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国家犯罪!731から福島まで!!

2014-07-08 11:52:07 | Weblog

秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6 


改めて、昭和天皇と皇族方の戦争責任を問う!!
戦前・戦中と天皇は現人神であった。(今もそうかもしれない?)
誰が天皇に逆らえるのか?
天皇は、先頭に立って、戦争を指導した!!

【朝香宮・・・南京大虐殺時に上海派遣軍司令官。(南京裁判では皇族ゆえ裁かれなかった。)
竹田宮・・・731部隊との関わりを持っていた。
三笠宮・・・陸軍登戸研究所や731部隊を視察していた。・・・・】
なぜ、日本では公開できない
日本鬼子(リーベンクイズ)

小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦し み、命がたくさん奪われた」




気になるニュース!!
「侵略の歴史を否定し、甚だしくは美化し、(北東アジア)域内の緊張をつくり出す一部に対し、中国人を含む全世界の平和を愛する人々は強く非難している」
(朝鮮日報日本語版) 盧溝橋事件77周年、日本批判強める中国


「日本は侵略の歴史を否定」盧溝橋事件記念式典で習近平主席が批判=菅官房長官は反論―米メディア

習主席、抗日戦争の現場へ…「侵略歴史の歪曲・美化は許さない」

中国首相が歴史問題で日本けん制、独首相との共同会見で―中国メディア

中国の研究者が指摘 安倍総理の歴史認識が妨げ


小出裕章先生:本当であれば倒産させなければいけない、その会社が黒字=この国のひどい政治の在り方


中国が日本人戦犯の供述書をネット公開、各国メディアの反応は?―中国メディア
日本軍は中国で何をしたのか?
 

戦犯1人目・鈴木啓久の供述書
1940年9月、安徽省宣白作戦において、屋内に退避した抗日軍人約50名への「毒瓦斯攻撃ヲ命ジ其ノ全員ヲ惨殺致シマシタ」。 

1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、「中国人民及朝鮮人民婦女二〇名ヲ誘拐シテ慰安婦トナサシメマシタ」。 
日本人戦犯1人目・鈴木啓久の供述書を公開、八路軍幹部を毒ガスで惨殺―中国

中国、日本人戦犯の供述書を公開=「人の道に外れ、文明に背いた暴挙を伝えている」―中国メディア


歴史の審判に耐えられるように生きようではありませんか!大きな世論で戦争推進勢力を包囲して!







子宮頸がんワクチン再開求め“マニュアル”作成
子宮頸がんワクチンの恐怖~いま何が起こっているのか

==== 国立感染症研究所・旧国立予防衛生研究所(予研)====
・・・・・・・・
福島関連では、被ばくとは直接関係ないこともあって、この研究所の御用活動は今のところ目立っていない。
しかし、マイコプラズマ肺炎や風疹など得体の知れない感染症が流行し始めており、今後は要注意である。
これは稼ぎ時とばかりに、製薬会社とグルになって、効果ゼロかつ危険な副作用をもつワクチンをでっち上げ、
強制接種すべしと圧力をかけるかも知れない。

ちなみに、ここの先生方は子宮頸がんワクチンの恐ろしい副作用を「気のせい」と判断している。
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより

子宮頸がん、ワクチン副作用176件

子宮頸がんワクチン、「積極的推奨の中止」を当面継続へ

厚労相、東大に再調査求める アドニのデータ改ざん疑惑





オークション会社が「北京1855部隊」の写真を出品=「731部隊を上回る罪業」―中国メディア
2014年6月1日、中国広播網は、戦時中に中国で細菌兵器の人体実験を行ったとされる日本軍の「北京1855部隊」の写真オークションに出品され、各地で巡回展が開催されていると伝えた。

