日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

日大豊山水泳部の歴史 2

2017-10-11 16:11:17 | トピックス

昭和30年代のプール開きの写真が残っている。

井上敦雄先生が中学生の頃の写真である。

後ろは護国寺だろうか。

この写真が撮影された昭和32(1957)年は高校3年生の石井宏氏がインターハイで400m・1500m自由形で優勝し、男子総合第4位に入賞した年である。

翌年、石井氏は第3回アジア大会に出場、1500m自由形で銀メダルを獲得した。

写真は昭和34年のプール開きを見ている先生方の様子である。

中央に座って、髭をたくわえている先生は第2代学園長の大塚健夫先生。

昭和35(1960)年、水泳部は関東高等学校選手権で初優勝を飾った。

そしてこの年、日本大学3年生であったOBの石井宏氏(昭和33年卒)はローマオリンピックの800mリレーに出場、見事銀メダルを獲得した。

オリンピック壮行式の写真である。

『二十年誌』に井上敦雄先生が石井氏の選手時代の様子を掲載している。

「石井氏の練習熱心、頑張り方、レース度胸、競い合った時の驚くほどの強さは、私の知っているかぎり石井氏以外見たことがありません」

800mリレーの第2泳者でオーストラリアの100m自由形金メダリストのデヴィットに追い上げられた石井氏は、最後の50mで逆転し第3泳者につないだ。

第3位のオーストラリアとのトータルタイムは0.6秒差で日本チームが銀メダルに輝いたのである。

銅メダルがやっとという日本チームを石井氏の頑張りによって銀メダル獲得へ導いたといえる快挙であった。

また『二十年誌』には、石井氏の日大豊山を卒業してから15年後の回顧録が掲載されている。

「オリンピック選手を夢みて来る日も来る日も水と取り組んでいた。いうなれば、「よく泳ぎ、よく泳ぐ」が信条であり全てであった。」

4月や5月の寒いシーズンでは木造校舎の外壁を壊してたき火として寒さをしのいでいたことや皆で相談して公費でソバを食べた話が掲載されているのも面白い。

昭和34(1959)年に水泳部コーチに就任したのがメキシコオリンピックで代表コーチを努めた井上隆氏である。

当時高校2年生だった井上敦雄先生の話によると井上隆氏は独特の雰囲気を持ち、当時の水泳部員はたちまちその魅力と指導力、説得力に心酔したそうである。

さらに井上脩氏が優秀な選手の勧誘をはじめたことにより、日大豊山水泳部はチームとしての成果があらわれはじめる。

第2回終わり

竹村知洋

 

 

 

 

 

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