教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

日本人の苦手とする製造

2013-10-10 00:49:30 | 科学
本来、日本人は製造業が得意だった。
だが今やビミョーな立場にある。

なぜか?

・・・というテーマでいろんな人がいろんな事を言っている。

割とメジャーな意見はここではあえて書かない。
ふだん誰も気がついていないことをここで言いたい。



そもそも日本人のする製造業の強みとは何か?

それは、すり合わせや最適化だ。
多くの人がいうようにだ。

非常に多くの専門家や熟練工が連携プレーして作らなければならないモノを作ること。
そして細部にまで手を抜かずに偏執的なこだわりをもって最適な条件を見つけ出すこと。
それが日本人が得意とするものだ。

たとえば初期の半導体はそうだった。
半導体メーカーは製造装置や設計ツールまで、生産に必要なありとあらゆるものを自分たちで作っていた。



では。
日本人の苦手とする製造とは何か?

わたしはシステマチックに理論から攻めて構築するラインこそが日本人の苦手とするものだと思っている。

かつて10年以上前になるが、わたしの勤め先では工場のラインで大勢の人をかかえていた。
彼らの多くはラインでの調整要員だった。
工場で作ったものを一定の性能に収めて出荷するために調整をする人たちのことである。

今はそういう人は1人もいない。
すべての調整箇所は電子的に可変できるように設計してあり、すべてプログラムを走らせて調整し、その結果をROMに収納するという方法で調整する。
この行程ではオペレーターはモノを持ってきてボタンを押して終わるのを待つという作業しかない。



かつて10連のヘリカルフィルタを調整できるという男に会ったことがある。
これがどれくらいすごいかはやったことがない人へは説明のしようがない。
誰でもできるのは2連まで、熟練してくれば3連くらいなら余裕だが、4連はかなり難易度が高く、5連になるとわたしなら手をつけもせずにあきらめるくらいのもので、10連が調整できるというのは信じられないくらいの高等技術だ。
その男は9連までならカンタンにできるが10連はかなりしんどかったと語り、当時なおさら驚いた。

だが、そういう人の需要はどんどん減っている。

現代の日本の工場では調整要員などいない。
電子的に調整し、ロボットで組み立てる。
そうなるとすり合わせや最適化の出る幕はない。

いやむしろその逆だという話まである。
ラインごとに細かな改善活動をしていくと、それぞれに独自の進化がおきてしまい、すぐにラインを転用することができなくなる、だから改善活動などしないでくれ、そんな話まである。
もはやそうなると日本人でなくても誰でもよくなる。



いまの日本の半導体は負け負けだが、実はこういう製造のパラダイムシフトが関係しているのではないかとふと思うところがある。

ジャパン・アズ・ナンバーワンだったころ、恐らく手作り装置みたいなので大学の実験室みたいなラインで半導体を作っていたのではあるまいか。

今はそうではない。
半導体工場はまるでSFの世界にでも来たかのように装置が整然と並んだ世界。
製造装置はほぼすべて買い物で、投入材料とパラメータの最適化だけは自前でやる。
設計ツールはすべて外国製の買い物で、デザインルールだけは自前で設定する。

日本人の得意なすり合わせや最適化に依存するところがどんどんなくなってきている。
かわりに、システマチックに理論から攻めて構築するところがどんどん増えてきている。

だとしたら。
日本人だってシステマチックにやればいいじゃないか?

と思うかもしれない。

しかし!

たしかに日本人はみずからに与えられた仕事にベストを尽くすことに関しては他国に劣ってはいない。
だが、隣でやっている人の仕事を全否定することがわかっていて、それでも根本からひっくり返して、全体最適なプランを押し通す・・・なんて事はまずしない。

「なんでここは○○なんてことしてるんですか?」
「そこ俺の担当じゃないけどさ、とはいっても何かおかしいような気がするのは俺も感じてるんだけどねー、はっはっはー」
というところで止まってしまうのが日本人なのだ。



日本の半導体が負けた原因は、
製造装置が買い物になったせいで製造装置メーカーから技術が流出した説、
日本の会社は外国の企業と協業したがらないために関連企業と連携プレーができず開発スタイルに無理があった説、
優秀な技術者を隣の国にどんどん引き抜かれて技術が流出した説、
特定の強みのある分野に集中的に投資をしてダメなところは大胆にカットするだけの采配を振れる経営者がいないから規模の論理で負けた説、
過剰に高品質なものを作りすぎてコスト高になった説、
・・・などなどいくらでもある。

だがそうではないかもしれない。
すでに日本人が得意とする土俵ではなくなってしまったのかもしれないということだ。
だとしたら二度と復活できない。



携帯電話だってその末路をたどった。
初期の携帯は、CPUからOSからファームからソフトからトランシーバICから何から何まですべて携帯電話メーカーで作っていた。

それが今はどうかというと・・
CPUのコアはARMの一択。
CPUはNVIDIAやQualcommなど選択肢がほとんどない寡占化。
RFも同じく寡占化で内製しているところなどない。
OSはアップルでなければアンドロイドの一択。
・・・そんだけ決まってれば自分たちですり合わせるところなんてそんなにないじゃんか、ということになる。

日本の携帯メーカーが負けた原因は、
NTTと総務省がやらかしたガラパゴス化による説や、
そもそも国外に打って出ようとせずに国内しか見ていなかった説、
海外のそれぞれの国で受け入れられるようにローカライズしようとしなかった説、
販売数量が少なすぎて上流を押さえている会社にマトモに相手にされなかった説、
皆が横並びで似たような製品しか作ってこなかったために共食いが起きた説、
・・・などなどいくらでもあるが、どれも当たらずしも遠からずで核心をついていないような気がするのはわたしだけではないだろう。

何もなかったから何から何まで自分たちで作って関係部署の人間をみんな集めてとにかく動くモノを作らなければならない時代だったからこそ当時日本の携帯は世界を制した。
今はそうではなくなったのだ。

すでに中国の山寨携帯なんて設計すら外注になっているらしい。
たぶんあと10年すれば、携帯電話なんてとりあえず動くだけなら個人でも作れるくらいの時代になる。
その時代に大企業が作る携帯に何の意味があるかと問えば、その答えをいま既に持っている会社はアップルしかない。
そしてアップルでさえ端末自体はとくにすぐれているわけでもなくむしろボッてんじゃないかというくらいで、そこに強みなど実はない。



自動車はいまのところすり合わせや最適化に強みを発揮する分野である。
だから自動車は強い。
だが、自動車もモジュール化が進んで単純なアッセンブリだけでできてしまう世界になったとすれば、それは日本の敗北を意味する。



これまで、半導体にせよ、携帯電話にせよ、リチウムイオン電池にせよ、液晶パネルにせよ、市場の立ち上がりのタイミングでは日本が独占していたのに、なぜ1兆円というような巨大な市場規模になったら負けだすのか、それがフシギでしかたがなかった。
だがこの分析で何となく的を得たような気がする。
でも、だからどうしろというところまではまだよくわからん。