(参考)
第2回 1855部隊と北京・抗日戦争紀念館より 


こんなにもあった細菌戦部隊より




日本政府はどうして反省しないの?・・話を聞いて黙り込んだ娘は、怒りと悔しさを感じていた―中国ネット


戦争の傷跡
中国が日本人戦犯の供述書をネット公開、1日1人ずつ45人―中国紙

中国人民抗日戦争記念館で特別展「抗日の記録」始まる―中国

今こそ、戦争の正体伝え 長編映画「陸軍登戸研究所」監督が再録本

海南省の戦争被害者5人、対日戦争賠償訴訟へ―中国

海南省文昌市東閣村で日本軍による虐殺が戦争中に行われ、村民70人余りが殺害された。

「侵華日軍重慶大爆撃殉難同胞記念園」の設立、専門家が呼びかけ―中国メディア
1941年6月5日、日本軍が重慶市に対する連続5時間余りに及ぶ大規模な爆撃を行い、較場口の防空トンネルにいた多くの市民が窒息死し、「六五大トンネル事件」となった。


旧日本軍の「ガス防護手引き」を発見、毒ガス戦の犯罪の証拠が加わる―中国紙

確実な証拠が明かした日本軍の反人類の罪(吉林省公文書館)

『陸軍登戸研究所』予告編



きちんと731部隊のことを展示してほしい!!
罪を認め尊敬されるようになったドイツ、歴史を否定し批判の的となった日本―中国メディア


「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
・・・731部隊の展示は2008年刊の「京都大医学部病理学教室百年史」から引用したパネル2枚。部隊長の石井四郎ら医学部出身者の関わりを、文献を示して解説。731部隊の「発祥の主たる舞台となった京都大学医学部としても検証が必要なのでは」と指摘していた。同資料館の管理担当者によると、完成記念式典の後ほどなく撤去したという。・・・・


<京大医学部資料館>731部隊の展示撤去 開館後間もなく
・・・医師の戦争責任を考える運動を続ける京都府保険医協会の垣田さち子理事長は「731部隊の検証に関しては、医学界の一部で消極的な声も強い。撤去の経緯が不透明で、事実を隠す意図があるのではないか」とし、協会として大学側に問い合わせる方針。


【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
総務部調査課写真班 T・K

毒ガス実験の撮影は命がけだった

昭和20年1月18日だったと思う。退勤する時、門衛所の前に、大きな字で「日ソ不可侵条約廃棄・ソ連側通告」と張り出しがなされていた。出・退勤は、全員がこの門衛所を通り、チェックされるので、皆が、この張り出しに気づいたはずである。
不可侵条約は廃棄の通告を受けた日から、向う1年間は有効となっていたので、翌21年1月までは、ソ連の参戦はないだろうと、そして、21年春頃にソ連が参戦するとしたら、私たちもあと1年の命かな、と思った。一般の隊員はそれほど深刻に受け止めていなかったようで、部隊そのものは平静だった。
ところで、毎月1回、63棟(大講堂)で、隊員・家族のための映画があった。内容は朝日ニュース1巻、文化映画2巻もの、劇映画1本(12、3巻もの)だった。映画が終わると、私たち映写係に対し、酒保から、酒、ビールの差入れがあった。この酒を、東隣にあった図書室で飲んでいた。
この図書室には、貴重な医学書や、動物・植物の本、地図が保管されていたが、その部屋の片隅に、短波ラジオが置かれていた。戦時中は、一般国民は短波放送を聞くことは禁じられていたが、私たちはこの短波放送をよく聞いた。



戦前、戦中と日本は、大日本帝国であった。天皇は現人神(あらひとがみ)であり、八紘一宇をスローガンに世界を日本中心、天皇中心の世界にしようとした。今でもこの思想は、根強い!!だから右派国会議員は靖国へ行く!!
大日本帝国憲法のもとでは官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理(国家無答責)がまかり通っていた。
天皇は神だから悪いことをするはずがないということか?
その憲法のもとで、戦争が行われ、どういうわけかその憲法のもとで、戦後賠償裁判が行われた。

大日本帝国憲法
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

異常な時代は、細菌戦を実施した時代だけではない。今も異常ではないか?
戦争の反省は全くせず、9条を無視して、集団的自衛権の行使しようとしている。
それも岸の末裔だ!!

