教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ヘッジファンド・クルーク復活

2010-12-16 00:04:51 | 経済/経済/社会


http://www.hf-klug.jp/

ヘッジファンド・クルークが復活したらしい。

ここはいわゆるヘッジファンド業界情報サイトである。
べつにヘッジファンドに投資したいとは全く思わんが、自分が投資判断する上で世間の山師どもがどう動いているのかを知るのには役に立つサイトだと思う。

学校のテストを笑う

2010-12-16 00:02:43 | 経済/経済/社会
我々アニオタ向けに作られた学園モノのアニメのメインヒロイン。

または。
腐女子向けに作られた学園モノのアニメの主人公。

これらはかなり高い確率で学校でのテストの成績がバツグンに良い。
どれくらい良いかというと、学園トップであるのがアタリマエなほど良い。
いま放送中のアニメでいうと、たとえばFORTUNE ARTERIALの千堂瑛里華などがまさにそれである。

一般論でいえば、テストの成績は悪いより良いにこしたことはない。
それは間違いない。

しかし!
はたして学園トップを取る必要はあるのだろうか?

今日はそういう話をしたい。



学校のテストで良い成績をとる目的には3つある。

1つ目。
推薦入試で有利に立つなどの目的で、先生にいい顔したいから。
そういうゴマすりで人生を過ごしていきたいと思うヤツなら、どうぞ勝手にそうすればよろしい。
そいつらが歳とった後に
「俺の人生って何だったんだろう」
って悔やむ顔を見たあとに我々が慰めてやる。

2つ目。
グレードの高い高校や大学に入学したいから。
受験生とはまさにこれで、それを否定することなどできはしない。
勉強しないヤツよりはするヤツのほうが優秀なことを否定することなどできないからだ。

しかし。
方法論からすれば、それは「学校のテストで」良い成績をとる目的とは異なっている。
学園トップクラスになるまで頭がキレるヤツなら、「学校のテストで」というのと「入学試験で」というのとで違いがあることくらい知っているはずだし、頭がキレるというのともまた違うことを知っているはずだからだ。
学校のテストなぞそこそこにしておいて、入試に向けて全力疾走するべきなのだ。

3つ目。
やりたいことがその先にあって、それを実現するために目の前のことをマスターする必要があるから。

わたしはこれだった。
わたしは子供のころから科学者か技術屋になりたかった。
だから数学や物理は絶対に理解する必要があるとわかっていた。
そして自分なら理解できると信じていた。
だからか知らんが、数学と物理だけは成績が良かったし、今は夢がかなって技術屋をしている。

実はその逆もしかり。
文系科目は自分の人生でクソの役にもたたんと思っていた。
だから数学や物理と比べると絶望的なほど文系科目の成績が悪かったのは当然だ。

FORTUNE ARTERIALの千堂瑛里華のように全科目トップクラスというのは無理があるが、しかしわたしは特定科目だけなら高校で学年トップになったことが何度かあるし、クラス別でのテストで平均点が24点という有様のなか2位と30点差をつけてトップになったこともある。
もちろんこれは特定科目だけの話で、全科目平均なら平均より大きく下である。

トップになるというのはたしかに気分が良いものはあった。
だが、自分の目的はそこにはなかったので、そんなものに大した意味を見出してはならんということもまた理解していた。

なぜそう思ったかというのには実は理由がある。
わたしは中学校のとき、不運にも大変アレな教員どもに恵まれてしまっていた。
幼いころの理科のテストでの話だが、理科のテストにもかかわらず漢字で書かねば減点するという教員がいた。
わたしは科学とはそういうモノではないと力説したのだが、教員はそれを理解することはなかった。
わたしは自分が間違っていないと確信していたので、理科のテストだけは徹底して全てひらがなで書いて出した。

テストではことごとく減点されていった。
そしてその教員のときだけは理科の成績が人並になってしまった。

そのとき理解した。
「くだらんヤツが作ったテストで成績が良かったところで何の意味もないんだな・・・」
と。



さて。
学園トップの成績を誇るメインヒロイン。

ヤツらは何を思うのだろうか?
何を思って、あえてトップを目指しつづけるのだろうか?

科目別でトップになったこともあるわたしでさえ理解できない。
カレカノの宮沢雪野や化物語の羽川翼のように別の目的があるなら話はわかるのだが。

わたしの理想とするものは、ときメモのメインヒロインたる藤崎詩織のような学園トップの成績をおさめることではない。
ときメモで言えば、たとえば紐緒結奈が理想である。

成績面において藤崎詩織と比べてしまうと劣るが、紐緒結奈はかなり成績が良い。
しかし学校の成績など何の役にもたたんと切って捨てる。
切って捨てているにもかかわらず成績はかなり良いから、わたしのようにスネて勉強しないのともまた異なるし、厨二病的な意味で反抗しているだけなのともまた異なる。

彼女は自己の信じるものだけを目指す。
学校など眼中にない。
初代ときメモの学校しかないという閉じた世界において、学校以外の全く違う世界がその眼に映っているのは、紐緒結奈以外には他に誰一人としていないのだ。

紐緒結奈はわたしの初恋の人。
だから好きになり、わたしが初恋を経験した女だと胸をはって言える理由がそこにはある。



学校には神はいない。
神は自分で見つけるものだ。
そして、自分で見つけた神に従う。

それが理想の生き方だ。