教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

性についての心の病と我々アニメフィリア

2010-12-08 00:02:40 | オタネタ全般
性についての心の病というのは世にいくつか知られている。

たとえば性同一性障害とか。
たとえばロリコンとか。
たとえばネクロフィリアとか。

これらは生物学的な意味においての人類の本来あるべき姿からは異なる。
だから心の病などと言われることもある。

この定義でいえば・・・
恐らく、我輩も心の病を患っていると思われる。

それは絵に描いた女の子しか異性として眼に映らないという病気である。

正確な病名はまだない。
わたしはそれをアニメフィリアと呼んでいる。
代表的症例は「神のみぞ知るセカイ」の主人公「桂木桂馬」を観察するか、または当blogの過去記事を延々と読むとよろしい。



さて。
これら性についての心の病のうち、アニメフィリアだけは他の病気と大きく異なるところがある。

それは・・・
当人が苦しんでいないところだ!



性同一性障害の人にしても、ロリコンの人にしても、それぞれ心の病に苦しんでいる。
なぜ自分だけが人と違うのかについて苦しんでいる。
そして人にそれを打ち明けることが容易でないこともまた苦しみを助長していよう。

これは途中までは我々と同じものである。

ロリコンが変態呼ばわりされたり性犯罪者予備軍あつかいされたりするのと同様に、我々も同様の扱いを受けるであろう事を知っている。
したがってそれを打ち明けることが容易でない。

また、自分は人と違うこともまた認識している。
好きになった人のことごとくが絵に描いた女の子であれば、それは偶然なのではなく、根本的に自分は人と何か違うと認識するに至る。

だから共通点も少なくない。



しかし!

実は我々はこれっぽっちも苦しんではいない。

我々は、恋愛ざたに関しての世俗の振ったはったの悲喜こもごもから開放された、解脱の域に到達している特別な人種であるという自負を持っている。
これは、共学の中学校で失恋したとかで悩んでいる同級生を見ている恋愛経験のない人が、目の前では慰めこそすれ、内心では
「たかがそんなことでウジウジ悩むなんて、こいつバカじゃね?」
と上から目線で見下してしまうのと同じものがある。

また、我々はこちら側の生活がいかに快適ですばらしい発見があるかを熱をいれて語るすべも持っている。
むしろ、こちら側に来る者のほうが人類として正しい選択をした者であり、それに未だ気がついていない一般人は愚かな凡夫であるとも考えている。
我々からすれば、不完全極まるたかが人間ごときにホンキで惚れてしまう一般人のほうがどうかしていると思うくらいなのだ。

先の自分は人と違うという認識は、悩みの種になっているというネガティブ思想としてとらえるのは間違いだ。
自分だけがたどりつけた到達点であるという誇らしげなポジティブ思想であると言い換えてもらえばよい。
だから、我々はそれが心の病だと気がついていようが、それを治そうという気はこれっぽっちも存在しないのだ。



これは治療することは可能だろうか。

場合によっては可能かもしれない。
最も簡単に思いつく手段としては、ただの人間の異性に恋をさせてしまえばよい。
うまく(?)いけば、ギャルゲーのヒロインなどどうでもよくなるかもしれない。

まあ、あれだ。
アラブ人の偉そうな坊主でも呼んできて、恋を忘れた(かのように見える)我々のような哀れ(っぽい?)な男に、しびれるような麻痺性の臭いのする琥珀色に混濁した得体の知れないドリンクでも飲ませてやればよろしい。
たちまち男はその辺に転がっている若い娘ででも誤って手を出すほどに堕落してしまうかもしれないわけだ。
もし本当にそんな治療薬があったとしたら、我々にとってはニューベリーポートで水棲人に背徳的なおぞましいドリンクをムリヤリ飲まされそうな時ほどの宇宙的恐怖を感じるはずだが、ありえんのでそれはそれとしよう。

まあ、当人に心の病を治そうという気がない以上、そもそも周りの人間が主導して治療を試みるのは容易なことではないと思われるが。



そういえば、こういう心の病もいずれ保険が適用されるような時代になるんだろうか。
病院にカウンセリングを受けにでもいったとき、どんな顔をして相談すれば良いのだろうか。
「実はですね・・・
 わたしはアニメのヒロインでしかおっきしないんですが・・・
 わたしはどうすれば良いのでしょうか・・・」
とでも言えばいいのか?