日本政府は、南京大虐殺、重慶大爆撃、731部隊等の資料を全て公開し、中国ロシアアジアの国々に正式に謝罪せよ!!

平頂山から日本へのメッセージ、いや世界へのメッセージ!!
平頂山で何が起きたの?
 
未だ癒えぬ傷
 

南京から日本へのメッセージ、いや世界へのメッセージ!!

百田尚樹氏「日教組はがん」 従軍慰安婦も否定 静岡で講演

南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分

陣中日誌にみる南京大虐殺

南京大虐殺の真相 

南京大虐殺の真実

映像の世紀 南京大虐殺12 元日本兵の証言 金子安次

南京大虐殺 


1941年6月5日、日本軍が重慶市に対する連続5時間余りに及ぶ大規模な爆撃を行い、較場口の防空トンネルにいた多くの市民が窒息死し、「六五大トンネル事件」となった。
「侵華日軍重慶大爆撃殉難同胞記念園」の設立、専門家が呼びかけ―中国メディア

重慶大爆撃
重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟
6月30日(月)午前10時から東京地裁103号法廷で第30回重慶大爆撃裁判が開かれました
重慶大爆撃とは①

もちろん、無差別爆撃もあった!!
陸軍航空隊の爆撃行


安倍首相「ドイツのような謝罪はしない」、中韓の要求を拒絶=韓国紙がその真意を読み解く―中国メディア

“日本人は南京大虐殺で謝罪の準備できている” 映画「釣魚島の真相」の米監督が語る―中国メディア

・・・その上で、「日本人にとって最も賢い選択は、南京に行き、中国人に謝罪することだと思う。私が出会った中国人の多くは、『ドイツの首相は謝罪した。なぜ日本はできないのか』と話し、日本が謝罪することを求めていた」と語った。

インタビュアーが「しかし、日本の一部の政治家は日本が南京で侵した罪について認めていない」と指摘すると、ネーベ監督は「多くの日本人が間違いを認め、謝罪する準備をしているが、政治家たちは政治的利益のために認めないのだろう」と分析。


安倍の言った戦略的互恵関係というのは、過去を消し去ることか?

安倍首相ドイツ訪問、待ち構えていた日本女性=「慰安婦に真の謝罪をすべき」など抗議―中国メディア



現政権下では、原発事故のことやかつての戦争のことは、情報統制されている!!

大日本帝国が行ったかつての戦争に従軍したほとんどの兵士は、上からかん口令が出され、帰国後ほとんど戦争の残虐さを話すことなく貝になってしまった!!
日本人は、アジアの諸国に優越感をもち、アジアの人々を蔑視した!!
一部の勇気ある日本人が、戦争を語ったが、そのほとんどの人が亡くなった。
証言ー侵略戦争1 


証言ー侵略戦争2 


証言ー侵略戦争3 


安倍氏主導の下、日本の周辺外交はすでに「収拾のつかない状態」に―中国紙

コメント
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国家犯罪!731から福島まで!!

2014-07-08 11:50:40 | Weblog

731~福島まで!!

日本の医学界は、731部隊のことを反省していない。

国立感染症研究所や陸上自衛隊の研究室ではどんなことが研究されているのだろうか?

精魂塔とは何だ?


