「日ユ同祖論」の記事に掲載した諏訪神社について考えていたら、諏訪の地の覇者であったであろう先住民族「安曇(あずみ)族」のことが思い浮かびました。
それで、読んでいた鎌田東二編著「サルタヒコの旅」の中から、安曇族に関わりがある文章を取り上げたくなりました。
サルタヒコについて、赤いおしりの猿(サル)という要素を取り除いた考察として、荒俣宏氏の「サルタヒコが白かったとき」という文章をご紹介させていただきます。
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(引用ここから)
サルタヒコが住んだと言われる伊勢・鳥羽には、昔からサバ海人(アマ)とよばれる人々がいた。
船上に幡だの柱だのを立てて、神を降ろし、漁や航海の安全を願う座術を行っていた。
この人々を統括したのが、安曇(あずみ)連だった。
いわゆる安曇族の流れだったことがわかる。
この海人たちは、刺青をしていた。
この刺青は一般に「安曇目」と称されているから、安曇族を中心とした海人の習俗だったのだろう。
だとするとサルタヒコも、顔や体に刺青をほどこしていた可能性もある。
また安曇族は舟上で神楽を舞い、神降ろしをしたという。
舟の上でドンドンと足を踏み鳴らすと中が空洞になっている舟はふしぎな共鳴音を発したと思う。
台を踏み鳴らして、神がかり状態になる巫女の技は、実はサルタヒコとペアを組んだアメノウズメがよくした技でもあった。
鳥羽へ行くと、夏のはじめに菅島というところで「しろんご祭り」なるおもしろい神事を見ることができる。
これは海女の祭りである。
島の先端にある「白髭神社」の祭神を「白髭明神」といい、地元では「しろんご様」で通っている。
海の神である。
白髭神社の下にひろがる白浜で、海女が一斉にあわびを採り始める。
最初に雌雄一対のあわびを採って「しろんご様」に奉納した者がその年の海女頭になれるのだ。
古くは旧暦6月11日の「竜神祭り」に由来するというが、竜神に取って代わった「しろんご
様」は、実のところサルタヒコ神であると信じられている。
サルタヒコが竜神と関係づけられるのも、サルタヒコ神が海人たちに信仰されていたからである。
猿丸とは、全国を渡り歩いた神人集団とされ、安曇族が仕えた住吉大神の社・八幡神社とつながりがあった。
彼らは傀儡(くぐつ)師だったと言われるように、神降ろしを芸能にした集団であり、本拠は近江の小野氏とされている。
小野氏は渡来人ワニ氏の系統で、これも雨乞いの芸能で有名である。
同時にワニ氏は、稗田阿礼をはじめとする猿女の同族であるから、この点でも猿丸はアメノウズメと強いきずなを結んでいる。
サルタヒコも磯良も猿丸太夫も、皆ものすごく醜悪な姿をしていたことは注目に値する。
サルタヒコはあきらかに神ではなくて、妖怪の姿をしていたのだ。
「古事記」の描写によると、
サルタヒコは天の八街(やちまた)にいて、上は高天原を照らし、下は葦原の中つ国を照らすために、口と尻が赤く輝いていたという。
面と尻がランタンか星のようにピカピカと光っているとは、まさしく妖怪にちがいない。
どうもサルタヒコは灯台のような役割を果たした神だったらしい。
ということは航海や漁にも関わりがあり、お稲荷さんの役割にも重なるところがある。
稲荷は、猟師の神でもあった。
小高い丘や岬に火を点し、灯台の役割を果たすのが稲荷だった。
おそらくは密教と結合した神格であるせいで、虚空蔵菩薩と同じく、本体は星だと信じられていたからである。
狐火というのは、星と灯台の火と稲荷の使いである狐とが混交して生じた現象である。
そしてこの狐火は、夜間の航行や漁のやまだての目印に活用された。
いわば船と猟師の案内火だった。
もちろん狐が北斗七星に祈りながら一回転すると神通力を得るという俗信も、星と稲荷の関係を証拠だてている。
この輝く目印こそは、サルタヒコと稲荷を結びつける要素なのだ。
そして口と尻とを輝かせる妖しい星は、妖星であり、妖怪でもある。
(引用ここまで)
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