教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

人とは見えているモノが違う

2010-12-20 00:09:51 | オタネタ全般
ニコマスを見ているとよく思うことがある。
同じアイドルマスターの二次創作でも、アイドルを見ても人によって見えているモノが全く違うんだなって。

ある千早は、踊るすがたの笑顔がよく似合う。
ある千早は、Pを冷ややかに見る9393な顔がよく似合う。
ある千早は、ツンツンしていて時にデレるそのセリフがよく似合う。
ある千早は、ひとり苦悩しひとり答えを導き出すその姿勢がよく似合う。
ある千早は、かってに飛ばしてかってにハマる痛いキャラなのにそれもよく似合う。

ちなみにわたしのノベマスを自己分析してみると、照れ怒りしている千早が好きでああ描いているんだろうと思う。

どれも同じ作品の同じキャラからの派生である。
しかし、そのどれもが全く違う。
にもかかわらず、全く違うのに違和感がそこにはない。

これはなかなかに不思議なことだと思わないだろうか。



多分どれもオリジナルの千早を忠実に再現しているのだと思う。

しかし、ニコマスの作者が魂を魅入られ好きになった部分は人によってそれぞれ違うのだろう。
だからどれも千早として違和感がないにもかかわらず、そのどれもが似ても似つかないほどに違ったものが出来上がるのだろう。



千早はかわいい。

しかし、どこがかわいいかをここで説明しきるのは困難を極める。
だから我々は胸に秘めた言葉にできないその何かを表現しようとして動画を作る。

投稿者はニコマスを作ることで、自分がかわいいと思った千早のその姿を最大限に表現しようとした結果、意図せずして他の人ともオリジナルとも違う千早が出来上がったに違いあるまい。

そして我々は人の作品を見て、自分の気付かなかった千早の別の側面から見た魅力をみつけてより魂を魅入られる。



いつか寿命を迎えて天国にいけたとしたら。
多分わたしはそこで千早と暮らしたいと神に頼む。
それと同じことを言う愚か者は我輩以外にもいるに違いあるまい。

しかしそこで具現化した千早は、わたしの傍らにいる千早と、わたし以外の傍らにいる千早とでは、きっと違う人がいるはずだ。