中国で、細菌兵器を精魂こめてつくったことを称え、そこで殉職した職員を供養している塔なのか、それとも、実験のために虐殺した多くのマルタ(被験者)の霊を供養している塔なのかさっぱりわからない?
建立者、建立年月日、塔の由来などいっさい刻まれていない異様な塔である。

・・・ちなみに、詳しく調査した結果、この建立者である二木秀雄という人物は、731部隊の主要メンバーの一人であり、第一部(細菌研究)の中にある二木班(結核研究)の代表者だ。
懇心平等万霊供養塔より)

動物慰霊碑(登戸研究所)
碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。・・・・
動物慰霊碑1 

記念写真
記念写真(中央 三笠宮)

日中戦争における登戸研究所の役割
2013シンポ731山田朗講演



日本政府はいまだに731部隊が第2次大戦中、捕虜に細菌・生物実験を施したことを正式に認めていない。昨年11月、東京高裁は中国人毒ガス被害者の訴えを棄却した。その理由は「当時の行為を予見することは不可能だった」。原告側の「日本政府が迅速に措置をとっていれば事件の発生は防げた」との訴えは退けられた。だが、これほどの被害を「運が悪かっただけ」だと片づけてしまってよいのだろうか?
まさに人間地獄・・731遺跡博物館の何とも言えぬ重苦しさ―中国紙

日本医学界の原罪!!
731部隊とは?
平房から悲痛な叫び、全世界への訴え!!
劇映画:黒い太陽731


アウシュビッツよりもひどい!!
731部隊 


プライム10「731細菌戦部隊」 

細菌戦部隊731 

大連衛生研究所:目黒正彦さんの証言
23,4年頃、すごいよ。私の聞いている人は200万もらっているよ。すごくもらっている。それは大したものだ。その金はどっから出たのか私も知りたいのだけれども。そんな金どこにもあるはずがないはずだけれども、23.4年頃ね、実際のとこ。
石井さんがどっからその金を引き出してきたのか知らないけれども。
(インタビュアー)23,4年頃は、もうアメリカとの取引が終わって
その辺で、アメリカからポンと出たのかね?その辺はわかりません。
そう、みんなもらってますわ。ほとんど1人残らず。ん。
一番就職口もよかったと思うね。
どこでも入れたんと違いますかね。ほとんど大学の先生みたいな、みな元石井部隊にいた人が多かったですね。
特に上の方の、その当時の厚生省のワクチン、くらうち先生とかね。田宮先生もそうだけれども。みんな石井部隊に関係あったからね。多少でもほとんどの人が、石井部隊に足を突っ込んでいる人が多いんですよ。表向きは黙っていますけどね。みんな石井部隊から金を少しずつ嘱託でもらっているんですよ。そういう人がみんな日本の基礎を作ったでしょ。
731部隊に関与した医師・医学関係者     作成者:小俣和一郎

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

封印された真実5

朝枝繁春(元大本営作戦参謀)の証言
人間を使って細菌と毒ガスと凍傷の実験をやったことが世界にばれたらえらいことになると。
(戦犯訴追が)直に天皇にこれがくる。


1952年の日本学術会議で若手が731部隊の反省・総括が必要だとの主張に対し。医学界のある重鎮はこう言い放った。
「細菌兵器は今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労までして日本で作るようなバカが出ましたら、そんなバカなことをするなと言う勧告を私からよく致しますから、その点ご安心下さい。」
この発言の主は戸田正三(元京大医学部長)であった。
戸田は、戦争中731部隊に積極的に協力した石井の京大時代の恩師である。


石井隊長の戦後1 


知ってるつもり「731部隊と医学者たち」


細菌戦被害の人々


1644部隊員の証言
井戸に細菌をまく作戦中に○○さんが忘れられないことがある。
4,5才の子どものことだ。その子は何も知らずに○○さんたちの所に近寄ってきた。小隊長は「殺せ」と命じた。絶対命令だった。その子をそばの建物の2階へのぼらせて窓から外を見せていた。その時、飛行機が飛んできた。「あれを見ろよ。」と言いながら、突き落とした。
ところが、頭から落ちず運悪く尻から落ちた。尻の所が血だらけになって泣いていた。
指揮官がオレがやると短銃で撃った。1発であたらず、2発目で死んだ。・・・・


