教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

イスラムでは72人の処女を与えられるらしいが

2010-12-21 02:11:26 | 経済/経済/社会
イスラムの世界では、テロリストは自爆の実行犯に対して
「このバクダンかかえて殉教すれば、天国で72人の処女を与えられて、永遠にハッピーに暮らせるぞ」
と教え込むのだとか。

わたしはあまり事の顛末を知らんのだが、そのまま額面どおり受け取ってみて、これを少々考察してみようか。



まず言えること。
バスト72の貧乳は欲しいが、72人も処女はいらん。
そんなに大勢いて何をしようというのだね。
・・・いや、ナニをするにしても、72人は多すぎやしないかいな。

ふつうに考えたら、何人もいたとしたら好きな娘とどーでもいい娘とに自分的カテゴライズができてしまうはずだ。
ギャルゲーにハマッたことのある同志諸君なら必ずこれは解るはずだ。

とあるギャルゲーのヒロイン全員に対して、全く均等に分け隔てなく
「おまえが一番好きだ!」
と言えるだろうか。

誰か1人だけ特別好きで、他のヤツはキホンどーでもいい、そんなふうになるのが普通ではなかろうか。
ヒロインが72人もいたら、酷いのになると名前も覚えてないようなくらいどーでもいいヤツが中には現れるのは間違いなかろうて。

わたしだったら
「おまえが一番好きだ!」
なんて、多くてもたった1人に向けてしか言わない。
それにBカップ以上の過半数以上の女の子のおっぱいには触りたいと思う事すらもしないだろう。

だとしたら。
72人のうち残りの71人には大変失礼に値する天国になる。
全員が幸せではない天国は、それは天国ではない。



実はその際たるものがある。
例のAKB48のギャルゲーではなかろうか。

http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-3495.html

> プレーヤーがAKBの全メンバーから好意を持たれるという設定で、お気に入りではないメンバーを次々と振っていく。
> そして、最終的に選んだ1人とめでたく結ばれるというファンには夢のようなゲームだ。

自分をふくめて49人いるうちの47人にとって都合の悪い未来。
そんなものが果たして「夢のような」と言えるのだろうか。



逆に考えてみよう。

とりあえず自爆テロが良いかどうかはおいといてだね・・・。
仮に滅私奉公の行いをして本当に滅私した聖人のような女の子がいたとしよう。
そしてそいつが天国にいったとする。

そこでだ。
神さまから、そいつに72人のイケメンを与えられたとしよう。
そしてそのイケメンの中には自分も含まれているとする。
この際まあ、自分がイケメンかどうかは棚の上に投げておく。

そうするとどうなるだろうか?

わたしならきっと、その女の子はほとんどガン無視し、毎日アニメを見てマンガを読んでゲームしてネットを徘徊して、自分だけで勝手に楽しく暮らすに違いあるまい。
天国ならキホン暇なはずなので、向こうから話しかけてきたときくらいは相手にしてやってもいい。

その女の子は果たして幸せだろうか?

まあきっと幸せだろう。
72人のイケメンのうちのお気に入りの1人か若干名だけとイチャイチャして暮らせば、それはそれできっと幸せだろう。

・・・しかし。
72人のイケメンのうち大多数からは愛されて暮らすことはできない。



さてイスラムの72人の処女。
これも同じことが言えやしないだろうか。

72人の処女のうちの大多数からは、暇なとき声をかければ会話を相手してもらえる程度でしかないような生活になりはしないだろうか。

自分としても相手に対して興味もない。
相手も自分に対してさした関心を持っているわけでもない。
タダのご近所の顔見知りさんという程度だろうか。

それのいったいどこが天国なのかね?



仮にわたしが殉教したとして、アッラーに72人の処女を与えられかけたとしよう。
そうなりかけたとしたら、わたしなら反論する。
「72人も処女はいらん。72人と引き換えにして良かったと思えるくらいの、とびきりの女を1人よこせ。もちろん貧乳で」
と言うだろう。

そういうものこそが天国ではなかろうか?