職業が“愛の行為”ってぇンなら支払われる給与は“感謝”でしょう。行為に対するお礼です。
お金を支払う時ってぇのは“感謝”ですね。物を買うにしろサービスを受けるにしろ、それを手にできることに対するお礼としてお金を支払ってる。
で、反対側。物を売るにしろサービスを提供するにしろ、そっち側の人たち。お金を頂戴する側。これもやっぱりお金を頂戴すれば「ありがとうございます」なわけで、それは“愛の行為”(職業、仕事)を受け取ってもらったことに対する“感謝”。
お金の受け渡しってぇのは“感謝”の表現なんですよ。“感謝”を媒介するのがお金ってぇわけです。だからお金は愛の一形態だといっていい。
ですが、経済活動のなか、お金が愛だなんて誰も思っちゃいない。経済システムのなかで動くお金はその本質を変貌させ別モノになっちゃってる。職業が“愛の行為”ではなくなっちゃってるようにね。
だから住みにくいんでしょうなあ、この世ってぇところは。「愛」の世界であるはずのところのモノが「お金」の世界になっちゃってる。この「お金」は本質を変貌させ別モノになっちゃった「お金」ね。
経済活動も本質としてはより豊かになるためだったり、より幸せになるためだったりの行為で要するに“愛の行為”なわけですが、現状、どうなんですかねえ。別モノと化した「お金」に振り回されてるだけのような気もします。
今とは別の経済システムを考えたほうがいいと思うんですがねえ。共産主義は上手くいかなかったし。何かないものかしら。