始まりに向かって

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「ポロ」、西アフリカ・クベル族の成人儀礼・・綾部恒雄氏「秘密結社」

2017-09-07 | アフリカ・オセアニア



綾部恒雄氏著「秘密結社」を読んでみました。

その中の「西アフリカのクペル族の秘密結社」という部分をご紹介します。

チュワ族の仮面結社とよく似た秘密結社です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


        *****


       (引用ここから)

未開社会の秘密結社については断片的な報告が多い中で、西アフリカのリベリア、シエラレオネ、ギニアにかけて住んでいるクペル族については比較的まとまった民族誌がある。

「ポロ」というのは、クペル族の成人男子が、彼らの種族の慣習や信仰について教育を受ける〝種族的入社式″を指すと同時に、彼らのコミュニティに対して絶大な力を持ち、神秘的な知識を有する男たちによって構成される「秘密結社」の名でもある。

「ポロ」の歴史はきわめて古く、16~17世紀のスペインやポルトガルの資料にもすでに記載されているという。


「ポロ」は近世に入ってから白人の植民地化行政やリベリア政府の干渉を受けてきたが、いまだに同族の間で重要な役割を演じ続けている。

制度としての「ポロ」は、クペル族の若者たちが教育を受ける「ブッシュスクール(やぶの中に設けられた学校の意味)」としての「ポロ」とは区別されている。

「ブッシュスクール」は、学齢期の少年の数が充分揃ったと考えられた時に、同族の長老たちによって、村から離れた場所に作られる。

昔は「ブッシュスクール」は3年間から4年間も続けられたが、現在は数週間に短縮されているという。

学校がもうけられる場所は、女性やイニシエーションが済んでいない少年たちの目が届かないブッシュの中である。


仮面をつけた男たちがブッシュから村へ、少年たちを連れに来るために派遣される。

そして、イニシエーションにつきものの「死と再生」のテーマはここでも行われる。


少年の腹の上に、鶏の血が入った袋が巻き付けられる。

「ポロ」のメンバーたちは、少年を布のうえで胴上げし、「ポロ」の柵内に投げ入れる時、槍で突き刺す真似をする。

袋が破れて血が流れる。

もちろんこの儀礼は、いわゆる「重要な通過儀礼」の一つと考えることができる。

少年たちは、ワニの霊によって飲み込まれ、死んで霊界に入ったものとみなされる。

少年たちは白い粘土を食べさせられ、同じものを体にも塗りたくられる。

白は、霊魂の色だとみなされているのである。

うなり声を出す一種のブル・ローラ(うなり木)と音楽が、霊魂の声を表すものとして用いられる。

儀礼場で仮面をかぶっている人々は、霊魂を表すものである。


候補者はすぐに、仮面をつけているのは本当の霊魂ではなく、大人たちであることに気が付く。

しかしこれを口外することは許されない。

念入りなダンスが続けられ、ダンスの終わりに仮面に対して犠牲が捧げられる。

捧げられるのは仮面に対してであって、仮面をつけている人間に対してではない。


クペル族のイニシエーションでは、割礼が施され、傷身が行われる。

かみそりとフックを持った祭司によって体に刻まれた傷跡は、ワニの霊魂によって飲み込まれた時につけられたものとみなされる。


この「死と再生」のテーマは、イニシエーションの最後に行われる「吐き戻しの儀礼」によって終了する。

「ブッシュスクール」へ来ている間、「死んでいる」候補者は、ワニの霊の腹の中に留まっていると説明されるが、公的に死者を弔うことはない。

候補者を水に浸すこと、新しく名前をもらうこと、儀式の前に持っていた義務を失うこと、「ポロ」から出て村へ帰る時に、自分の親戚の人々を忘れたふりをすることなども、すべて「死と再生」に関連した行為なのである。


「ポロ」の訓練は厳しい。

「ポロ」の内容を外部に漏らしたり、秘儀に敬意を払わなかったり、精霊の声を真似しようとしたりするような違反行為は、死刑に値するとされている。

「ポロ」に入る時、少年たちは、先の儀礼で違反した少年たちの足の指や手の指の先が入っている皿を見せられる。

割礼や傷身の儀礼の後、病気になった少年は、病気の流行を恐れて殺されてしまうという。

「ブッシュスクール」が開かれている間、少年たちは種族の倫理、道徳、宗教、儀礼および成人男子が知っておかなければならないあらゆる知識を学ぶ。

たとえば戦いの技術、狩猟、農耕、家畜の飼育および特殊な貿易の方法などである。


「ポロ」の内部は、よく組織されている。

役職者がおり、裁判所やその委員などが揃っている。

訓練は厳しいが、楽しい側面もないではない。

次から次へと宴が繰り広げられるが、宴の食物は仮面をかぶった男たちが少年たちの親や村人からもらったり、盗んだり、だましとったりしてきたものである。

この点では、「ポロ」が行われている期間は、村にとって高くつくとも言える。


「ポロ」はまた、少年たちへ、結婚への精神的準備を整えてやる。

この中には性教育も含まれている。

祭祀階級はヒエラルヒー的に組織されており、最高のランクは数家族の世襲による。

最高位に上るために行われる秘儀の内容はまだ分かっていないが、高位に上がれば上がる程、その人間の影響力は彼の属する社会集団を超えるようになる。

文明社会のフリーメーソンなどと同じように、「ポロ」の祭司であることは大変な努力を要し、祭祀や彼らの用いる医薬術や呪術に関して個人的な責任があり、人々はそうした呪力を持つ者に対し、絶えず供え物を捧げている必要がある。