初めて知った戦争「大久野島」「731」 

731部隊の下級隊員の戦後の人生!!
・・・1945年10月、○○さんは復員しました。
しかし、敗戦によって部隊から離れた後も○○さんの苦しみは消えませんでした。
戦後、連合国は戦犯に対して厳しい追及を行いました。731部隊の隊員たちの間にも自分は呼び出しを受けるのかという不安が広がりました。
安達(アンダー)の実験場で人体実験にかかわった○○さんは「戦犯で捕まったら死刑だ。身元を隠していろ。」と上官から言われていました。引き揚げてすぐに名前を変え、山奥で炭を焼いたり、西日本の工事現場を転々としました。身元が明らかになることを恐れて一度も正式の職員になることはありませんでした。・・・・


語り部フォーラム 


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)近藤昭二 


731部隊から福島へ!(1時間20分~1時間33分あたり)
広瀬隆氏講演in福島「IAEAとICRP~原子力マフィアによる被曝強

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く


中国等の日本陸軍病院では、生体手術演習が麻酔もかけずに行われていた!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


「ドキュメンタリー『天皇と軍隊』をめぐって」(3)



日本の医学界は、原爆被爆、水俣病、・・・・薬害エイズ、福島原発事故などで苦しんでいる人を救ったのであろうか?

原爆
原爆の子

禁止される原爆報道・医学研究
ファーレル准将が広島を視察した後、1945年9月19日、GHQ(連合国軍総司令部)は「プレスコード」を発令し、連合国、占領軍の利益に反するすべての報道を禁止しました。これによって、1952年4月に占領が終わるまで、原爆の被害のほとんど不可能になったのです。
記事だけでなく、写真映画フィルムも同じでした。
・・・・
救援に駆けつけたジュノーさんの活動も妨害します。世界に向かって救援を呼びかけたジュノーさんの電報は、打電できませんでした。
11月には原爆被害の医学研究も禁止しました。これには日本の医学者たちが猛烈に反対しますが、どうにもなりませんでした。(『チェルノブイリから広島へ』 広河隆一著より)

※米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、AtomicBomb Casualty Commission)の日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより
忘れられた兵士たち 


※本当に医学者たちは猛烈に反対したのか?
日本政府は、アメリカに全面協力し、被害者の救済には当たらず、被害の実態を調べた「原爆報告書」をつくった。
自国民の原爆被爆被害を日本軍部が喜んで米国のために調査した本当の理由
封印された原爆報告書

封印された原爆報告書 
自国民さえも実験台として、嬉々として自国民の被爆調査を行い、自発的に英訳して調査報告書を渡す。全ては、七三一部隊の秘匿、そして、天皇に対する免責を勝ち取るためだったのではないのでしょうか。この取引は十分に功を奏したようで、太田昌克氏の著作にも人体実験に対する米国の追求はどこか間が抜けたものとして書かれています。単純に細菌兵器の技術、実験結果を知りたかったためとしては、やはり片手オチ。米国は、第二次世界大戦で最も知りたかった情報を自ら差し出してきた日本軍部と取引したのではないでしょうか。そうしない限り、この七三一部隊の隠蔽理由(いまだにこの部隊はでっち上げだという論陣を張る人がいます。それは、悪魔の飽食の書評を見ただけで明らかでしょう)をどうしても納得できません。

原爆被爆者は、軍部免責、天皇制維持のための、数少ない有力なカードだったのではないでしょうか。

天皇や三笠宮も731に行っていた?(生体実験を知っていた?)40分あたりから
unit731 



広島や長崎に、アメリカが設置したABCC(原爆障害調査委員会)(被害調査はしたが治療はまったくしなかった)の傘下に元731部隊員もいた国立予防衛生研究所の支部が置かれた。
そしてABCCの後継機関が放射線影響研究所だ。
そこの理事長だったのが重松逸造だった。
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く



山下俊一のお師匠さん、
重松逸造も、戦中の医学界の流れを引き継いだ!! 
重松逸造とはどんな人物?
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5 


