氾濫することが許される。というより歓迎される。要するに趣味である。健康になりたいからの健康法ではない。さまざまな健康法を試すのが楽しいだけである。

趣味なら趣味で差し支えはない。が、なかには健康になりたくて健康法をあれこれ試している人もあろう。しかし成果は出ない。なぜか。あれこれ試すからである。続けることをしない。続けないのは成果を早急に求めるからであろう。人の体は自然物である。自然のタイムスケールは人からすればゆっくりと進む。そんなに早く成果が出るわけがない。

成果が出るか出ないかは、やるかやらないか、続けるか続けないかだけである。簡単なことだ。継続は力なりというではないか。続けていれば成果は出るものである。

なにも健康法のことばかりではない。巷には何々法について様々な方法が氾濫している。みな実践していないのであろう。実践し続けないが成果は求めるから次から次へと試みる。
そこが人の愛嬌ともいえるが、愚かしいところでもある。
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