ところで、秘密結社としての「ポロ」は、政治的役割も持っており、「ポロ」の利害は、コミュニティ全体との関係で決定される。

したがってクペル族における「ポロ」は、ガーナやナイジェリアに見られる、より高度に発達した政治組織に代わりうるものであると考えてよいであろう。

「長老会議」は、一般のクペル族にとっては、雲の上の存在であり、遠く「祖先」の中に溶け込んでいる感じを与えるのである。

「祖霊」こそが、「ポロ」や「ブッシュスクール」や同族の倫理を支配する究極の支配者なのである。


「祖先」による子孫の支配、「死者」による生者の支配は、多くの「秘密結社」に共通の要素である。

こうして「ポロ」やアフリカのこの地方における類似の組織は、文化の決定者または道徳の統制者と呼ぶことができる。

私的な欲望や動機で動くことがしばしばある、独立の呪医や邪術師などと異なり、こうした「秘密結社」の役員は純粋にコミュニティのために動くのである。

「ポロ」は今後滅びていくかもしれないが、人々は近代化をかたくなに拒否している。

「ポロ」は西北リベリアの地方貿易や産業組織にまで影響力をもっている。

その種族社会全体に対する重要な役割を理解すれば、部外者が未開社会におけるこうした中核的制度に触れるということは、彼らにとって何を意味するかがよく分かるだろう。

「ポロ」が滅びることは、クペル族社会の伝統文化の核心の崩壊を意味するのである。


            (引用ここまで)


               *****

>「ブッシュスクール」が開かれている間、少年たちは種族の倫理、道徳、宗教、儀礼および成人男子が知っておかなければならないあらゆる知識を学ぶ。

という部分に強く印象を受けました。


この結社は、北米インディアンの習俗にとても近いと思いましたが、2012年に、中沢新一氏の「熊から王へ」をご紹介した部分を並列したく思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


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http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/2130ed287f680ab668bba623f4c6d4f5

「アザラシを食う王と、人を食うアザラシの精霊による祭・・「熊から王へ」(6)」
                       2012・06・30

         (引用ここから)


北米アメリカ・北西海岸インディアン諸部族に関する記録によると、このあたりの人々は夏と冬の生活形態にドラスティックな変化を行います。

夏の間は共同のテリトリーで漁労や狩猟を行います。

この季節には「首長」がみんなのリーダーとなります。

冬になると、みんないっせいに夏の小屋を放棄して、一つの場所に集まってきます。

そこには大きな共同の祭りのための建物が建てられていて、その建物を中心にして、冬の村が作られます。

それまでは家族中心の生活でしたが、冬になるといくつもの「秘密結社」が作られ、人々はそれぞれのポジションに従って、どれかの「秘密結社」に属することになります。

日本の冬の祭りで言ったら、「講」とか「座」にあたる組織がこの「秘密結社」なのです。

アザラシ組、ワタリガラス組といった集団ごとに、お祭りが行われるわけです。

このお祭りでは、とても複雑な構成をもった入社式が行われます。

北西海岸部インディアンの世界で一番重要な儀式は、「アザラシ結社」のものだと言われています。

この結社は数ある中でも一番格が高いと言われています。

ここでは「ハマツァ」の儀式が行われます。

「ハマツァ」とは「人食い」を意味しています。

この結社では一人前の結社員になるとは、立派な「人食い」になることを意味しているのです。

壁をくりぬいて出来た穴のむこうから、若者が踊りながら出て来ます。

彼が「人食い霊」の親玉に食べられ、その親玉の口から外に向かって「食いたい」「食いたい」と叫びながら出てきた時には、この霊と同じ「人食い」になったと考えられているのです。

「人食い」の精霊に食べられることによって、「人食い」の秘密を授けられ、そして自分自身が「人食い」に生まれ変わる。

これがお祭りの最高段階です。


これはどういうことなのでしょうか。

それは、その地では夏と冬の生活パターンがまるで正反対を向いた、逆転関係にあるからです。

夏は狩猟の季節ですから、人間が動物を殺します。

ところが、冬にはこの関係が逆転して、人間が「人食い」に食べられます。

この「人食い」の「首長」である精霊は、森を住みかとしている大いなる「自然」の主です。

この怪物に「食べられる」ということは、動物霊もそこを住みかとしている「自然」によって食べられてしまうわけですから、冬の期間の権力の所在場所は自然のふところ深くにあるということになるでしょう。

この「対象性社会」の倫理が、このような奇妙な祭りを作りだしたのです。



新石器時代の宗教思想とは何か、というのはとても難しい問題ですが、わたしには北西海岸部インディアンの祭りに表現されているこの考え方こそ、

国家の祭儀だとか、いわゆる大宗教だとかの思想が登場する以前に、地球上に広く実践されていた宗教思想のエッセンスを表現するもののように見えるのです。

            (引用ここまで)

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中沢氏が探求している「新石器時代の宗教思想」が、人間を人間たらしめる本来の「道徳律」であるとすれば、これらインディアンの秘密結社の儀式と、西アフリカの秘密結社の儀式は、人類共通の教育機関であると言ってよいのではないでしょうか?

>種族の倫理、道徳、宗教、儀礼および成人男子が知っておかなければならないあらゆる知識を学ぶ。

このような儀礼こそが、自然の中に生まれた人間の責務を、表しているのだと思います。

あらゆる未開社会に共通の、「むさぼりすぎない、節度のある社会の一員であるための、「人間の掟」の教育」なのではないかと思います。

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