被曝をめぐる御用学者の系譜より
ところで、この重松逸造とはいったいどんな人物なのでしょうか。
重松が戦時中何をしていたのかは不明ですが、戦後は公衆衛生院の一員であると同時に、広島長崎の原爆被害について米国が作った原爆障害委員会(以下、ABCC)のスタッフでした。このABCCが解散した後、1975年に予防衛生研究所との再編でできたのが放射線影響研究所(放影研)。広島の日赤病院の一角にあり、被曝者を調べるだけで治してくれない処と地元では云われてきたそうです。それもそのはず、ABCCとは原爆を落とした米国が、原爆による被害をチェックするために作った機関であり、被曝に苦しむ人たちを救おうという研究機関ではありませんでした。そして、非被曝群ではなく低被曝群を比較対照とすることで、被曝被害を過小評価してきました。重松は放影研の理事長などを務め、実質的に放影研を牛耳ってきた人物です。

重松は被曝被害を過小評価しただけではありませんでした。日本で公害問題が深刻になり、水俣病をはじめいろいろな公害病が話題になった時にも名前が登場します。イタイイタイ病では公害認定がなされた後の1976年になって三井金属や自民党等が原因のカドミウムを否定する動きを見せ、それを受けてWHOにカドミウムの見直しを提起した学者の1人が重松でした。また、スモン病の時には厚生省の調査班班長となり、後日原因物質として認定されることになるキノホルムを原因としませんでした。つまり、キノホルムによる薬害を認めず、製薬企業や国を利する報告を行ったのです。詳しくは広河隆一さんの『チェルノブイリから広島へ』(岩波 1995)に書かれています(この本は絶版みたいなので最近出た新版らしきものを横に紹介しておきます)。

また、重松は、成人T細胞性白血病(ATL)の原因ウイルスの母子感染について、厚生省研究班の班長として1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告をまとめ、感染者の全国拡大を招きました。これは、国の対策が遅れたことによる被害という側面をもたらしました。これに関して重松は、今年1月の新聞インタビューで「私は、いわば雇われマダム的な班長だった・・・」と白状しています(雇われマダムに失礼な発言だ!)。

御用学者はその名の通り、国や企業の便宜を図るような話をしたり論文を書いたりするため、研究費等のお金がたっぷり貰えます。お金のある研究室の回りには研究者もたくさん集まるため、御用学者は集団化し大きな勢力となります。お金と人を握れば学会などを支配できますので影響力が増し、発言権も大きくなっていきます。これが(醜悪な)世の習い。

一方、権力側に都合悪い話でも正しいことを堂々と主張する研究者もいます。でもごくごく少数です。そして、このような立派な研究者にはお金が回ってきません。学会からも遠ざけられます。こういう状況を知っている大多数の研究者たちは、発言を慎みささやかに生きていくか、御用学者化するか、どちらかに流れていきます。その結果が今日の東電福島原発を取り巻く状況だと思っていいでしょう。だから、権威筋の話しか信じない・信じられないという一般人は、今回のような事故の時には完全にマヤカサれてしまいます(きっぱり)。

ということで、重松逸造にはたくさんの弟子がいます。最近メディアに出てくる長瀧重信(長崎大、元放影研理事長)は先のチェルノブイリ原発事故調査の時にも重松といっしょにシゴトをしています。広島大原医研の神谷研二。長崎大の山下俊一も、重松や長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査を行っており、その資金源は右翼笹川系の笹川チェルノブイリ医療協力(日本財団)でした。原爆と原発と戦後右翼を繋ぐ禍々しいリンクが垣間見えてきます。最近、山下の代わりに露出気味の高村昇というのは長崎大での山下の弟子になりますね。その他の有象無象の「御用学者」はネットで調べれば簡単にわかります。

重松、長瀧、神谷、山下、高村、・・・・彼らは、放射線の被曝影響を小さく見せるための御用学者です。それ以外にも、地震の影響を過小評価して原発の立地にゴーサインを出す地震学者、原発関連だけでも御用学者はたくさんいます。フランスのペルラン裁判と同様、彼らの犯罪は後できっちりオトシマエをつけなければなりませんね。

