教団「二次元愛」

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「日本人は零戦をもっと学ぶべきだ」への反論

2013-10-05 00:37:19 | 科学
日本人は零戦をもっと学ぶべきだ
http://yunogami.net/webronza/130906.html



日本の半導体はもうダメだ論者で有名な湯之上氏。
だいたい一理あるっぽい記事が多いのだが、上記記事にはちょっと反論したくなるところが多いのでそれをここで書きたい。



>  零戦は高高度性能、高速性能、防弾性能に問題があった。米国の戦闘機グラマンは、この零戦の弱点を突くために、高高度からの一撃離脱戦法で攻撃し、零戦を次々に撃墜していった。



これは、日本がマトモに水冷エンジンを実用化できなかったからだと思われる。

水冷エンジンを実用化できなければ、空冷で冷やせる程度の熱損失しか許容されず、ようするに大出力のエンジンを作るための致命的な弱点となる。
大出力のエンジンを作れなければ、(分厚い鉄板を必要とする)防弾性能の高い、(旋回性能はどうでもいいからとにかく大出力でありさえすればいい)高高度からの一撃離脱戦法に向いた戦闘機は作れない。

ついでにいうと末期には空冷でも2000馬力近い性能をたたき出した誉というエンジンもあるが、構造が複雑なため故障が多くメンテにも難があったという悪評も聞く。



>  とくに、零戦の防弾性能の貧弱さは、致命的だった。海軍が要求する通りの(当初不可能と思われた)格闘戦性能や航続距離を実現するためには、機体を極限まで軽くする必要があった。そのため、パイロットを守る防弾壁が設置されなかったのである。その結果、何より貴重なベテランパイロットを、日本海軍は次々と失うことになった。



零戦の防弾性能の貧弱さは本当だ。
だが1点だけ擁護できる点がある。
エンジン本体の被弾性能だけは日本軍のほうが高かったということだ。

水冷エンジンは被弾して水が漏れだしたらあっという間に温度上昇してブチ壊れる。
これは現代の自動車でも変わらない。

日本軍はあまり水冷エンジンが使われず空冷エンジンばかりだったため、被弾しても水が漏れるなんてことにはならず、たとえばヒートシンクが一部ひん曲がるという航行可能な程度のダメージで済むこともあり、必ずしもあらゆる点で零戦の防弾性能が貧弱だったというわけでもない。



>  さらにもう一つ付け加えるなら、零戦は登場したときこそ、他国の戦闘機を圧倒的に凌駕した。しかし、開戦後は、大きな技術開発は行われず、(海軍の命令にしたがって一見どうでもいいような)マイナーチェンジばかりを繰り返した。そうこうしているうちに、米国に追い付き追い越されてしまった。



なぜ水冷エンジンが難しいかというと、水が漏れないほど高い型抜き精度が要求されるからだと思われる。
こういう基礎技術は一朝一夕にどうにかなるようなものではない。
日本の工業製品の品質が世界一になったのは戦後しばらくしてからであって、当時の日本は他の列強の工業製品に比べて品質が良かったとはとても言えないのだ。
(とはいってもマグネトロンは世界一だったとか、細かいところを見ればすごいものはあるけど)

そしてその制約の中で少しでもいいものをというとマイナーチェンジに頼らざるを得なかったという点があったのだと推測される。

ついでにいうと、水冷エンジンが全くなかったわけでもない。
靖国神社の資料館には水冷エンジンの航空機(たしか彗星だったような)が展示されているので、興味があれば見にいってみるといい。

たしかに零戦はグラマンを圧倒した。
しかしそれは氏の言うような技術的優位性があったからという理由ではない。
設計コンセプトが優れていたからだ。

これは
「ロードスターとGTR、ジムカーナで競ったらどっちが速い?」
というようなものだ。



>  最終的に戦争は物量がものをいう。2カ所しかない製造工場で製造方法や部品の標準化および共通化ができておらず、一機一機、名人の職人芸で製造していたのでは、最初から勝ち目はなかったとしか言いようがない。



部品の標準化および共通化ができていなかったのは確からしい。
死んだじっちゃんも
「旧日本軍には銃が2種類あって、それぞれで弾を融通しあって使えない困った設計だった」
と言っていた。

しかし。
名人の職人芸で製造していたのには理由がある。

アメリカでは材料と燃料が豊富にあった。
日本は材料も燃料も不足していた。

アメリカでは人件費を安く抑える必要があり、材料や燃料を多少無駄遣いしてもいいから、限界性能をたたき出そうとしなくていいから、期間工でも大量生産できる仕様にする必要があった。
日本は材料や燃料を抑える必要があり、総体的に製造工数が安く見えたため、多少工数がかかったとしても性能を向上させることに意味があった。
その違いがあったからだ。

別の例でもこういう違いが出ることがある。
木材が高価だった江戸時代以前(木材は燃料としても用いられ、しかも輸入もなかった時代)、職人の工数がかかるが高価な木材を要所要所にだけ重点的に用いる在来軸組工法が発展した。
アメリカでは住宅の供給難に陥ったとき、期間工でも大量生産できるツーバイフォーが開発された。
それと同じことだ。



ミリオタでもない我輩があんまり語ると怖い人が出てきそうなのでこのへんでw