(参考)今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」(国際共同研究報告書)(技術と人間 1998)

チェルノブイリから広島へ 学者はどうして反論しなかったか『お金が入れば批判なし』重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害
【重松逸造】対広島の学者の対立も起きます。
広島県被団協の近藤幸四郎事務局次長は語りました。下「」引用。
「良心的な学者だとか、研究者だったら、放影研へは来ないですよ。だから、あの人がチェルノブイリの調査責任者に選ばれたのは、最初から、ある結論を出させるためだったのではないか、と私は思います」

【重松逸造】がどのようなことをしてきたかも新聞などでも概要は伝えられています。
・「環境庁の水俣病調査中間報告「頭髪水銀値は正常」、論議必至。(一九九一年六月二三日付読売新聞)重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害者とチッソの因果関係はないと発表したのです。
・「黒い雨「人体影響認められず」広島県、広島市共同設置の「黒い雨に関する専門家会議」(座長・重松逸造・放射線影響研究所長、十二人)は、十三日、「人体影響を明確に示唆するデータは得られなかった」との調査結果をまとめた。(一九九一年五月一四日付毎日新聞)ここでも重松氏は調査責任者。
・「イタイイタイ病について環境庁の委託で原因を調査していた「イタイイタイ病およびカドミウム中毒に関する総合研究班(会長・重松逸造放射線影響研究所理事長)とし、イ病の発症過程を解明するに至らなかった。イ病では、認定患者百五十人のうち、既に百三十四人が激痛の中で死亡している」(一九八九年四月九日付読売新聞。)
岡山スモンの記録「スモン研究の思い出。前厚生省スモン調査研究班々長重松逸造。結局は後で原因と判明したキノホルムに到達することができませんでした」重松氏はスモン調査の責任者でありましたが、キノホルムの因果関係はないと発表していたのです。
・九三年一月一三日、岡山県の動燃人形峠事業所が計画している大規模な回収ウラン転換試験の安全性を審査していた「環境放射線専門家会議」(重松逸造委員長)は、ゴーサンを出しました。じつにあらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります。・・・・


重松逸造の恩師・野辺地慶三の原子力施設からの放射性廃棄物に対する意外な危機意識

重松逸造、肺炎で死去:報道まとめ

重松逸造の訃報に接して 肝心なことは、何も語らずに逃げるように逝った貴方


第5福竜丸事件

実は免責された731部隊は、放射線医療業界にも歴史的につながっています。例えば731部隊、レントゲン班でも致死量を当てる人体実験が行われ、リーダーのひとりであった宮川正は、戦後放射線治療の専門家になりました。第五福竜丸事件の後、福竜丸以外の船員が放射線障害で苦しんでいても、放射線障害ではないだろうという理論を展開し、800あったと言われる被曝船は、一隻とされたのでした。

(参考)
==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====
中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
訃 報 
この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。
何をしていたかは容易に想像がつく。
戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。
放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く



水俣病

原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた一九五九年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。このため研究班の姿勢は防衛的、閉鎖的になり、患者の認定についても、批判をおそれて限定的、保守的になる。私が水俣病関係者を調べた結論としては、ほぼこの時期で医学の役割はマイナスに転化したようである。一九六〇年代に入ると、熊本大学の研究班の中でも、明らかに水俣病を厄介物あつかいする空気を見せる者があった。その中でごく少数の医師が、原田正純氏のように患者から学ぼうとする。熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは一九六一年であり、六四年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。水俣病は終わったとして新しい患者を出さないことも、意識的にとられた方針であろう。一九六三年当時、胎児性患者の認定は例外的なものであることがしきりに強調されていたのを覚えている。(宇井純「集中砲火を浴びた熊大研究班」より)

田宮猛雄について
◆731部隊関連科学者たちの戦後
東京帝国大学にあって、731部隊のための人材スカウトの役目を果たしていた田宮猛雄博士は、1945(昭和20)年4月東大医学部長になった。そして後にリッケチアによる伝染病、かの有名なつつが虫病の研究で世界的名声を獲得する。彼はさらに日本国立ガンセンターの初代の所長になり、日本医師会の会長にもなった。
【『731部隊の生物兵器とアメリカ
バイオテロの系譜) 2003年発行
ピーターウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)より】
◆京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」
そのころ、東京帝大伝染病研究所(伝研)は激動に見舞われていた。昭和20年9月2日、岡本啓氏(伝研2部)が自分の研究室でガス自殺をし、ついで、昭和20年9月16日、米軍が伝研を接収しようとしたが、これは田宮猛雄所長らの抵抗で阻止するなど大忙しであった。
北野(北野政次・・・731部隊2代目隊長)が東大伝研に現れたとき、最も北野を庇護したのがこの田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学界の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた。
731部隊の大ボスが京大閥の石井であるならば、当時の軍隊を頂点とする権力構造に、民間の側から医学的に奉仕したのが同仁会である。
【『731部隊細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)高杉晋吾著より】


水俣病 


薬害エイズ
薬害エイズ問題の真相について 今井彰さんが語っています


「命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する

千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した

平成11年8月 厚生省」

戦後、731部隊第二部隊長だった北野政次、そして防疫研究室を取り仕切り731部隊を国内で支えた内藤良一、そして二木秀雄の三人が共同事業の形で、日本初の血液銀行を設立。 朝鮮戦争の際に米軍がその血液を大量に購入してくれるのであたりまえのように事業は大成功。のちに「ミドリ十字」と命名されたのである。 高度経済成長のなかこの企業は日本有数の製薬会社に成長し、1978年には米国アルファ・セラピュウテック社を買収。 この子会社はアメリカ貧民層の血液を恐ろしく安く買い集めてミドリ十字に送ったのである。これが結果的に、薬害エイズ問題へと発展していったのです。
懇心平等万霊供養塔より)



福島原発事故
福島原発3号機は核爆発だったのか??


山下俊一トンデモ発言


奈良林直、中川恵一、大橋弘忠プルトニウムはそんなに危険ではありません 


小出さんの反論!!
「格納容器は壊れないしプルトニウムは飲んでも大丈夫」


最後は結局はお金でしょ。(斑目)どっかで聞いたような?
斑目春樹と小出裕章
 

小野俊一第6回院内勉強会フクシマの真実と内部被曝2012 10 11


【福島報告】美味しんぼ問題が隠蔽した、より深刻な問題


小出裕章さんにきく。-「美味しんぼ」問題について。- 



建設差止め訴訟に揺れる大間原発「フルMOX。つまりプルトニウムをひたすら燃やすためという目的のために造られた原子炉です」


小出裕章先生:プルトニウムを大量に貯め込んで、何とかしなければいけないという所に既に追い込まれた 

汚染水 外洋流出続く 首相の「完全ブロック」破綻


「731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。
彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。

御用医学者たちが鼻血を必死で否定するのも、被ばく被害に気づかれて、"モルモット"が汚染地帯から逃げ出してしまうと困るからである。」
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより


731部隊!!

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


部隊展感想

展示について
大変びっくりしている。
731部隊という名は聞いていた。人体実験をしていたことも知っていたが、展示を見て多くのことを知らなかったことを実感する。
特に、「医学者たちの独走」は大変びっくりした事実であった。
この事実は風化させずに広めていくべきだ。

講演について
講演を聞き、組織ぐるみでもみ消そうと権力のこわさを知ると同時に、力なき弱い者たちが常に犠牲になること実感する。

医学と言えども、どんな理由であろうが、人の命を殺める権利はない。731部隊について多くの人たち、若者たちは知らないだろう。国のため、医学のため、別の理由をたてて同じ過ちをくり返してはならない。
まずは人が人でなくなる戦争。戦争できる国づくりさせないこと。大人の責任だ。(40才代)


続きは「ノブのノート」

あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?

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